都市伝説ロストマンズネット

渡会シュウ

第1話 新生怪異譚

「先輩、妖怪とか都市伝説とか、そういうのって信じてますか?」


 会社員、平岩武弘。今年で31歳になる彼が昼休みに弁当を食べていると、仲の良い後輩の1人にこう聞かれた。

 彼がそのようなオカルトに興味があっただろうか、などと思いつつ、自分の答えを簡潔に述べる。


「いないだろ。てかいきなりどうしたんだ」


「いやあ、俺もあまり信じてないんで話半分に聞いてくださいね? ……最近、この近くで化物に遭遇したっていう報告がいくつも出てるんすよ」


 平岩は妻が作ってくれた弁当の肉団子を口に入れながら後輩の顔をちらりと見る。ほとんど冗談のように聞こえる話だが、その顔は思ったよりも真剣だ。少なくとも彼は本当に、件の化物とやらを怖がっているらしい。


「なんか、行方不明者も何人か出てるじゃないですか。知ってました? 先輩も気をつけた方がいいっすよ、なんて。はは」


 誤魔化すように笑う彼だが、やはり何か違和感がある。後輩の心の健康を気遣うのも仕事だと考え、平岩は話を聞いてみることにした。


「本題はここからなんすけどね。……『ロストマンズネット』って知ってますか?」


「……? 聞いたことないな」


 聞き慣れないその名前に平岩は首を傾げる。


「正式な名前は『都市伝説ロストマンズネット』。ネットで話題……なのかな? どうなんだろう……とにかく、そういうサイトがあるらしいんです。怪異とか、都市伝説とか、そういうのが絡んだ相談を受け付けてるって話なんすよ。ダークウェブにあって普通の検索方法じゃ辿りつけないらしくて、サイトの存在自体が都市伝説なんですが」


 どうも彼の話は伝聞ばかりだ。どこまでが本当かも分からないが、続きを聞くと彼はこう続ける。


「実は……この前ネットで偶然そのサイトのURLを拾っちゃったんです。でもどうやって入手してたか覚えてなくて……サイトの中身は普通なんですが、怖いんですよね。いや、本物かどうかも分からないですよ。相談したところで対処してくれるのか、とか……とにかく、なんか気味悪いんでこのURLは消そうかと思ってるんですよ」


 彼によれば、偶然とはいえ折角手に入れたURLをただ消すのも惜しいので先輩にだけでも教えようと思ったとのことだった。そんな話に自分を巻き込まないでくれと思ったが、話を聞いてしまうとどうしても気持ち悪い部分が残る。

 結局、彼は後輩から都市伝説ロストマンズネットのURLをもらってその日の仕事を終えたのだった。




『先輩も、化物に遭遇したら相談してみたらいいかもしれないっすね。俺はやめた方がいいと思いますけど……なんにせよ、いろんな報告があるんです。帰る時は気をつけてくださいね』


 後輩はそう言っていたが、平岩としても信じられるような話ではない。とんでもなく悪質な嫌がらせに巻き込まれているんじゃないかと思ったが、あまり考えても仕方がないのでその日はさっさと帰路についた。

 学生時代にいわゆる「洒落怖」のような怪談話を見たことはあったが、それらは創作であり本当に存在するわけがない。万が一出会うなんてことは全くあり得ない、と思って家までの道を歩いていた彼だったが、なんだか気になったので後輩から送られたURLを開いてみることにした。

 都市伝説ロストマンズネットは思っていたよりずっとシンプルなサイトで、黒く特徴の少ない背景に相談のメールを送るフォームや、電話をかけるボタンがあった。

 化物なんていない。こんなサイトは嘘だ。そう思い込んで、このことは忘れようとしたその時だった。


 ぴた、と何かが歩く足音がする。それは微かに聞こえただけで、思い込みから出た幻聴かと思った。だがその足音が徐々に近づいてくることに気付いて背筋が凍る。

 振り向くと、10mくらい離れた街灯の下に知らない人物が立っていた。逆光でよく見えないが青年のようである。俯いているため顔は見えず、人間ではないと一目で分かるほど身体全体に生気がなかった。何より異様だったのは、その青年の影から青黒い腕がいくつも伸び出して、うようよと蠢いていることである。


「ば……化物!!」


 悲鳴をあげそうになった瞬間、その青年はこちらに向かってゆっくりと歩き出した。一歩踏み出すごとにどす黒い影のようなものは広がり、無数の青黒い腕が平岩の方へと伸びてくる。


「た、助けてくれ……! 助け……」


 逃げ出そうとしたが、金縛りにあったように体が動かない。伸びてきた腕が平岩の手足を掴み、地面に広がる青黒い粘液のような影に彼を引き摺り込む。

 必死に抵抗するが、影に入った足はいくら力を込めても抜けずズブズブと沈んでいく。


「嫌だ! 死にたくない! 誰か……」


 錯乱状態に陥り死を確信する彼だが、あることに気が付く。

 今自分が遭遇しているのは紛れもない怪異。そんなものを相談するのにちょうどよいサイトを、彼はついさっき知っていた。

 嘘としか思えない。相談なんかしたところで、何も起こらず死んでしまうに決まっている。それでも、死を前にして彼はその一縷の希望に縋るしかなかった。彼には家庭があり、仕事があり、人生があるのだ。

 奮える手でスマホを操作し、都市伝説ロストマンズネットにアクセスする。電話対応は開いている時間だ。膝まで地面に沈んだところで電話をかけると奇跡的に繋がったので、相手の対応も聞く前に叫ぶ。


「はい、都市伝説ロストマンズネットです。相談員のく――」


「助けてくれ! 化物に襲われて……死ぬ!! うわあああっ……!!」


 あとはもう言葉にならない絶叫を電話口に届けるしかなかった。腕を掴まれる力が強くなり、彼はスマホを落としてしまう。全ての希望は絶たれ、恐怖に支配された体が影の中に飲み込まれていくのを見届けるしかなかった。


 だがその瞬間、彼の視界の中を何かが駆け抜けた。

 人型の何かは迫る腕の中を走り抜けていき、不気味に佇む青年に近づく。そのまま物凄い勢いで青年に向かってドロップキックを放った。


「え…………?」


 青年が吹っ飛ばされ、平岩を掴んでいた腕も青年の近くへ戻っていく。影の中に沈んでいた下半身はいつの間にか地上にあった。

 何が起きたか分からず困惑していると、青年を蹴り飛ばしたその人物が平岩のもとへ歩いてくる。

 風に靡く長い黒髪。切れ長の三白眼。ベージュのロングコート。そしてマスクで口元を隠した女性だった。


「この状況で聞くのもあれだけど、様式美ってやつさねぇ。一応聞いておこうか」


女性がマスクを外す。


そこに現れた口は耳まで裂けていた。




「ワタシ、キレイ?」




「うっ……うわああああ!!」


 平岩は腰が抜けたようで、後ずさったまま動けない。化物に襲われたと思ったら、また別の化物が出てきて化物と戦っている。一晩で数日分の悪夢を体験したような異常な気分だった。


「早く逃げな。アンタが助けを呼んだんだろう」


 口裂け女は地面に落ちていたスマホを拾って平岩に投げると、青年の方に向き直った。少なくとも彼女は敵ではない。そう判断した平岩は何度もすっ転びながら、命からがら逃げ出していった。



 

 口裂け女は青年の方を見る。青年は起き上がり、ふらつきながらも立ち上がっていた。

 拳を固めた口裂け女が地面を蹴って走り出す。あまりの脚力にコンクリートの地面が砕け、破片が後方へと散る。

 口裂け女は100mを3秒で走り切るという。もっと速く走る逸話もあるが、基本的には時速120kmほどを簡単に出せるため、脚の力が異常に強い。


 青年の周囲の地面に広がる影から青黒い腕が何本も生えて襲ってくるのを口裂け女は全て捌き、いなし、叩き落とす。青年との距離が縮まった瞬間、口裂け女の回し蹴りが炸裂する。青年はガードもせずまともに蹴りを受けたため、衝撃で十数メートル先まで吹き飛んだ。

 しかし青年はすぐに立ち上がり、自分の周囲に無数の腕を発生させる。それらは一斉に口裂け女に向かって放たれたが、彼女は全て避け青年の身体に連続で攻撃を叩き込んだ。

 

 スピードの暴力。

 圧倒的な速度で放たれる攻撃を青年は防ぐことができない。


 地面を蹴って飛び上がった口裂け女は青年の真上へ行こうとした。しかしここで予想外の事態が起こる。

 青年は大量の腕を地面から生やし、上方の口裂け女へと殺到させる。空中にいて自由に動けない彼女に青黒い波濤がぶつかり、体を掴まれてしまう。身動きが取れなくなる彼女だが、まだ余裕は消えていない。


「格闘だけと思ったかい? こんなのもあるんだよ」


 口裂け女の手元に金属製のハサミが生成される。手首の動きだけでそれを投げると、ハサミは青年の胸に突き刺さった。青年には痛みはないようだが、胸を刺された衝撃により口裂け女を掴んでいた腕の拘束が緩む。彼女は全身で怪力を発揮して腕を破壊すると、よろめく青年の顔に全速力の拳を叩き込んだ。


 青年はきりもみ状に回転しながら吹っ飛び、地面に倒れ動かなくなる。地面に広がっていた不気味な影も、無数の腕も、跡形もなく消滅していた。

 口裂け女はマスクを装着し直して青年のところまで歩いていくと、スマホを取り出し誰かに電話をかける。


「最近噂になってたデカいの、やっつけたよ。今そっちに運ぶから待ってな」


 それだけ言って電話を切ると彼女は青年を見下ろす。怨念に支配されたような禍々しい姿だった先程までと違い、ただの人間のように見える。ダークパープルの髪と所々にお札のような装飾があしらわれた黒のジャケットが特徴的だ。胸の傷はいつの間にか消えていた。

 口裂け女は青年を担ぎ上げると、月が照らす夜の街を歩き出した。


 


 都市の中心部を離れ、郊外の住宅地へやって来た口裂け女は、そこそこ大きなアパートといった見た目の集合住宅の敷地へ足を踏み入れる。

 とその時、気絶していた青年が唸り声をあげて目を覚ました。


「起きたかい。気分はどんな感じだい?」


「ここは……? うっ……なんていうか……最悪な気分です……」


 降ろされた青年はよろけつつ、なんとか自立する。彼の記憶は混濁していた。漠然とした嫌悪感が胸の中に渦巻いている。


「アンタはねぇ、人を襲ってたんだよ。私たち怪異は生まれた直後は暴走状態になることが多い。アンタも例に漏れず、意識のないままに人を殺してたってわけさ」


「待ってください、俺は……人を殺してたんですか?」


「ああ。確認できてる範囲では、18人が被害に遭ってる」


 確かに青年のうっすらとした記憶の中には、伸ばした手が他者をどこまでも暗い闇の中に包んでしまう景色があった。彼の一番の絶望は、知らないうちに人間を殺してしまっていたということだ。それも何人もである。


「まさか……俺は……何てことを……!!」


 彼は膝から崩れ落ちる。その目には涙が溢れ出す。たった今生まれたばかりのような存在にもかかわらず、自分が人殺しだという事実に何よりも自分が耐えきれないのだ。


「怪異にしちゃ珍しく常識的な感性を持ってるねぇ。これはうちの新しい人材として活躍できそうだ」


「……俺がそんな酷いことをやってたのは分かりました。それで、あなたは……? 何をしてたんですか?」

 

目を細めて頷く口裂け女に、青年は問いかけた。なんとなく、自分が人間ではないことは分かっている。恐らく彼女もそうだ。であれば彼女は、自分の暴走を止めてくれた恩人であるに違いない。


「後で詳しく聞いてもらうけど、今簡単に説明してやるよ。私たちは"都市伝説ロストマンズネット"。今回のアンタみたいに現実で都市伝説が暴れたとき、被害を増やさないようにそれを止めるための組織さ。メンバーは少ないけど、全員が私らと同じ都市伝説で構成されてるんだよ」


「都市伝説から……人間を」


「そう。端的に言えば、私たちがやってるのは人間を救う仕事だ。人間からの相談を受け問題を解決したり、暴走する都市伝説から人間を守ったり。そうやって人間のためになることを、怪異の力で行う。それが私たちロストマンズネット。そこでアンタに頼みたいんだけどさ……」


 口裂け女はそこで口を止め、青年の顔を覗き込むようにして近づいた。彼女流の「お願い」ポーズである。


「私たちの仲間になってくれないかい?」


 青年は俯き、ゴクリと喉を鳴らす。自分はこれまで何人も人間を殺した。それは取り返しのつかないことだ。同じようなことが他にもあるなら、都市伝説によって人間の命が奪われることは許されない。

 だからこそ、その頼みはこれ以上ないチャンスだった。彼にとっての償い――人間の命を奪ってしまったことへの贖罪。それを自分にしかない力を使ってできる。断る理由などなかった。


「やります。俺の持つ力で人間を救います。もう誰も犠牲にしたくありません」


 力強い眼差しを口裂け女に向ける。彼女は笑顔でそれを受け止めた。


「助かるね。細かい説明や手続きは明日ちゃんとやろう。アンタも疲れてるだろうしね。……ところでアンタ、名前はなんて言うんだい」


 現実に現れ人間の肉体を得た都市伝説は、記憶や人格は新しく作られることが多いものの本能的に自分の名前を覚えている。

 しかし彼が思い出したのは、その瞬間に蘇った別の記憶だった。



――神社のような場所を背景に、1人の男が彼を見下ろしている。袈裟にも見える黒い衣服に身を包んで帽子を被った男だ。顔は陰になってよく見えず、得体の知れない雰囲気に包まれている。


『お前の名前は――だ』


 謎の男がそう語りかけるところで映像は終わる。何故今この記憶が蘇ったのか分からなかったが、これが途轍もなく重要な何かであるような気がした。


 記憶と共に思い出された、自分のアイデンティティ。青年は名前を口にする。



『お前の名前はコトリバコだ』

「俺の名前はコトリバコです」

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