第一章 夢のような装置をつけたくて

1-1 彼は技術を使うことが夢だった、前からずっと

 今年は、かつて「新型コロナウイルス」と呼ばれた感染症が下火となった年に生まれた子が大学に入った。新入生から「大変な時代に生まれたんですね」と二年ほどの差をいじられた学部三年生は、自分がおじさんになったような気がした。

 四月も第二週に入った。大学では学生が、講義ごとの単位取得の難易度を感じ取り、どの講義で単位を取ろうかと考え始めている。

 昼休みが終わった後に講義がないからと、まだ学食の椅子に座る彼は、来年の研究室所属に必要な単位は揃いそうだ。しかし個人的な想いから、取った単位の評価がさほど高くないことを気にしている。

 彼は、今日の昼休みに昼食を食べた後、自分のスマホ(この呼び名は二十年変わらないという)で学内に公開されている講義実施要綱を確認していた。

 それが、気まぐれに違うページを見たとき、ある文字列が目に飛び込んだ。

 その後は講義実施要綱はそっちのけ。

 その文字列に関係するページを隅から隅まで調べて、昼休みが終わってしまっても席を立てないでいる。まあ、今の時間は追加で取れる講義がないから結果オーライ。そう思って自分を納得させている。

 そして夢中になりすぎて、後ろから女子が近づいていることに気づかなかった。

「キョ~ンタン! 何見てるの?」

 彼は不意打ちを食らって、とっさにスマホの画面を左の手のひらで覆って、首だけ振り返った。

「来海(きまち)さん、驚かすのはやめて……」

「ちょっとぐらい刺激がある方が生活に彩りが出るでしょ」

 まるであなたのためだと言わんばかりの物言いをして、女子は彼の右隣の席に座った。

 キョンタンと呼ばれたのは狩科恭伽(かりしな きょうが)君、学部三年生。やや高めの身長と切れ長の目に鼻筋の通っている顔。それらをうまく使えば好印象を与えられるのだが、まず目につくのは安いカット専門店で切りっぱなしの髪と何年も着てヨレヨレになったシャツとスラックス。彼が人目を気にする余裕がないことがよく分かる。

 隣に座ったのは来海花芽子(きまち かがね)さん、同じく学部三年生。「海」の文字を「まち」と読むのは先祖代々の苗字だから仕方ないとして、「子」を十二支のネズミの「ね」と読ませるのはキラキラネームもびっくりの強引さだ。丸い顔、丸い目、それらに合わせた丸い眼鏡。ボブカットの頭とパンツルックがよく似合う快活な雰囲気だ。イメージとしては小動物だが、手を近づけると軽く噛みそうないたずらっぽさがある。

 狩科は左の手のひらで画面を隠しながら、スマホを背面を上にしてテーブルに置いた。

「別に、なんでもないから」

 来海はテーブルに置かれたスマホを見てから狩科の顔をのぞき込んだ。

「別に、もう大人だからそういうサイトを見てもいいけど、公衆の場では控えた方がいいよね」

 狩科は大慌てで首を高速に左右に振る。

「違うよ。学内ネットだから」

「え? 今頃シラバス(※講義実施要綱)見てるの? ちょっと出遅れてない?」

「シラバスも見てたけど、今見てたのは別のページ……」

 狩科が言い終わる前に、来海はスマホを隠す狩科の右手の上に自分の右手を置いた。ふいに女子に手を触られて、狩科の心拍数が上がる。不意打ちが効いたことを見て取った来海は狩科に言う。

「やましくないなら見せて」

 狩科は今していることがやましいような気がした。やましさから逃げたくてスマホを持ち上げて来海に見せた。来海は狩科のスマホを手に取ると、表示されているページの先頭から読んだ。そして怪訝な顔をした。

「これ、他人に記憶を植えつけるやつでしょ。ちょっとやばくない?」

「それが欲しい人には欲しいんだけどね」

 狩科は弱い声音で言い訳した。


 五本の指の関節まで全て動かせる義手の手術に成功したのが四年前だった。

 脳と電子回路の接続。

 それは長年の夢であった。

 開頭手術は避けられないんじゃないか。そう思われた時期が長かった。

 後頭部に密着させたレシーバーから、脳内の神経細胞をピンポイントに選択して共鳴させることで、開頭手術を行わず神経と電子回路を接続する技術が開発されたのが七年前。これで世界の潮流が大きく変わった。健康な人間への応用に安全面と経済面でのハードルが大きく下がったからだ。

 まず最初に開発されたのが義手・義足だった。後頭部に密着させたレシーバーと、そこに電源と通信機能を提供するトランスレータを襟元につける。そして無線によりアクチュエータを制御することで義手・義足が利用者の意思に沿って稼働するようになった。最先端医療であって医療保険は利かないが、富裕層にとって治療の選択肢の一つとして広がりはじめている。

 しかしメカニズムとの接続は、ロボット工学の現時点における物理的限界もあり、電子回路の可能性を生かしきれない。携わる研究者にはもどかしさもあった。

 一部の研究者が目指したのは、純粋な情報の交換。


 来海が見ているページには「工学部生物情報工学科 九里谷(くりや)研究室」とある。

「キョンタン、九里谷研に行きたいんだよね?」

 狩科はこくんと首を縦に振った。それを見る来海の顔は明るくない。

「九里谷研、人気だもんね。キョンタンの成績だと難しいんじゃない?」

「そうなんだよね」

 事実を突かれた狩科は視線を落としてしまった。


 精神の活動を計算機に反映させられるか。計算機を「神経」を超えて「精神」に接続できるか。それは夢の中の夢であり、欲も絡んだ野望でもある。

 精神は人間に固有の活動であり、動物実験ができない。それでも、義手・義足利用者の協力(いくらかは謝礼もあった)を得ながら知見は蓄積された。

 そして人間の記憶と計算機に蓄積された情報を直接接続できる可能性が見えてきた。

 Memory Extended by Computer

 略称 MEC(※「メック」と発音する)

 計算機の情報を人間の記憶の一部として扱うシステムが形になりつつある。

 ここ東城大学は工学部と医学部を備えた総合大学であり、大学内で研究に必要な体制が揃う好条件を有している。

 神経と電子回路を接続するシステムを研究する体制は色々考えられるが、ここ東城大学では工学部が主であり医学部が従である。ハードウェアとソフトウェアの基礎技術を工学部が持っているからだ。プライドの高い医師たちには不満の残る体制だが、肝心要を押さえられているので飲まざるを得ない。

 プロジェクトの中核が九里谷研。

 義手・義足を開発していた時期から世界のトップグループの一角である。世界で飛び抜けた存在ではないが、決して遅れてはいない。

 狩科と来海が見ていたページは、MECを人間に適用する実験が、学内の倫理委員会を通過して、本格的に開始される、それを公表したプレスリリースだった。本年中に実験を開始するグループは世界に複数あり、先頭集団に入った格好だ。


 来海は軽口を叩く。

「まあ、九里谷研には入れなくても、人体実験を受けて研究に貢献することはできるかもね」

 それを聞いた狩科が神妙な顔をしたので来海は慌てる。

「まさか、それ狙い? それ、ヤバいでしょ、普通の意味で。自分のものじゃない記憶を入れるんでしょ? 倫理面で問題が多いから倫理委員会がもめたんでしょ。そんな危なっかしいもの、自分でやらない方がいいって。それに、実験データの中立性から考えても、関係者である東城大学の学生を被験者に選ばないって。今から猛勉強して、他人にやらせる側になろうよ」

 狩科は来海から目を逸らした。半分は来海に、半分は自分に言い聞かせるように言葉を絞り出す。

「自分が技術を作る側になりたかったのか、技術を使う側になりたかったのか、よく分からないんだよね。使う側でもいいのかなって」

 来海は左手で狩科の背中をはたいた。狩科が咳き込む。

「キョンタン! 成績が悪いからって楽な方に逃げちゃ駄目。夢は夢で追いかけようよ」

「ありがとう、来海さん」

 狩科には当たり障りのない言葉しか言えなかった。

 そのあとたわいない会話をして、次の講義が始まる直前に二人は席を立った。

 来海にはああ言ったものの、狩科の気持ちは固まっていた。

 彼は技術を使うことが夢だった、前からずっと。研究室に入りたかったのは近くにいれば使う機会があるかもしれなかったから。

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