3-2 言いたいことはそれで全部ですか?

 二人は店の奥の二人がけの席に、深津が壁際で狩科が通路際に座る。深津は飲み物も飲まず前に身を乗り出す。

「狩科さんは、いつからMECを知っていましたか? いつ実験を知りましたか? どうして自分が被験者になろうと思いましたか?」

 矢継ぎ早の質問に、狩科は両手の手のひらを向ける「どうどうどう」のポーズで深津を制する。

「僕はプレスリリースで臨床試験を知りましたけど、深津さんはスタッフでしたよね。深津さんの方が事情を知っているでしょう。先に教えていただけませんか」

 深津は少しだけ考えて、後ろに身体を引いた。

「失礼しました。自分を紹介するのが礼儀でしたね」

 深津は落ち着いた様子で話し始める。

「私は九里谷研に所属しています。まだ修士課程に上がったばかりで、研究室の中では雑用係ですけれども、いずれはMECの中核に関わる研究に携われるよう努力しています。私が高校生に上がった頃に、電子神経共鳴を用いた開頭手術を必要としない電動義手が開発されて、これからは人間の意識とコンピュータネットワークが接続する時代だと考えました。大学入学時から九里谷研を志望していて、研究室の末端に位置することは幸せだと考えています」

 深津がしゃべる姿は、狩科には研究室のプロモーションビデオに見えた。淀みのない語り。あふれる希望。それらが感じさせる、明るい未来。

 そこに、狩科はちょっと意地悪な心持ちになり、一つ質問する。

「事前説明会で受付嬢をしてましたよね。やっぱり雑用係だからですか?」

 深津が少し不満げになる。

「教授から、君がいると華があるから、って。あ、私がきれいだとか、そういう意味じゃないですからね」

 狩科は自分で質問しておいて自分でひがんだ。

 そういう意味じゃない、と否定するということは、そういう意味なのだ。

 深津は自分の容姿が美しいことを知っている。他人が見蕩れるのもひがむのも知っている。彼女はずっと美人だけが経験する世界を生きてきたのだ。同じ地上にいて、狩科とは違う世界を生きてきたのだ。人は必ずしも同じ世界を生きるわけではないのだ。

 狩科には、一点の傷もない深津の希望がまぶしく、まぶしすぎた。どうしてそこまで未来を信じられるのか、容姿とは別に、未来に見えるものも違うのではないかと思えた。

「深津さんは、どうしてそんなにMECに夢を抱くのですか?」

 深津はためらいがない。

「MECを志す人は同じ思いではないでしょうか。狩科さんも夢を持つのでしょう?」

 その素直さが狩科にはまぶしい。

「いや、もしかしたら違う考えかもしれません。深津さんの思いを、一度きちんとお聞かせ願えませんか」

 夢にあふれる深津には狩科にさした影が見えない。夢を同じくする人間と臨席している気楽さがあふれている。

「MECが人間の精神とコンピュータプログラムの協調動作による知的生産の最有力候補だからです」

 深津は、顔についた両眼も、精神も、まっすぐ先を見つめる。

「この数十年、コンピュータは発展を遂げ、大量なデータに基づいた学習が有効な分野においては既に人間を凌駕しています。シンギュラリティもまったくの夢物語ではなくなりました。しかし、データが少ない領域での推論、非科学的に言えば創造力の世界において、人間はいまだにコンピュータが持てない能力を有しています。コンピュータが人間を駆逐するのではないかと一部の過激思想家から攻撃される現代において、人間が知的生産の参加者として生き残るためには、人間の長所を生かしつつ、短所を補う必要があるのです。人間の短所である、学習スピードの遅さによる知識量の制約を、コンピュータに格納された情報を記憶として直接利用できるようにして克服する。それが人間が生き残る道なのです」

「そうでしょうか……」

 狩科は思わずつぶやいた。彼の表情は深く沈んでいる。希望をなくしたかのような落ち込みに、深津はようやく狩科の異変に気づく。

「そうでしょうかとは、どういう意味ですか?」

 深津の問いかけに、狩科は深津の目を見られず、目線を自分のコーヒーカップに落とす。彼は、自分の言葉を深津に届けたいような、届けたくないような、あいまいな気持ちのままで語り出す。

「人間が生き残る、というより、生きることを許される場所は、知的生産だけではないと、いや、知的生産でないところで生きるように迫られるのではないかという気がします。AIはあれだけ進歩したのに、ハードウェアの進歩は物理法則の制約もあって極めて遅いです。深津さんが深夜の牛丼屋で牛丼を食べるのか知りませんが、牛丼屋をワンオペできるロボットはいまだに開発されていません。人間はハードウェアとして優秀なんです。そんな優秀なハードウェアが世界には数十億あって、そのうちのかなりの数が失業の危機に瀕している。そんな、高性能なロボットが世の中であぶれている状態での生かし方を考えたとき、人体のロボット化を考える人はゼロとは思えません。人間に、必要なときに知識を与え、本人の脳に知識を保存させず、不要になったら知識を取り上げる。知的生産に限らず生産の根底にある知識と技能が雇用者側にあるのですから、人間はいくらでも取り替えが利く存在になります。事前説明会で、MECがあれば勉強しなくていいのかと聞いた人がいましたよね? 彼は、勉強して知識が自分に残ることの価値と、知識が外部にあっていつでも没収可能になることの怖さが分かっていないんです。実現したとき、他人のせいにしたがる彼のことですから、こう言うでしょう。『なんで取り上げるんだよ!』って。そうなったら遅いのに……」

 最後まで言い終えたとき、見逃してくれたのかと狩科は思った。しかし。目を上げると、美しい深津の顔がうっすら怒りに染まっている。

「言いたいことはそれで全部ですか?」

 深津は、それまでの声よりやや低く、氷のような冷たさで問うた。

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