第5話 クローン王国の一ヵ月

016『もしかして天使かな』


 ニシキは涙をぬぐって、銀髪の青年のことを見つめた。

 

 こんなに成長したクリストファーと会うのは久しぶりだ。

 白い唇に、高い鼻。すらりとした背格好で、少し癖のある銀色の髪が揺れている。オーバーサイズの黒いミリタリージャケットが、かえって彼の薄い銅と骨ばった肩を際立たせている。大人として成熟しているにも関わらず、物語の中から出てきたかのような「不確かさ」は依然として抜けていなかった。


「また待ち切れずに、ボクに会いに来たんですか?」

「は……はい。実は」

 そうなんです、と銀髪の青年は眉を下げてはにかむ。

 

 ニシキの旅において、クリストファーの来訪はもはやお決まりとなっていた。

 どのシェルターのクリストファーも、だいたいニシキの大ファンだった。楽屋のセキュリティをくぐり抜けてくるなんて序の口。ドローンを飛ばしてファンレターを送ってきたり、ドワン号を遠隔で操ってニシキを誘導したことさえあった。


「どうやってここが分かったんです?」

「簡単なことです。たまたま俺がハッキングしている人口衛星の残存機が、ニシキさんを捉えたので飛んできました」


(たまたま人工衛星をハッキング?)

 自分のファンながら、恐ろしい。

 ともあれ生身の人間がシェルターの外に出るなんて、運が悪ければ命を落としてもおかしくはない愚行である。どうやらこのクリストファーは見かけより大胆なタイプのようだ。


「見てください、ニシキさんが元気になるモノ持ってきましたよ」


 そう言ってクリストファーは、トラックの上によじ登ってニシキに近づくと、背負っていた荷物を漁りだした。


「あれ、どこに入れたっけ」


 クリストファーはリュックサックの中身をひっくり返す。

 中からはペンライトにハチマキ、水色はっぴ、ニシキのイラストがプリントされたグッズが次々と出てくる。


「あっ。腕につけてた……」


 クリストファーは、安心したように時計型コンピューターのスイッチを入れる。すると、ホログラムのインターネット画面が、彼の手首の上に映し出された。


「これは……」

「昨日の生中継でのコメントです。良いコメントを抜粋してメモしてるんですよ。一応ファンクラブ会長なんで」

「こんなにいっぱい……」


 ニシキは画面が放つ青い光に照らされながら、じっとその言葉たちをインプットしていく。


『ここまで可愛いともはや芸術』『あれ? 今日のニシキチャン、なんか特に可愛くね?』『←いつも可愛いけど?』『お金はどこに払えばいいですか?』『スカートのなか見え』『もしかして天使かな』『初見ですが、素敵な歌ですね!』『ニシキチャンの存在する世界に感謝』……


「まだまだ沢山ありますよ」


 クリストファーは画面をスライドさせて、他の日のコメントの抜粋も見せてくれた。

 しかしなぜだろう。

 その文字たちを見れば見るほど、ニシキの内側はからっぽになってゆく。


「こんなもの持ってきてもらったって……ボクは、コウに勝てませんよ」


 つららの先から、雫を落とすように呟く。


 いま必要なのは、才能と結果だ。


 数字こそがすべてで、一人の人間に深く深く愛されていたとしても、それだけではコウの人気には遠く及ばない。ニシキは世界中を、冬の虚構で染め上げたいのだ。


 それにはまだ―—この程度じゃ、全然足りない。


「ニシキさん、なんだか思い詰めてます?」

「……そんなことないです」

「じゃあ……疲れてる?」

「〈虚構体〉は、疲れたりしませんよ」

「でも、人間だって充電切れになります。『疲れた』って言えばいいのに、充電切れだとか、容量オーバーって言ったりするんです。なら、その逆だって許されるはずだ」


 クリストファーはトラックの上で立ち上がると、地面にむかって勢いよく飛び降りた。透明な朝陽が、雪といっしょに撒きあがってきらきらと光る。


「ニシキさん!」


 着地したクリストファーは、雪に照り返った光の粒をすべてその瞳に宿して叫んだ。


「何か行き詰っているなら、アイドル活動はいったん休んで、クリストファーの国にいきませんか!」


「いやいや……さすがのボクも、旅行のために活動を休むわけには……」

 と言いかけたニシキのAIは、数秒遅れて聞き捨てならない言葉を認識した。


「……あの。いま、クリストファーの国って言いましたか?」


「はい。クローンだけのクローンの楽園、クリストファーの自治国です」

「!? へ……へえ……」

「国民全員がクリストファーで、国民全員がニシキさんのオタクなんですよ。きっと、疲れたニシキさんの心も癒されるはずです」


 にこにこと微笑むクリストファー。

 ニシキはあっけなく、癒しへの欲求に敗北した。

  

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