第32話 宗看・看寿にまつわる伝説について

 伊藤宗看・看寿兄弟には、現代にまで残るがある。

 中でも有名なものが三つほどある。

 ここに紹介しよう。


 一つ目は『看寿が十三歳にして将棋図巧の百番を作成した』というもの。

 看寿が幕府に献上した『将棋図巧』は百題から成る。

 つまり、巻尾かんびを飾った大作『寿ことぶき』を数えで十三歳――およそ、小学六年生の頃に作ってしまったというのだ。

 看寿に神童という名を与えられた大きな理由の一つである。


 二つ目は『看寿が三年間の謹慎処分を受けた』というもの。

 看寿は幼い頃から神童として名高かった。

 七歳で詰将棋の講評をし、十三歳で『寿』を作り上げた天才。

 実際、献上した『図巧』は天才が作り上げたに相応しいものだったため――時の将軍が看寿の頭脳を恐れて、三年間の閉門(謹慎の意味)を命じたというのだ。

 柳営りゅうえい(幕府のこと)にとって、看寿の頭脳はそれくらい恐ろしいものだった。

 これにも時代の理由がある。


 看寿が図式を献上した数年前に、由比正雪の乱や戸次庄左衛門の乱などが起きていた。

 天才は世を乱す――そういう風潮が幕府に生まれていた。

 そんな中、松平伊豆守以下幕府の小吏たちのところに献上されたのが『将棋図巧』であった。


 ――


 その結果、看寿を閉門にしてしまったというのだ。

 能ある鷹は爪隠すことが求められた時代だったのだろう。

 

 そして、三つ目が『看寿が閉門された件で、宗看が自分の『将棋無双』にあえて解答をえなかった』というもの。

 宗看自身もという判断をしたのだ。

 そして、解答がないのに『将棋無双』はあまりにも難解すぎた。

 本当に解けるかどうか誰にも分からず、『将棋無双』には『詰むや詰まざるや』なんて異名が生まれたらしい……。



 

 これは根も葉もないどころか、煙も立たない大噓だった。


 まず、『将棋無双』は『将棋図巧』より先に献上している。


 ちなみに、『象戯作物=将棋無双』は一七三四年(享保十九年)、『象戯図式=将棋図巧』は一七五五年(宝暦五年)に献上している。

 宗看と看寿の年齢差は十三――そう考えると先に『無双』が完成しているのは当たり前の話である。


 つまり、第三の伝説がただのほら話なのは間違いない。

 『将棋無双』から解答が紛失していたのは、献上された側の単なる不手際であった。

 二つ目の伝説に関しても、看寿が閉門されたなんて記録は一切ない。


 ちなみに、一つ目の伝説に関しては少しだけ根拠があった。

 以前も紹介したが、幕府の儒者・大学頭である林信充が残した文章である。


年方まさに七、八歳、たまたま贏局えいきょくの書をけみして、顧みて宗看に謂いて曰く、幸に二桂馬を獲ば、則ち巧思千著こうしせんちゃくせんと。宗看恐愕して、非常の児たるを知るなり。』


 これは『将棋図巧』の序文からの抜粋である。

 そして、その続きが次になる。


『年十三、贏局図えいきょくのずを作る。今此の巻尾に在り。』


 将棋図巧の巻尾にある作品が『寿』である。

 巻尾の作品を十三歳で作ったと序文に書いてあるのだ。

 故に生まれた伝説であるが、たとえば、筆者が参考にした東洋文庫版『詰むや詰まざるや』の解説をしている門脇芳雄氏は第九十七番がその贏局図ではないか、と予想している。

 筆者も調べていて論拠は異なるが、恐らくは『寿』ではなかったのではないか、と考えている。


 しかし、それらの伝説が生まれるほど『将棋図巧』と『将棋無双』の二作品は素晴らしかったのだ。

 そして、その伝説が二百年以上も信じられ続けるほど宗看と看寿兄弟は将棋が強かった。

 これらは紛れもない真実である。

 人の心が信じたいと思った伝説であった。


 いかに素晴らしい作品だったかは本章で語っていくとして――ここまで三つの伝説を噓と断じていたし、手のひらを返すようで申し訳ないが――筆者は本作を執筆するにあたり、を見つけてしまった。


 それは『』というもの。

 根も葉もなくても花が咲くことはあるし、煙の正体は火種だったのではないか……そんな疑念が生まれたのだ。


 この物語を書きたいと思ったのは、そのを提示したかったから。


 今から始まるのがその物語。

 ここまで語ってきたのは全ては序文。


 現代にも詰将棋作家としての顔と超一流の棋士の顔を併せ持った人間はそれなりに存在している。


 たとえば、名人としては九代大橋宗桂の『将棋舞玉』以来、二二五年ぶりに図式集百番『月下推敲』を刊行した谷川浩司。

 史上最年少プロ棋士としてデビューし、数々の伝説を更新し続けている藤井聡太。彼は指将棋の実力よりも詰将棋の創作の方が他を圧倒しているという意見がある。


 彼らに負けない才能を持った『鬼』がいたことをここに記す。


 ――これはだ。

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