第16話――魔法のチャイナドレス 4

 放課後の部室棟。その三階の一番端に、文芸部の部室はあった。どこか遠くから、吹奏楽部のものだろうか、ホルンの音が風に乗って響いてくる。校庭からは運動部の元気のよいかけ声が聞こえてくる。しかし、それ以外は実に静かな建物だ。

 郁乃は昼休みの間に担任の教師に入部届を提出し、いよいよ文芸部の扉を叩こうとしている。いくら勝ち気な郁乃とはいっても、はじめて入る部室というのは、やはり緊張するものだ。扉の前で小さな拳をぐっと握り、大きく深呼吸。そしてノックを二回。

「はーい、どうぞー」

 扉の向こうからは、鈴を鳴らすような少女の声がした。優しげな声だ。郁乃は少し緊張がほぐれるのを感じながら、扉の取っ手に手を伸ばし、そっと静かに開いた。

「失礼します。入部希望の一年A組、池田郁乃です」

「はい、お待ちしてましたよ。わたしが部長の白石しらいし水琴みことです。さ、入ってください」

 背中まで伸ばされた艶やかなストレートヘアに、華奢な手脚。細い腰。小ぶりな顔に白磁を思わせる透き通るような肌。優しげであると同時に、まるでガラス細工のように精緻な目鼻立ち。そしてそれを彩る銀色に輝くハーフフレームの眼鏡。

 物腰も、雰囲気も、まさしく『文学少女』だった。

「あの……他の部員の方は?」

「ごめんなさい。実は、三年生が卒業してしまって、今はわたし一人なの。あなたが入部してくれたおかげで、廃部にならずに済んだわ」

「そ、そうだったんですか」

「ええ。どうぞ好きなところに座って。今お茶をいれますから」

 そういうと、水琴は電気ポットに水をくんでくると言って、部室から出て行ってしまった。郁乃は落ち着かない様子で、部室の中を眺め回す。古い大きな本棚がいくつか置いてあり、そこにはぎっしりとこれまた古い本が詰め込まれている。文学全集かなにかだろうか。ハードカバーの分厚い本だ。部室の真ん中に机が並べてあり、その一つにはデスクトップタイプのパソコンが置いてあった。さっきまで水琴が座っていた席だ。

「何か書いてるのかな……でも、覗き見は良くないし……」

「あら、別に見ても構わないわよ。大したものじゃないから」

「ひえっ!」

 いつの間にか戻ってきた水琴が、電気ポット片手に部室の入り口に立っていた。

「わたしね、本を読むのも好きだけど、自分でも書いてみたいって思ってるの。それで、これはその習作」

 電気ポットのスイッチを入れた水琴は、郁乃に「こっちへいらっしゃい」と手招きをする。画面をのぞき込むと、そこには短い物語が綴られていた。

「今書いてるのは、原稿用紙で十枚くらいのショートショート。辞書から適当な単語を探してきて、それをキーワードに物語を作るの。やってみると楽しいわよ」

 やがて、電気ポットから湯の沸く音が聞こえはじめる。水琴は部室の端にあった棚からカップを取りだしながら、

「ティーバッグの紅茶しかないんだけど、いいかしら」

 と聞いた。郁乃は画面から目を放さずに、一言「はい」と答えた。

 水琴が多分自前で用意しただろう二つのティーカップに湯を注ぐ音が聞こえる。しばらくすると、部室の中に柔らかな紅茶の香りが広がった。

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