第37話 見世物小屋

 呼び込みの声が聞こえてきた。


 笛のみならず、金物も鳴らして耳目を集めようとしている。

 客を呼び込むために手を変え品を変えさまざまな声が響く。

 そこには必死さも無論あるが――生きるために必要なのだから――それ以上に楽しんでいる気配があった。


 ――お代は見てのお帰りでぇい。


 木戸銭きどせんの定型文句だ。

 後払いでも問題ない、それが楽しませる自信の現れだとしたら、なかなか心地よいと宗看は思った。


 行灯あんどんの光に誘われるのような、不安定な動きを見せるのは政福である。

 宗看は離れ過ぎないように末弟の襟首えりくびをつかんだ。


「離れ過ぎだ」

「あ、兄上、苦しいです」

「そんな急いでも仕方ないだろう。別に逃げるわけではない」

「しかし、こんなところに来たのは初めてですから!」

「いや、そんなことは……え、そうだったか?」

「はい!」


 興奮が抑えられないという様子の政福に、宗看はやや罪悪感を覚えた。

 最後にこういう場所へ連れてきたのはいつ以来だったか……と思い出そうとする。


 ああ、そうか、あれは象を見に行った時だろうか。

 そう考えると、ずいぶん昔のことだった。

 ただ、政福はあまり成長していない。

 目の中の好奇心の光が変わらないのだ。

 それに比べて看恕は大人びた様子で、弟をたしなめる。


「政福、もうちょっと落ち着けよ」

「しかし、看恕兄上も楽しみにしていたではありませんか」

「いや、俺は違うというかな……」


 看恕の視線が一瞬だけ横を向く。

 その先にいたのは、仏頂面の少女だった。

 思わず、宗看はクスリと笑ってしまう。

 彼女こそもうちょっと楽しそうにすれば良いのだ。

 しかし、その頑なさは政福とは違った意味で幼く見える。

 彼女は視線が集まったことに気づくと、どこか言い訳のように言う。


「私は、その、父さんが来いって言うから……」

「その割には一茶ちゃんも楽しみにしていたよね?」

「……よけいなことを言うのはこの口かしら」


 政福の頬をつねっている一茶は口で言うよりは確かに楽しそうである。

 キャッキャと楽しそうな政福をどこか羨ましそうに見る看恕。

 子どもたちの表情を見ながら宗看は苦笑する。

 市十郎と目を合わせてから、なんとなく独り言のように言う。


「将棋ばかりでは視野が狭くなるからこういう場所もたまには良いだろうさ」

「それを言ったのは自分ですけどね」

「ま、俺もそれに耳を貸す程度には視野が広いってことだろうさ」


 その日、宗看は市十郎とともに子供たち――看恕、政福、一茶の三人を引き連れて見世物小屋へやって来ていた。

 念の為に宗寿も誘ってみたのだが、当然のように断られた。

 曰く、将棋の勉強がしたいから、と。

 それは無理をしている様子もなかった。

 大橋本家当主として自立したということなのかもしれない。

 正直、宗看としてはやや寂しさも実は感じていた。

 しかし、それよりも喜びの方が大きかった。

 断るという判断も、それはそれで尊重できることだからだ。


「でだ、見世物小屋とやらなんだが……なんだ、これは」


 なんだ、これはとしか言いようがなかった。

 いかにも珍妙な見世物たちがのぼりを立てて他の店を威嚇いかくしながら、客を引き込もうとしている。

 

 ちなみに、この時代の見世物小屋は一般的な娯楽だった。

 江戸は火事が多かったので火除地ひよけちという延焼防止のための土地があちらこちらに見られた。

 そこに仮設の見世物小屋を建てて客を集め、気軽かつ手軽な値段で芸を披露していたのだ。

 防災性を高めながら、雇用を生み出す。

 つまり、実益を兼ねて土地を有効活用していたのだ。

 非常に合理的な仕組みである。


 見世物小屋を宗看達はひやかし始める。

梯子はしごを走って昇りましたよ! おお、手を離した!」と看恕が目を輝かせる。

『軽業』である。


「扇子であおいでいるのは紙の蝶ですよね? まるで生きているみたいだ!」と政福が驚く。

『手妻(=手品。現代でいうところのクロースアップマジックの事)』である。


 その他、『曲芸』、『水芸』、『からくり』や『生き人形』、『籠細工かございく』など多種多様な見世物があった。

 ガマの油売りが『居合い抜き』を披露している横で、市十郎が宗看に言う。


「どうです、この辺りは見世物小屋が豊富ですからねぇ」

「多すぎだろ。ガキがどれを先に見るかで喧嘩を始めたぞ……」


『生きた河童』か、『水芸』か、どちらを先で見るかで政福と一茶が対立していた。至極どうでも良い。

 看恕は一茶寄りのようだが、正直、どちらでも良いのではないだろうか。

 順繰りに観るだけの時間はあるのだ。

 宗看はポツリと市十郎に訊ねる。


「そういや、あれってどうなったんだっけ?」

「あれ、ですか?」

「ああ、防火対策で建物を瓦葺かわらぶきにせよとお達しの件だよ」

「あー、その件ですか。瓦を使うにも、壁を土で塗り固めるにも、お金がかかりますよ?」

「大岡忠相が南町奉行になってから、やたらと厳しくなってるからなぁ……でも、やっぱり防火効果は期待できるよな?」

「そうですね」

「でも、ない袖は振れないからなぁ……」

「どうします?」

「……建て替える時にはどうにかするから待ってくれ」

「まぁ、仕方ありませんよね」


 世知辛い話を始める。

 そこで我に返った市十郎は「いやいやいや」と首を横に振る。


「止めないんですかい? いや、うちの娘の話でもありますけど」

「いやぁ、これくらいの喧嘩は仲良しの証拠だろうさ」

「まぁ、そうかもしれませんがねぇ」

「それに、別に俺たちが口を挟まなくてもすぐに決着するだろうしな」


 宗看の予想は的中する。

 どうやら、二手に分かれる形になりそうだった。

『生きた河童』が一茶で、『水芸』が政福か。

 さて、看恕はどちらに行くのだろうか。


「市十郎は『生きた河童』で良いよな」

「いいえ、自分は『水芸』にしますよ」

「? 娘と同じところの方が良いだろう?」

「いいえ、最近、自分とは一緒にいたくない感じですから」


 反抗期というやつか。

 そういうことなら、それはそれで構わない。

 宗看はぼやく。


「しかし、喧嘩をするほど多くてどうするんだよ。観客はどれを見るか迷うだろうがよ」


 市十郎は笑いながら宗看の間違いを正す。


「いやいや、旦那。それが良いんじゃないですかい」

「は? 迷うのが良いのか?」

「違いますよ。迷うくらい多くて、自分たちで選べるのが良いんですよ。そうやって考えるのが楽しいんじゃありませんか」

「選ぶのが楽しい……そういうもんかねぇ」

「いくら面白くても、一つしかなかったら人は飽きちまいますよ。選べるってのは贅沢ぜいたくなんですよ」

「贅沢……ふむ、なるほど。一理あるな」

「ま、せっかくなんで楽しみましょうや。橋のたもとで半刻後に待ち合わせでどうですかい」

「ああ、分かったよ」


 看恕はどうやら政福と同じ『水芸』を選択したようだった。

 さてさて、内気さか気恥ずかしさか。

 宗看は内心で苦笑する。

 最近、看恕は一茶のことが気になっているようだ。

 年齢も近いしお似合いの二人である。

 どちらかというと、一茶は政福と仲が良い気がするが、そのあたりはどうとでもなるだろう。


「一茶、『生きた河童』は向こうらしいぞ」

「……父さんじゃなくて、宗看さんなのか」

「ああ、なんだその嫌そうな顔は」

「別に」


 昔からどこか険があるのだ、この少女は。

 その理由は分からないが、大した動機もないだろう。


「お金、ないの?」

「は?」


 唐突な言葉に宗看は耳を疑う。


「さっき、屋根を瓦葺きにするかどうかで父さんと話し合っていたから」

「ああ、今すぐはちょっと難しいってだけだよ」


 政福と口喧嘩しながらもこちらの会話は聞いていたようだ。

 なかなか耳聡みみざとい。

 一茶はどうでも良さそうに言う。


「『お代は見てのお帰り』って事は、木戸銭は帰りで本当に良いんでしょ? 不満だったら払わなくて良いんじゃない」


 どうやら、彼女なりにこちらの懐具合を心配しているようだ。

 宗看は笑い飛ばす。


「この天下の鬼宗看がそんな無粋ぶすいなことをするわけないだろう」

「……それならさっき世知辛い話なんてしないでよ」

「子どもが心配することじゃねぇよ」

「子どもじゃないし」

「さてね、まぁ、いろいろ市十郎の手伝いはしているようだが」

「別にそういう意味じゃないし」


 宗看は一茶の反論を適当に聞き流す。

 さて、瓦葺きが無理なら蠣殻かきがら屋根はどうか。

 そんな相談をしてみようと思いついていたからだ。


 ちなみに、この後、宗看と一茶が見た『生きた河童』はただの禿げ親父が化粧をしていただけだった。

 宗看達は唖然とさせられたが、


呵呵かか、騙された騙された!」

怪生けしょうに化粧ってか!」

「禿げに騙されたわ!」


 と、他の観客たちは笑いながら木戸銭を払っていた。

 なるほど、と先程の一茶と政福の言い合いを宗看は思い出していた。

 こういうしょうもない見世物があるからどちらが先かで揉めていたようだ。


 一茶が嫌そうな顔をする。


「これに御足おあしを払うなんて負けじゃない?」

「騙された俺たちが悪いってことだろうさ」


 事実、こういう怪しげな見世物も多かったようである。

 ただ、それで文句を言うようでは粋ではないのだ。

 それが江戸っ子の矜持きょうじであった。


「く、下らない矜持……」

「ま、こちらを楽しませようって気配は伝わったんだ。その分くらいは敬意として払おうや」

「……宗看さんって、本当に莫迦ですね」

「褒めるなよ」

「褒めてません」

「惚れるなよ」

「惚れてません」


 一茶は宗看の期待通り、軽口にものすごく嫌そうな顔をしてくれた。

 確かに彼女も大人になりつつあるのかもしれなかった。

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