第32話 最低な私

 入口近くに立っている店員がぎょっとした顔でこちらを見た。ずいぶん泣きはらしたことで私の顔はかなり痛々しいものになっているようだった。


 店内を歩きながら、死んでしまいたい、と思った。その言葉は浮かんできてから、ずっと頭の中を飛んでいた。

 

 しかし、今、私は、死なずに食べ物を口に詰めている。南が買ってきてくれたチーズケーキはぐちゃぐちゃになっていて、ボロボロとこぼしながら口に運ぶ様は自分で想像しても滑稽だった。

「めぶさんはそうやって生きてきたんですね。」

 あの夜のことを思い返してチーズケーキがしょっぱくまずくなった。

 

 食べ物も喉を通らないという状況になったことがなかった。インフルエンザになったの時も、小学生の頃女の子たちに無視された時も、自分の太った体を見て醜いと泣いた時も、死にそうだと思えば思うほど、私は食べた。そして今もこうして食べている。


 買い物に行く前、南がバイトから帰ってきた。

 私の顔を見て、何かあったらしいと察した南は隣に座ったが何も言わなかった。

「藤重と別れた。」

 私がそういうと、南は「そっか」と言ってまた黙った。


 カラオケでも行こ!とか、じゃあ今夜は飲み明かそう!とか、そういうスマートな定型文が言えないところが藤重そっくりだった。


 1時間私の側で黙っていると、南はおもむろに立ち上がりどこかへ行ったと思うと、小さなレジ袋を下げ、帰ってきた。


「大牧さんが好きって言ってたチーズケーキだよ。」


 それは私が好きだと言ったチーズケーキとは違うコンビニのもので、南はそのことに全く気付いていないようだった。


 こんな人と付き合えば、藤重は幸せになれたのだろうな。

そう思うと、私はチーズケーキを床に投げた。

「一人になりたいからどっか行ってよ!」


 そう叫んだのは感情に任せて、というわけではなく、いけない、と自分で分かっていての行動だった。もっともっと最低になってしまいたかったのだと思う。自分をもっと傷つけたかったのだ。しかし、それは当たり前に南をも傷つけた。南は涙ぐんだかと思うと、そっか、ごめんねと言って出て行った。


 私はその日から以前のように、またはそれ以上に食べ続けた。途中、南が荷物を取りに帰ってきたが、私は彼女に顔を合わせることはできず、トイレに閉じこもっていた。南はまだ解約していなかった自分の家に帰っているらしく、私を心配し、なんかあったら連絡してねとトイレの壁に向かって優しく言って出て行った。


 そして私はバイトにも行かなかったし、ゼミにも行かなかった。

  誰とも会いたくない、そんな恰好をとって、一人ぼっちになった自分に酔いしれて、泣いて、食べていると安心した。どんどん太って醜くなっていく自分を見ると、吐き気がした。けれどやはり吐くのは怖かった。死にたいなどと言って、死ぬのは怖かったし嫌だったからだ。私は最低で醜くて小心者だとうつむいていたが、結局その姿勢が一番楽だった。


 そんな生活が1カ月ほど続いたころ、私はダイエットする前の体重がかわいく思えるくらいにはデブになっていた。

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