第33日-10 それは祈るような

 俺の銃弾を躱していたピートの姿が消える。オーパーツだ。使われることを予想していた俺は、冷静に《ムーンウォーク》のスイッチを入れて、上へと思いっきり跳躍した。頭と足が上下入れ替わった体勢で、人の背丈の二倍くらいの高さに達したころに下を見てみると、先程俺が居たあたりにナイフを持ったピートが居る。背後を取ったつもりだったんだろう。なのに殺しそこなって、悔しそうだ。

 そのまま空中で、氷の弾を撃ち込んだ。時間遅延を使われて逃げられるのが分かっているので、銃弾をばら撒くようにして撃つ。ピートの姿があちらこちらで現れたり消えたりを繰り返した。残念ながら弾は当たらない。

 放物線を描いて着地した俺は、直ちにもう一度空中へと跳躍した。そして、同じことを繰り返す。できるだけマーティアスと距離を取るように。リュウライがピートに妨害されないように。


 ピートのオーパーツは、より近い人間を時空の歪みに引き込むという性質を持つ。停止した時間の中に引き込まれる、とでもいうべきか。つまり、奴の近くに居れば、奴と同じように停止した時間の中を移動できるというわけだが、残念ながら俺はリュウライと違って接近戦には向いていない。超弱い。だから、この作戦は俺には向かない。

 それで考え付いたのが、空中へと逃げる方法だ。ピートの奴がいくら時間を止めたところで、俺が跳んだ高さへと追い付くことは不可能だから。

 ……まあ、相手に飛び道具があったり、俺と同じようなオーパーツがあれば、話は変わってくるんだけどね。


 嫌な予感は的中するもので、ピートはスーツの裏ポケットから拳銃を出してきた。空中に居る俺に向けて発砲。冷やりとしたが、幸いにして銃弾は外れた。

 飛び道具があるんなら、空中は身動きできず不利になる。作戦変更。着地と同時にブーツのスイッチを切って、地上戦へ移行する。もちろん接近戦なんてもってのほか。できるだけ距離を取って銃で応戦。

 相手も、俺に近づけば同じことの繰り返しだと分かっているからか、オーパーツを使うことなく拳銃で対応してきた。銃撃戦だ。鉛玉が当たるかもしれないという恐怖を押し殺しつつ、狙いが定まらないようにできるだけ不規則に動き回る。

 ピートは、接近戦を得意としている分、銃などの扱いには慣れていないらしい。俺を狙撃することもなく、あてずっぽうに弾をばら撒いている印象だ。散弾だったらそれも怖いが、単発式なのでさほど脅威にはなり得ず、俺のほうは比較的余裕をもって相手を狙うことができた。カートリッジを交換。銃を持つ手を狙い、電気弾を打ち込んだ。

 高電圧の紫電に、ピートは銃を取り落とす。


「銃の腕は、俺のが上みたいだな」


 気取ってうそぶいて見せる。このくらいの余裕を見せないと、マジで恐怖でどうにかなってしまいそう。

 果たして、はったりが届いたのか否か。


「違う!」


 突如響き渡った叫び声に、俺たち二人の気が逸れた。視線の先にあったのは、リュウライがロッシに歩み寄っている光景。

 リュウライは、お得意の紅閃棍を振り回すことなく、言葉でもってロッシを止めようとしていた。


「検証した! 何度も!」


 いったい何を言ったのか、リュウライに食って掛かるロッシは、動揺を隠せていない。一度下ろしかけた銃を再び持ち上げた両腕は震え、照準が定まっていなかった。リュウライは冷静に黒い眼差しをロッシに投げかけている。

 護衛対象のピンチを感じ取ったのか、ピートがオーパーツのスイッチを押した。姿を消すピート。その先を予想して、銃を撃つ。脚に当たった電気弾が強烈な痛みを齎したのか、相手は走り出した身体をよろめかせた。その隙に接近し、足払いを掛け、床に倒れた身体をねじり上げる。背を膝で押さえ、ピートの手からオーパーツを取り上げると、すぐさま手錠をかけた。


「スーザン!」


 狼狽するロッシに、ピートは声を張り上げる。


「スーザン! 早く、起動を!」


 冷酷な殺し屋のものとは思えぬほどの切羽詰った声だ。しかし、リュウライに相対しているロッシには届いていないようだ。リュウライの言葉にゆるゆると首を振り、少女のような頼りない姿で佇んでいる。

 まるで、七年の時を戻したような。


 ばたばたと膝の下でピートが暴れる。こいつ、手が動かせない状況でも起き上がる気だ。俺の拘束から逃れようと必死に身を捩っている。


「スーザン!」

「諦めろ」


 膝に思いっきり体重を掛け、両手をピートから話すと、銃のカートリッジを交換した。奴の脚を凍らせて身動き取れないようにする。それからロッシのほうへと歩いていく。

 ロッシは力強く唇を引き結び、立ち尽くしていた。俺が歩み寄っても、逃げたり抵抗したりする素振りを見せない。


「マーティアス・ロッシ」


 呼びかけても彼女はぴくりとも反応しなかった。その手を掴み、持ち上げる。


「オーパーツの不法所持ならびに不正使用――〈未知技術取扱基本法FLOUT〉違反で逮捕する」


 ロッシの右手を掴んだまま銃とオーパーツを取り上げると、その右手をリュウライに示した。


「リュウ、手錠」


 促すと、リュウライはぼうっとした様子のままふらふらとロッシの下に寄り、手錠をかけた。

 かしゃん、と軽い音。

 リュウライの肩から力が抜ける。彼女の手元に視線を落としたままのリュウライは、疲れが一気に押し寄せたのか虚ろな表情をしていた。

 その肩をポンポンと叩く。


「お疲れ、リュウ」

「……はい」


 返事はあるが、未だ呆然としている様子だ。そんなリュウライの肩をもう一度叩くと、俺は立ち上がった。身体を反らせてほぐしつつ、部屋の真ん中にどでんと居座ったオーパーツを見上げる。機械類は今も待機状態。あとどれだけの工程を必要とするのかは知らないが、こいつはまだ〝過去に行けるオーパーツ〟というわけだ。


「まー、なんつーはた迷惑なもんだよな、これは」


 後頭部を掻き、溜め息を吐く。こんなもんがなければ、七年前の悲劇も今回の事件も起こらなかっただろうに。

 徐に機器に近づく。ぱかぱかとプログラム言語の末尾を点滅させる画面の後ろに手をやると、配線の束を掴んだ。


「やめて!」


 呆然自失としていたロッシは、我に返ったのか声を張り上げた。


「お願い、やめて! あと少しなの! 本当にあと少しなのよ!」


 ロッシの碧い瞳からは、これまでの、非人道的な行為も辞さない狂気の色が消えていた。そこには取り残された一人の女の切実な想いが浮かんでいるだけだった。


「あの事故から、アヤを救い出したいだけなの! ただそれだけなのよ! シャルトルトをどうしようとか考えていないの。そんなことはどうでも良い。ただ、あの日の間違いを正そうと……それだけなの!」


 だからお願い、やめてください。膝を付き、懇願するようにロッシはすすり泣いている。

 だが、俺は手の中の配線を固く握りしめ、力任せに線を引っこ抜いた。ロッシの悲鳴が聞こえるが、構わず機器の配線を次々に強引に抜いていく。モニターが消え、オーパーツと機器が切り離される。


「どうしてっ!」


 手錠をかけられているのも忘れて俺に駆け寄ろうとするロッシの身体を、リュウライが引き戻した。それでもなお身を捩る姿が哀れに映る。


「ロッシさん……あんた、間違ってるよ」


 手に残った配線を床に放り捨てながら言うと、ロッシはショックを受けたのか表情を固まらせた。


「アヤさんのことは、本当に不幸だったと思う。認めたくない気持ちも分かる。でも、アヤさんが死んだ後のこの世界が――現在が間違っているなんて、そんなことないんだよ」

「違う、違う、そんなことない! アヤが居ないこの世界が間違ってる! だって、いつだって、あの子のほうが正しかったんだから!」

「――本当に?」


 髪を振り乱して叫んでいたロッシが、リュウライの一言でびくりと肩を震わせた。


「アヤ・クルトが言ったんですか? 〝私の言う事がいつも正しいんだ〟と」


 振り返ったロッシは、幽霊でも目撃したかのような青白い顔でゆるゆると首を振った。


「そんなこと、アヤが言う訳が……」

「こう言っていませんでしたか? 〝秤にかけるものが違う〟」


 リュウライを見上げて、ロッシは絶句する。淡々と言うリュウライの表情はあまりに冷たく、傍目には恐ろしく映るだろう。事実、ロッシは反論の言葉を失っているようだった。だが、握りしめられた拳が震えているのに俺は気がついた。努めて冷静であれ、とリュウライは自分に言い聞かせているのだ。


「〝いつだってあの子が正し〟。――過去の話ですね」

「そうよ、だから私は……」

「一つだけ、解っていることがあります。都合の悪い事実を無かったことにすること、捻じ曲げることは間違いだ、ということです。研究者が実験結果を捏造――あり得ますか?」


 痛いところを突かれたのか、ロッシが大きく目を見開いたまま固まった。


「いまこのときに、正しいも間違いもありません。起きてしまったことは変えてはいけないんです。〝決められた領域を越えてはいけない〟んです」


 ロッシは大きく目を見開いて絶句した。愕然とした表情のまま視線をオーパーツに向ける。アヤ、とその口が動いた。それはきっとアヤ・クルトの台詞なんだろう。相変わらずリュウライの記憶力には驚嘆する。


「もう一度尋ねます。マーサ、アヤが生き返って、それで本当にあなたは救われるのですか?」


 学生時代の愛称と思われる呼び名で呼ばれたロッシは、反応しなかった。


 ロッシに抵抗の意志がなくなったのを感じとり、俺は大きな円筒形のオーパーツの整備用の扉部分に手を掛けた。中を開けるとさらに防護用の透明カバーがあったので力任せに剥がす。硬かったが人力で壊れる程度のもので、めきめきと音を立てて剥がれていった。


『リルガ? なにしているんですか?』


 無線のマイクが音を拾ったのか、ミツルが不審そうな声を出す。だが俺は構わずに、剥がれたカバーを勢いそのままに床に放り捨てた。床に当たって跳ねて、大きな音が鳴る。


『リルガ、本当に何をしているんです?』

「んー? いやぁ、こんな危ないもの、壊しちまおうかなーって」


 ミツルが動揺している様子が、無線越しにも伝わる。普段の様子から考えられない慌てぶりで俺を制止しようと呼びかけるが、無視。内部を観察して何処を壊せばいいのか見当をつける。その間にミツルはいくら俺を止めても無駄だと気付いたらしく、リュウライに俺を止めるように呼びかけたり、局長を呼びにいったりしていた。軽くパニック状態になっているかもしれない。ちょっとだけ罪悪感を覚えて、心の中で手を合わせる。

 が、破壊活動のほうは止めなかった。変換部らしきものを見つけ出すと本体から無理矢理引っ張り出して、床に叩きつけてぶっ壊した。念入りに、足でも踏み潰しておく。それから銃を取り出し露出した内部に向けると、電気弾を次々と撃ち込んだ。

 その間、リュウライもロッシも俺を止めることはなかった。ただ呆然と俺の破壊活動を見守っている。


 ふと、六年前のことを思い出した。

 父を狂気に陥れた箱を壊す、アーシュラとキアーラの姿。あの凶行を、彼女たちはきっと祈るような気持ちでしていたに違いない。

 もうこんなことがないように。

 誰も、気の迷いを起こさないように。

 今の俺も、同じような気持ちで、このオーパーツを壊している。


 手に持つレンズのような部品を床に捨てて踏みつける。これで一通り暴れ終えた。息を吐くと、背後を振り返る。


「……始末書もんだな」


 おどけながら言うと、リュウライは呆れたのか、それとも失笑か、軽く口元を歪めてみせた。


「……そうですね」

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