第29話 悪童

 伊藤家の悪たれが!

 どうしてあんな奴が名人に相応しいのか!

 お上は何を考えているのか!

 全く分かっていない、何も分かっていない!

 確かに多少腕は立つかもしれんが、品性下劣な悪童に名人の名はもったいない!


 そもそも、有職ゆうそくで読まれるのも間違いだ!

 宗看の名を継ぐなんてこと自体がおこがましい!

 宗看むねみで十分だ、あんな若造は!

 わしは絶対に、絶対に認めんぞ!


 名人に相応しいのは貴様だ――我が息子よ!

 しかし、宗看を名人にと考えている奴が多いようだが、どうすべきか……。


 そうだ!

 腕比べだ!

 白黒つければ良いのだ!


 争い将棋で決着をつければ文句はなかろう!

 そう、あの大橋宋銀と伊藤印達の争い将棋のように!

 あの勝負は素晴らしかった……。

 若い才能が切磋琢磨せっさたくまする様子はやはり美しい。

 結末こそ悲劇だったかもしれないが、その精神は間違いではない!

 もう一度争い将棋で白黒つけるのだ!


 宋民よ、宗看に勝負を挑め!

 それが最期の親孝行だ!


 そうだ、わしはもう長くない……。

 寺社奉行殿へ提出する書状を書く手も震え、盤の上の駒の字もかすむ。

 わしの前で勝って、安心させてくれ……。


 将棋所の名を、名人を伊藤家なぞにやるな!

 大丈夫だ、貴様は強い。

 安心して勝利せよ。

 貴様が、大橋宋民こそが七世名人ぞ!


   +++


 父はそこまでまくし立てて、大きく咳き込む。

 宗民は慌ててその背中をさすり、布団に横たえて内心で嘆息する。


 老人になると、人は幼さを取り戻すという。

 死を意識し、客観的な認知が弱まるせいであろう。


 生を失うことを直視するには、人間はあまりに儚く脆い。

 聡明だった父も老衰で恨み辛みが噴出するようになってしまった。

 布団に入った状態でもギラギラ目を輝かせる父は、生気に満ちているように見える。

 しかし、もう永くないのはその病的な痩せ方から間違いない。

 起き上がる姿も痛々しさばかりが印象に残る。

 父は宗看に対する怒りで気力を保っているような状態である。

 それは寿命を燃やし尽くしているようだった。


 宗民は見守ることしかできないし、余計な口答えなぞしない。

 宋民は布団からはみ出した足を戻しながら頷く。


「はい、父上」


 その一言で、宋与は安心したように目を閉じる。


「精進せよ……」


 一言呟くとすぐに寝息を立て始めた。

 宗民はほっと一安心し、物音を立てないように部屋から出る。

 そこですぐに、後ろから声をかけられた。

 それは低く抑えた、静かな声だった。


「……寝たのか」

「ええ、お見舞いに来てくれたのに、申し訳ありません」

「気にするな」

「父に代わり感謝します。宗看殿」

「それこそ気にするなよ」


 伊藤家当主、三代伊藤宗看は宋与のお見舞いにわざわざ来てくれていた。

 しかし、父はああいう態度なので、とても会わせられない。

 もちろん、外で会う時は最低限の礼儀作法を弁えてくれているのだが、最近はそれすらも怪しくなっている。

 人は年経て得るものが多いというが、取りこぼすものも多いようだ。


「それで、どうするんだ」

「え?」

「争い将棋、するかい?」

「ははは、ご冗談を」


 宗看は表情としては笑っているが、


「俺としては悪くないんだぜ。受けて立つのもな」


 この言葉は本心だろう。

 勝負をするのが単純に好きなのか、それとも、勝ちが見えている余裕からか。

 あるいは、宗看は兄の印達に対して思うところがあるようだから、それが理由かもしれない。


 宋民としては負け越しが見えるものをやりたくなどない。

 なけなしの自尊心を砕かれるなんて冗談じゃない。

 格付けなんてもうとっくに終わっているのだ。

 負け続けても指さなければならないなんて冗談にもならないのだ。

 宗民は亡き大橋宗銀の事を思った。


 ――貴方は、どうしてそこまで戦えたのか。


 強い――とても強い人だったのだろう。

 もしくは、とても弱くて流されただけかもしれないが、棋譜から透けて見えるのは揺るぎない強さである。

 自分とは違う。


「宗看殿、貴方が次の名人ですよ」

「争い将棋、悪くないと思うんだけどな」


 宗看は自分の方が強く、勝てるから悪くないと言っているわけではない。

 あの伝説の争い将棋は若い対局者二人の死で締めくくられた。

 あれだけの将棋を密に指し続けたのだ。

 それは疲労も心労も溜まるだろう。


 しかし、確かにあの将棋が素晴らしいという父の言葉も間違いではない。

 争い将棋の棋譜は宗民も並べたが、早逝そうせいしてしまった理由が伝わってくるほど熱のこもった素晴らしい対局ばかり。

 棋譜を確認して宋民も深く感動した。

 技術的には未熟な部分もあるが、若い才能が全力を尽くす姿は美しい。

 命を賭すほどだったことの是非を問わなければ、あれほどの対局はそうそう生まれないだろう。

 家名に縛られての、若き天才が家の威信に振り回された悲劇というのは一面でしかない。

 あの勝負は後世まで語り継がれるべきものだ。

 宗看は『自分もそういう経験がしたい』と言いたいのだろう。


「しかし、宗民殿が俺に勝ちたければ、もっと準備をしておくべきだったな」

「準備ですか」

「純粋な棋力なら俺が上だ」

「事実でもそれを口にしますか?」

「ああ、事実だから口にするんだよ。普通に勝負しただけじゃ結果は見えている」

「ええ、そうですね」


 特に異は唱えない。

 それよりも、どう続けるかが宗民は気になる。


「そうだな……俺が勝負に専念している間に、献上図式を創って奉じてしまうのはどうだろうな。それで実績を作っておけば、名人になれたんじゃないのか。肉を切らせて骨を断つじゃないが、争い将棋を餌にして隙を突く作戦はどうだ?」


 手段と目的を上手くすり替える考えか。

 よくそんなことを思いつく。

 宗民は首を横に振りながら苦笑する。


「そんな簡単に献上図式は用意できませんよ」

「いいや、ずいぶん前に見せただろう。伊野辺看斎の『将棋手段草』辺りを参考にしてしまえば良い。禁書にされたから気付く人間なんてほとんどいないだろうさ」

「流石にそれは……」


 本当に宗看は悪知恵が働く。

 どうすればそんな思考に至れるのか?

 宗民は逆に感心していた。


 ちなみに、余談であるが、南町奉行大岡越前守の手により、偽造防止を目的として本の奥付が義務付けられたのは享保七年(一七二二)である。

 奥付とは著者や出版元を明確化するためにある。

 逆にいうと、それまでは誰が書いたのかを明確化する規則は存在していなかった。

 故に『将棋手段草』は伊野辺看斎が作者ではないという説もあるし、後世で偽刻されてしまったのだ。閑話休題。


 宗民は強い口調で答える。


「私にも矜持きょうじがありますよ。それにそんな卑怯な真似は好きではありません」

「自分より強い相手に勝つには卑怯も糞もないと思うがね」

「宗看殿はどうしてそのようにされないのです」

「実力で勝てるのだから策をろうする必要などないだろう。むしろ、実力で勝っているからそういうことはできないんだぜ。策に溺れる危険性と天秤てんびんってやつだ。それに、俺は大橋家に宋寿を送り込んだからな。これ以上は下策。俺の美意識が許さん」

「そういうものですか」

「そもそも、俺が納得できる献上図式は中途半端なものじゃないんでね。時間をかけて創り上げるさ」


 なるほど。

 言いたいことは十分理解した。

 宗民はこの話は終わりです、と身振りで示す。


「父はもうながくないでしょう」

「……正直、六世名人はもっと長生きすると思うがね」

「いえ、お仕事を続けるという意味でもう限界です。昨年、『碁将棋由来書』を幕府に提出する際も私が代行するしかなかったですしね」

「もう傘寿さんじゅ近いんだから、立派に果たせていると思うぜ」


 意外だが、宗看は父のいないところでは目一杯の敬意を払うのだった。

 この辺も憎めない理由であろう。

 おそらくはその理由も見当がついている。

 父は宗看を全力で否定しているからだ。


 宗看にはそういう部分がある。

 反抗されたり、逆境を喜ぶ部分だ。

 宗民にはその反骨精神はんこつせいしんに欠けている。

 だから退屈なのだろう――分かっていても、そう変えられるものではない。


「宗看殿は様々な方にお顔も広いようですし」

「名人はそれを悪たれ扱いだけどな」

「必要なことですよ。宗看殿のわざは素晴らしいものですが、その素晴らしさを理解できる人は多くありません」

「そうかい?」

「ええ、私も本当に理解できているのか分かりませんから」

「流石にそれはないだろ」


 宗看は呵呵カカと笑い飛ばす。

 だが、それは宋民の本音だった。


 宗看の強さは正に鬼。

 鬼の如き強さを理解できているなんて、思い上がれない。

 あまりにも高い山は見上げるだけで一苦労なのだから……。


「貴方の強さをより多くの人に知って貰うために必要なのです」

「そんなに褒めるなよ。照れるだろうが」

「私は貴方の才能に参っているのですよ」


 父もきっとそうだったのだろう。

 あまりにも優れた才能が、自分の息子ではないことが許せなかった。

 名人になるのは将棋家の人間としては最高の誉れなのだ。

 しかし、三歳しか年の違わない宋民が名人になれる可能性は低い。

 その反発と嫉妬からああいう態度を取ったのだ。

 しかし、将棋家という身内で争っても仕方がないのだ。

 自分は支える側で構わない。

 全力で支え、守り立てるのだ。


「宗看殿は後世まで歴史に名を刻む人ですから、貴方の力が必要なのです」

「ああ。その期待は裏切らない。俺を信じてついてこい」

「はい」


   +++


 享保十三年(一七二八)四月五日。

 六世名人大橋宋与死亡。

 八十一歳の大往生であった。


 そして、大橋宋民は四代大橋宋与を襲名する。


 更に、伊藤宗看は二十三の若さで名人になる。

 七世名人、三代伊藤宗看。


 その件に関して林信充はこう記している。


 ――伊藤宗看は故の宗看の孫にして宋印の子なり。

   今の宗看十一にして官挙かんきょひ、二十三歳特に命ありて将棋所に任ず。

   当代の名人、世間に独歩し、海内に無敵なり……。


 江戸時代の名人で宗看だけは特別だった。

 最年少で名人に就位したこともあるが、本当に異例の抜擢だったのだ。

 それは


 そう『詰むや詰まざるや』なんて呼ばれ、古今東西最高の詰将棋作品集の一つ『将棋無双』はこの時、まだ誕生していなかった。

 その創作はまだ始まったばかり。

 これから、彼は戦うべき相手のいない、果てしない深淵しんえんに挑むのであった……。

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