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《神々の死境》――そう呼ばれる〝危険領域〟の出口は、まさに人間世界との境界線。

 魔物蔓延る樹海とは大違いで、ほとんど生物の気配は感じない。外界から《神々の死境》へ近づく者はなく、わざわざ住処から出ようという死境の魔物もいないのだろう。

 つい近頃神々の死境に入った変わり者のレナリアは、何やらウキウキと弾んだ様子で、師と仰ぐナクトへと声をかける。


「さあ! 私とナクト師匠の、冒険の旅の始まりですーっ! レナリアは、何だか生まれ変わった気分ですっ♪ 何だか空気もおいしい気がしますっ♪」


「ああ。《神々の死境》は本来なら人間が生きていられないほど、瘴気が充満しているからな。俺は《世界》に、レナリアはそのティアラに守られていて、平気だったけど」

「そ、そういう意味ではなく~……な、ナクト師匠は、いけずです~っ!」


 ぷくっ、と頬を膨らませるレナリアは、何だか《神々の死境》にいた時より、子供っぽい気がする。危険地帯を離れた安堵感のためか、ただ単純に、はしゃいでいるのか。

 何となくナクトが微笑ましい気分になっていると、こほん、と咳払いしたレナリアが、人差し指を立ててレクチャーし始める。


「では今から、北にある私の故郷……《光の聖城クリスティア》へ向かいますっ。歩きですし、さすがに数日はかかりますが、途中で宿を取りながら向かいましょう。ふふっ、手配はレナリアにお任せくださいっ♪ 何だったら、途中で馬を調達して――」


 がんばって先輩風を吹かせるレナリア、だが、初めて《神々の死境》から出たナクトの放った言葉は。


「いや、走っていけば、すぐ着くさ。北に見える、あの大きな城のコトだよな?」

「――へっ? え、え……み、見えるのですか? ここからだと、あの……点みたいな所ですよ?」

「ああ、良く見える。《世界》を装備しているんだから、当然だ。さて――よ、っと」

「当然とは一体……きゃっ。……えっ、えっ……えええっ、ナクト師匠っ!?」


 呆気に取られていたレナリアが、一転、慌て始める――それもまた当然、ナクトは無造作に、彼女をお姫様だっこしたのだ。

 腕の中であたふたとするレナリアが、何か言おうとする、その前にナクトは。


「よし、じゃ、いくぞ。《世界連結》――風よ、俺達を運んでくれ。――よっと!」

「あ、あのあの、ナクト師匠、これ、こっ……―――ひゃっ」


 ナクトが、割と軽めに、一言を発したのと同時に。


 眼前には、城下町へ通じる門――《光の聖城クリスティア》のお膝元に、まさに一足飛びで、情緒などは無視して辿り着いてしまった。


 これがナクトとレナリアの、記念すべき冒険の第一歩である。


「……あ、あの、ナクト師匠……あの、ですね……?」


 さて、こんな常識外れの移動法を目の当たりにし、レナリアの漏らした感想は。


「これで二度目ですが……お姫様だっこは……レナリア、恥ずかしいですっ……♥」


 気にするのは、そこ――この《姫騎士》、思った以上に大物なのかもしれない。


 ■■■


「改めまして……ナクト師匠っ。《光の聖城クリスティア》へ、ようこそですーっ♪」


 門をくぐって城下町へ入ると、レナリアが両手を広げて歓待してくれる。どうやらまだ、昂る気持ちは収まらないらしい。

 ナクトはといえば、多くの人間たちで賑わう、初めて見る城下町の光景に、率直な感想を口にしていた。


「へえ……すごい賑わいだな。街並みも華やかだし、イイ所だな」

「そ、そうですか? えへへ、レナリアの故郷を、そう言って頂けるの……何だか、嬉しいですっ♪ あっ、街を見るのは初めてでしょうし、せっかくなので案内でも――」


「ああ。街なんて……《神々の死境》の奥地の、更に地下の大空洞にあった〝黄金郷〟くらいしか見たコトなかったから、新鮮だよ」

「そう、ですか……そんな……何だか、凄そうな所……あるんですね……」


 何だか物凄く、がっくりと肩を落としているレナリア……だが、ナクトの言葉は、そこで終わらず。


「でも俺は、こうして沢山の人で賑わっていて、どことなく上品な――この街の方が、よっぽど好きだよ。うん、ここは本当に、イイ所だ」

「! そう、ですか……そうですかっ♪ それなら、えへへっ……良かったですっ♪」


 完全に気を取り直したレナリアが、輝く笑顔を見せてくれる。

 ナクトの言葉に嘘はない。裸の言葉は、率直に相手に届くのだ。


(大体、あんな金ぴかの場所、びっくりするほど落ち着かないしな……人の住む場所じゃない、っていうか。だから滅んだんじゃないか?)


 さすが《神々の死境》というだけあって、場所自体にも問題はあったが。

 さて、弾んだ足取りでナクトを先導するレナリアだが、町民が彼女を見つけたようで。


「え? あ、あれ……? あれ、まさか……《光冠の姫騎士》レナリア様じゃ!?」


 その声を皮切りに、ざわめきが波紋のように広がりだし、注目が集まってくる。


「ほ、本当だ……レナリア様だ! レナリア様がいらっしゃったぞォォォ!」

「噂では《魔軍》との戦いに備えて、お城で力を蓄えている、と聞いたけれど……」

「きっと下々の我々を慮って、様子を見に来てくださったんだよ! さすがその優しさだけで空に虹が架かり、笑顔一つで花が咲き乱れる《姫騎士》様だぜワッショォォイ!」

「道を、道を開けろォ! 《姫騎士》様の邪魔をするんじゃねッシャオラァァァイ!」


 何だか、とんでもない騒ぎである。クーデターでも始まるのだろうか。

 けれどナクトが、本当に目を丸くしたのは――狂乱する民衆に対する、レナリアの反応だった。特段、彼女は慌てるでもなく、しゃなり、上品に居住まいを正し。


「……ごきげんよう、皆さん」


 にこり、微笑みかけると――わっ、と人々は歓声を上げた。

 それ以上は何も言わず、民衆の畏敬の眼差しを浴びながら、粛々と歩み直すレナリア。


 しかし今、民衆の目にも映っていないかのようなナクトだけが、気付いていた――今しがたレナリアの浮かべた微笑みが、〝偽り〟のものであると。

 少し気にかかるナクトだったが、レナリアも察しているのか、彼にだけ聞こえるように語りかけていた。


「大丈夫です、ナクト師匠。私は……決めましたから。この〝偽り〟を、〝真実〟に変えてみせると。強くなる、と。だから……大丈夫です」


「……ん、分かった。まあ、確かに大丈夫だ。俺が、ちゃんと分かっているから、な」

「っ。……はい……はいっ、ナクト師匠っ♪」


 今、彼女が見せた笑顔は、本物――まだ付き合いの短いナクトでも、他の誰よりも、ちゃんと分かっていた。

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