第14話 もう、寝ちゃった?

 同棲――いや同居一日目は緩やかに終わりへと近づいていた。


 おしっこ騒動の後、俺と瑞菜はようやく、ろくに食事をとっていなかったことに気づいた。お互いの腹の虫が鳴いて、なんだかそれが妙に笑えて。


 二人して料理のスキルなどなかったためコンビニの弁当ではあったものの、数年ぶりにふたりで囲んだ食卓はそう悪いものではない気がした。


 明日からは自分が作るとヤケに息巻いていた瑞菜が少し気がかりではあるが。


 それから、何をするわけでもなく時間は過ぎて。


 疲れの見える俺たちは早めに床へ着くことにした。


 明日からは学校がある。


 日常が戻ってくる。俺と瑞菜の日常はどう変わっていくのだろうか。何かが、変わるのだろうか。そんなことを思った。


「じゃあ、電気消すね?」


「おう」


「おやすみなさい」


「……おやすみ」


 直後、照明が落とされて部屋は完全なる暗闇に包まれる。


 結局、俺は瑞菜と寝室のベッドに寝ることになった。それは正直に言うと予想できたことで。瑞菜はひとりで寝ることを容認しなかった。


 まったく、我儘な幼馴染である。


 俺はせめてもの抵抗として、瑞菜から背を向けて寝転がった。



 どれくらい時間が経っただろう?

 10分? 20分? それとも1時間?


 隣に幼馴染、もといエセギャルビッチ、もとい美少女がいる環境で意識を手放すことなど出来るはずもなく。俺はただ目を瞑って時間を浪費していた。


 まだまだ、童貞としての心構えは消えていないらしい。


(こりゃ当分寝不足かね。もしくは、瑞菜が寝たらリビングにでも行くか……)


 そんなことを思っていると、ふと背中に何かの体温を感じた。


(いや何かっつっても一人しかいないんだが……)


 瑞菜の、おそらくは両の掌と額が俺の背中に当てられている。ふたりの距離はもう、ほとんどゼロだ。


 性懲りもなく高鳴ろうとしている心臓をなんとか押さえつける。


 まさか昨日のようなことになるとは思わないが、それでも念には念を置く。


「ゆう」


「――――っ」


「もう、寝ちゃった?」


 返事はしなかった。


 狸寝入りを決め込むことにした。


 一瞬の沈黙。俺にとっては緊張の一瞬。


「寝ちゃったか」


 少しだけしたような、そんな声音。


 瑞菜は独り言のように言葉を続ける。


「……昔は、よくこんなふうに並んで寝たよね。小学校の低学年くらいまでかな。それからはなんだか、ゆうが嫌がるからしなくなったけど」


「あれは、ゆうなりにわたしのことを意識してくれてたってことなのかな。だとしたら、うれしいな」


 小学生男子には筆舌に尽くしがたい、面倒なことこの上ない感情が渦巻く。あの頃を正確に覚えているわけではないが、きっとその頃が異性というものを強く意識し始めた瞬間だったのだろう。


「毎日一緒にいたね。一緒に街を探検して。ゲームをして。ときには、ちょっとだけ悪いことにも挑戦してみたり」


「それからだんだん、グループが出来上がって。たくさんの人がゆうの周りには集まって。わたしは少しだけ寂しく思うこともあったけど。でもそれでも、わたしの幼馴染はすごい人なんだって。とっても誇らしかったんだよ」


「そんなゆうに、わたしはずっと恋していたんだよ」


 昔の光景が脳裏によみがえる。


 あの頃の俺は、本当に瑞菜に「好きだ」なんて、そんなことを言ってもらえるような人間だっただろうか。


 俺はただ、自分の楽しいことをしていただけで。一番近くにいたはずの瑞菜のことすら、たいして見えていなかったのに……。


「ゆうが引っ越しちゃって、とっても悲しかったよ。たくさん泣いたよ。ひとりぼっちに、なっちゃったよ」


「でもね、変わろうと思ったの。今の自分じゃ、きっとゆうの好きになれないから。いつか帰ってきたゆうに、好きになってもらえるようにって」


「あの頃のゆう、派手な女の人とか好きだったみたいだから。わたしなりに頑張ってみたんだ。今まであんまり関わらなかった人とお友達になって。髪も思い切って染めてみて。眼鏡もやめて。メイクとか、たくさん勉強して……」


「でも、今のゆうはもしかしたらこんなわたし、嫌いかなぁ……」


 瑞菜は乾いた笑いを零す。


 瑞菜からしたら、俺の変化というのは想定外だったのだろう。 


 クラスの中心で、お山の大将だった俺。


 クラスの端で、日陰を好む俺。


 決別しようと思った自分がいた。でもどちらも自分なのだと、瑞菜との再会で気づいた。


 今の俺の異性への好みを言うのなら。それは間違いなく、今の瑞菜のような容姿ではない。


 それは否定のしようがない。


 だけど、瑞菜は瑞菜だ。


 もしかしたら容姿なんていうのは些末な問題で。理屈とか、そう言ったものも人間の感情の前では無粋なものでしかないのかもしれない。


「でも、わたし。わたしね、今日、嬉しかった。ゆうの言葉がね、たくさん、たくさん、私を満たしてくれた」


「ゆうは意地悪で。ぶっきらぼうで。口が悪くて。わたしを置いていった、とってもとっても、ひどい人」


「でもね、わたし知ってるよ。ゆうはね、誰よりも優しい人。わたしのために、悩んでくれる人。いっぱいいっぱい、苦しんでくれる人。わたしを、助けに来てくれる人」


「わたしは、それが嬉しくて、嬉しくてたまらないの。ゆうがわたしのことを見てくれるのが、嬉しいの」


「……ひどいよね。一番ひどいのは、わたしだ。一番醜いのも、わたしだ。ズルくてズルくてたまらないのも、わたしだ」


「わたしは自分の都合で。自分の好きを押し付けて。あなたをここに縛り付ける」


「でも、それでも。ゆうがいてくれることが、わたしの幸せなんだと思った。ずっと昔からゆうだけが、わたしの大切で。わたしの一番で。わたしを助けてくれる、ヒーローだった」


「だから、一緒にいてほしい」


「こんなわたしは、ダメかな。ダメ、だよね。重いんだよね。きっと、愛想つかされちゃうんだよね。どんなに優しいゆうでも、きっとイヤになっちゃうんだよね。ゆうはああ言ってくれたけど、いつか離れて行っちゃうんだよね」



「でも」



「……わたし、頑張るから。ゆうの好きになって見せるから」



「どうか。どうか。わたしを。――――


 

 長い、長い、沈黙。


 しばらくすると、背中に寝息を感じた。


 最後に紡がれた言葉は、懺悔。俺への、懺悔だ。


 俺は。俺はどうしただろう。どうするべきだろう。聞いてしまってよかったのだろうか。やはり眠ることなど出来るはずもなく。


 ただ、その背中の温もりを抱いていた。

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