第43話 ぜんぶぜんぶ、私です!

「ん~♪ 美味しい~♪」


 座敷の向かいに座る小暮が嬉しそうに顔を綻ばせる。


 油の焼ける音がジュワジュワと食欲を掻き立てるように響き、煙が立ちこめる店内。


 デートに出発したはずの俺と小暮はその喧騒の中にいた。 


「……なんで焼肉?」


 そう、俺たちがやって来たのはとある焼肉屋。絶賛、その食べ放題を楽しんでいた。


「腹が減っては戦はできぬ! ですよ!」


「いやどっちかと言うと一戦終えた後じゃないか?」


「何言ってるんですか。あれはちょっとじゃれた程度のものですよ。私の闘いはこれからですので」


「えぇ……」


 ケロッとした顔で言うと、小暮はまた美味しそうに肉を頬張る。その様子を見ているだけでこっちまで幸せになれそうで、しばらく眺めていたいと思うほどだ。


 今更だが、今日の小暮は綺麗な黒髪を二つ結びにしている。今は食事中のため外しているが、シンプルなデザインの麦わら帽子も被っていて普段とは印象が異なっていた。


 服装は白のハイウエストスカートに少しゆったりとしたネイビーのトップス。清涼感がありながら、その黒髪やネイビーと白いスカートのバランスが映えている。

 小暮の私服はバイトで見たことがないわけではないがその時は当然バイトの都合上パンツを履いているし、制服以外のスカートがとても新鮮だ。それに心なしか、気合が入っているようにも見える。


「どうかしましたか? あ、もしかしてお肉嫌いでした? 男の子ならみんな好きかと思ったんですけど……」


 思わず見つめてしまっていると、小暮が心配そうに俺の顔を覗き込む。


「いや、言う通り肉が嫌いな男なんていない。むしろ大好きだ。小暮の方こそ焼肉なんてよかったのか?」


「はいっ。私もお肉大好きですので! 一人焼肉もするくらいです!」


 嬉しそうに食べている姿を見れば分かっていたことだが、それほどの肉好きとは……。


「ほんとはもっとお洒落なお店に行こうと思ってたんですけどね。こういうのもいいかなって。祐樹くんに、もっともっと私を知ってもらいたいんです」


「……そっか」


 俺は少し曖昧に頷く。


「あっ、でも匂い付いちゃいますよねこれ……」


 呟くと、心配そうに慌ててくんくんと自分の匂いを確認し始める小暮。そんな仕草はやはりとても女の子らしくて可愛らしい。


「別に気にするなよ、今さら。ほら、お互いクサけりゃ分からないし?」


「ええ~、せっかくのデートなのにぃ……」


 普段はきっと、あまり匂いを気にしないのだろう。首尾よく携帯用の消臭スプレーを持ち歩いている……なんてことはないらしい。


 小暮はしばらく「どうしようどうしよう」と狼狽していたのだが、やがてそれも落ち着いたのか、姿勢を正す。


 そして勢いよく、焼けた肉をパクパクと口へ放り込んだ。


「うん、やっぱり美味しい」


 小暮は満足そうに柔らかく微笑む。それからすかさずトングを手に取った。


「ほらほら、どんどん焼きますよ。もうこうなったらお腹いっぱい食べちゃうんですから!」


「意外と切り替え速かったな」 


 やけくそ気味に肉を焼く彼女は、なんだか少し男らしい。今まで、俺の前では見せてくれなかったもうひとつの顔。


「ふふっ。やっぱり大好きなお肉の前では、匂いなんて気にしていたら罰が当たります。それが例え、デートでもです。でも、あなたがいるから。気にしちゃう私がいたのも本当です。ぜんぶぜんぶ、私です!」


「そっか。……そうだな。よっしゃ俺も食うか! 腹がパンパンになるまで!」


「タン塩っ。タン塩をどんどん頼みましょう!」


「おう! カルビもじゃんじゃんいこう!」


 お互いに肩ひじを張る必要がない関係。そんなもの、なかなか望んで作れはしない。


 それが例えば好きな人相手なら、きっとどうしても遠慮がちになってしまったり。格好よく、または可愛く見られようとしてしまったり。必要以上に気を遣ってしまったり。


 でもそれは自分を偽っているとか、そういうことではないと思う。ただ、大切な誰かのために自分を飾っているだけだ。そこにはひとつの悪意なんてありはしなくて。そこに存在するのは自分を好きになってほしいという途方もなく純粋で、尊い感情。美しくも、狂おしい、煌めく純愛の形だ。


 俺と小暮の関係はどうだろう。俺だってきっと、以前は小暮に良く見られようとしていた。気を遣っていた。だけど今、お互いを知って。認め合って。過去を共有して。自分を飾るのをやめて。

 俺たちは昨日までとは違う関係性を見つけ出そうとしているのではないだろうか。それは同級生から、バイト仲間、友達、そして……。

 

 自然体で、自分の見られ方を気にせず焼肉を頬張れるような関係性がそこにはあった。

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