一章4 『食い意地が張ってるヤツが、一番強い』

「僕は小学生じゃない、中学生だ。……それで、お前の根拠ある反論を聞かせてもらおうか」

「だから、それはさっき言ったであろうが」

「へー、あれが根拠? ふざけているのか?」


 陽炎は青筋を浮かべて激昂し始めた。

「……なんだと」

「なんだと、じゃないよおっさん。ペンネームとか芸名っていうのは確かにあるさ。だけど知ってるか? どれだけ仮の名前を作っても、戸籍上の名前、本名は変わらないって」

「……しっ、しかし。本名が大事なら、その名前で仕事をすればいいはずでござる! 仮の名前なんて、不要なはずでござる!」


 まったく、これだから人と会話をするのは嫌いなんだ。

「おっさん、よく考えてみろよ。少女漫画家にも男がいるかもしれないんだぜ? もしも自分が読んでる少女漫画が男に描かれてるって知ったらどうだ? それを知るぐらいなら、名前を偽ってもらった方がいいだろ?」

「うぐっ!」


 さすが典型オタク、読んでるって信じてたぜ。きっと部屋には『セーラーモーニング』や、『極☆めっちゃモテモテ部長』が全巻揃ってるに違いない。

「それに自分の応援しているアイドルが山田花子だったらどうだ? なんか少しショックだろ、だったら芸名を呼びたいだろう?」

「否ッ! 拙者は自分が応援している黒森愛(くろもりあい)ちゃんの本名が山田花子であったとしても! 全力で、命尽きるまで応援するぞよ!!」


「……あ、そう」

 凄まじい気迫に、僕は大人しく頷いた。

「しかし前者は貴君の言う通り。よろしい、貴君を拙者の好敵手と見込んで、尋常に勝負を申し込むでござる!」


 びっと僕達に指を突きつけ、彼は歯を見せてにっと笑った。心なしか、彼の白い歯がぴかんと光ったような気がした。……というか、こんな下らない口論で好敵手だと分かるものなのだろうか?

 ふいに誰かのぐーっという間抜けな消化音が響いた。無論、僕のものではない。ノゾムと陽炎の顔を見るが、彼女等はぽかんとした顔で首を横に振った。となると、残るはトカゲもどきだけ。

「Y、さっき食事をしたばかりでござろうが。仕方の無い奴でござる」


 陽炎はバッグからタオルにくるまれた虫かごを取り出し、その中で飼っていたコオロギをYというトカゲもどきに与えた。そのやり取りに僕は生理的な嫌悪感を覚えたが、ノゾムは平然としていた。

「お前、平気なのか……?」

「ほえ、何がですか?」


 ……どうやら、こいつは虫とか爬虫類が平気らしい。僕はと言えば、奴等が苦手で生理的に受け付けない。

「ねぇ、君」

「なんだよ?」

「トカゲって、焼いたらとっても美味しいんですよね~」

 涎を垂らしてYを見つめる少女。僕は彼女から二歩ほど距離を開けた。


 Yに餌を与えた後、再び陽炎は元の無駄に高いテンションに戻って、クリスタルデータを構えた。

「では改めて行くでござるよ、クリスタル・セットオン!」

「……セットオン?」


 陽炎はクリスタルデータを地面に置いた。僕も彼に釣られてクリスタルを置く。二つの正八面体は重力を無視して角の部分だけ地に立った。するとクリスタルは目映く輝き、ぶわっと強い風を発生させ、さらに光を大きく膨らませた。あまりの眩しさに、僕は思わず目を瞑った。

 次に目を開くとそこはさっきまでいた公園ではなく、地平線まで続く草原が広がっていた。夢でも見ているのかと思ったが、頬を捻るとちゃんと痛かった。紛れもない現実だ。


 周囲を観察していて、違和感を覚えた。僕達のいる部分を中心に、地面を巨大な影が覆っているのだ。まるで大樹の下にいるような感じの、大きな影だった。

「なぁ、ここはどこだ?」

 傍で僕と同じように座り込んでいた少女に問うと、彼女は首を傾げつつも答えてくれた。


「おそらくクリスタルデータに保存されていたプログラムが、バトル用の空間を作ったんだと思います」

「なんだ、はっきりしない物言いだな」

「すみません、所々の記憶が微妙に欠けているんです」

 とりあえず、ここがゲームの仮想空間らしいということは分かった。言われてみれば、足元の草もどこかゲームの背景っぽい感じだ。そして少女も、ゲームキャラクターのようなビジュアルになっていた。


「貴君等、作戦会議は終わったかね?」

 陽炎が会話に入ってくる。彼の姿は現実ではありえないぐらいに美化されていた。勇者風の甲冑を纏い、長い剣を腰につるしている。まるでファンタジーのゲームの主人公のようだった。

「いや、別にそんなことはしてないが……。というか、これがどういうゲームなのか全然知らないんだけど……」


 そもそも、僕はこのゲームをプレイするかすらまだ決めていないしな。

「それは誠か? ふぅ、ロクにルールも読んでいないのでござるな。これだから最近の小僧は」

 僕は少女の肩を叩いて、こっそりと耳打ちした。背伸びをしても届かなかったので、彼女に少し腰を落としてもらうことになったが……。


「お前、ゲームのキャラなんだろ? 今すぐ炎でもレーザーでもぶっ放してあの肉塊をこんがりと焼いてくれ」

「む、無理ですよう! 私、そんなことできません!」

「ちっ、役立たずが」

「ふえええ、ごめんなさい」

 そんな僕等を陽炎は肩をすくめて笑った。


「早々に仲間割れとは、お子ちゃまコンビでござるな」

「……なんだと?」

「このゲームにプレイヤーとキャラの信頼はあまり必要は無いから、勝負に差し支えは無いといえばそれまででござるが。それにしても、あんまりでござるなぁ」

 再び少女の肩を叩き、怒気を孕んだ声で耳打ちした。

「前言撤回だ。何が何でもゲームに勝って、あいつをぎゃふんと言わせるぞ」

「ええ、最初からそのつもりですよ」


 少女はにっと笑って、小さく握り拳を作った。

 その時、デジャヴのようなものを感じた。彼女の声をどこかで聞いたことがある、そんな気がしたんだ。でもそんなはずは無い。僕と少女は今日、初めて会ったのだから……。

 陽炎は散々嘲笑った後、ようやくルール説明を始めてくれた。


「ルールはいたってシンプルでござる。キャラを戦わせ、相手のHPをゼロにしたプレイヤーの勝利でござる。貴君等の残念な頭でも十分理解できるでござろう。もう一つ、特殊ルールがあるでござる。この戦いはニッコリ動画で生中継されていて、視聴者の者共から拙者か貴君のどちらかにエールパワーを送ってもらえるでござる」

 彼は宙に浮いたオーロラビジョンを指した。その画面には陽炎の名と僕のプレイヤーネーム、Iが表示されており、その下にゲージのようなものがあった。おそらくゲージの数値がエールパワーの量だろう。あと観戦者のコメントも申し訳程度に流れていた。


「あ、君の方がたくさん集まってるよ!」

 少女の言うように、僕のゲージの方が陽炎の二倍以上のパワーが集まっていた。

「ああ、そうみたいだな。でも、何で……」

「ふむ、おおかた貴君等の愛くるしさにやられてのことだろう」


 ……どうやら僕は疲れているらしい。もう一度、今度はゆっくりと言ってもらおう。

「おっさん、頼む。今度は一言一句、大きな声で言ってくれ」

「承知したでござる。ふむっ、おおかた貴君等のっ、愛くるしさにやられてのことだろうっ」


 自分の表情筋がぴきぴきと固まっていくのが分かった。

 僕は少女に震える声で頼んだ。

「お前さ、鏡みたいなもの、持ってないか?」

「あ、はい。ちょっと待っていてください」

 少女はポケットからコンパクトミラーを取り出し、僕の顔の前に差し出した。


 その鏡の中には、愛らしい女の子がいた。丸っこい小さな顔、目つきは多少悪いけど、幼く可愛らしい顔付き。栗色の長い髪は艶やかで、乱れも全く無く腰の辺りまですっと落ちていた。ちっちゃな子供用の巫女服を着ていて、袖から覗く細くて頼りない指が心をくすぐる。足袋と下駄は慣れていないせいか少し歩きにくいが、履き心地はちょうどよかった。上着の滑らかな感触が肌に直に感じて、気持ちいい。少し前を開いて、隙間から中を覗いてみた。まだ小さいにもかかわらず、きちんとサラシを巻いていた。


「変態です」

 少女の一言にハッと我に返って、僕は急いで前をきちんと整えた。

「変態だったんですね、君」

「ち、違う、そうじゃないありえない僕は健全だ!」

「だったらそのアバター設定は何ですか? 男子のくせに、女の子の姿にして」

「し、知ってるだろう、僕が適当に登録したのを」


 少女は疑惑の目を僕に向けて、にっこりと不気味に笑った。

「ふふふ、可愛いですね、Iちゃん。とってもかぁいいですよー。お家に連れて帰って、一緒にご飯を食べてお風呂に入って、お布団で絵本を読んであげて子守唄を聞かせて寝かしつけたいぐらい可愛いですよー」

「ちょ、お前、怖い、怖いって……」

「お前じゃなくて、お姉ちゃんでしょう?」


 僕は涙目になって、その場にへたり込む。少女はにこにこと笑っているのに、その顔の裏に恐怖を感じてしまう。怒りや軽蔑じゃないと、取り戻した子供の鋭い勘が告げている。これは、支配欲。彼女は僕を徹底的に支配したがっているのだ……。

「お願いだからやめて……。やめてよ、お姉ちゃん」

「何か言いましたか? 大きな声で言ってくれないと、お姉ちゃん聞こえないですよ?」

「……お願いします。やめてください、お姉ちゃん」

「よしよし、よくできました」


 僕は少女の愛撫を受けてもなお、瞳を伝う涙と震えを止めることはできなかった。少しあそこが湿った感じがするのは気のせいだと信じたい……。

「こ、これはとんでもないものを目撃してしまったでござる……!」

 陽炎は興奮した目つきで僕達の調教を見ていたようだ。さっきまで閑散としていたコメントも今はゲージを隠しきるぐらいに増えていた。


『JKの幼女調教キマシタワー!』

『幼女涙目WWWWWW』

『中はただのオタクだろ』

『でもこのゲームのアバターってリアルの容姿の影響も結構受けるんだろ?』

『じゃあマジで百合?』

『リアル百合キター!』


 どこのガセ情報だよ。というかもういっそのこと、僕を殺してくれ……。

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