第四章 その二

 ◇ ベルクヴェルク ◇


 時を少し戻す。

 ミラージュ率いる略奪部隊は、ルーイヒエーベネの兵がこちらの流した情報通りの位置に来ている事を確認する。最終目的地までの道中にある村々で形ばかりの略奪を行っていたが、今回は回収部隊を用意できないため奪った食料は邪魔になる。そのため村の近くに隠して置き去りにして行った。事が全て上手く運べば後で回収する予定だ。

 そうやって痕跡を残しつつも、ルーイヒエーベネの兵が付いて来ているかどうかの確認は怠らない。

 釣り餌であるミラージュの略奪部隊は、サンダークの討伐隊を上手く目的地まで誘導しなければならない。途中で追いつかれても、振り切ってしまって駄目だ。少しずつ追いつかせながら引っ張って来る必要があった。

 そして出来ればこちらが討伐隊の存在に気付いて居ないと思わせられればなお良しだ。

 ミラージュの想定以上にサンダークが放った斥候が多く、彼らに気付かれずに討伐隊の様子を窺うのは至難の業だったが、討伐隊の動きに目立った変化はなく順調にこちらを追跡して来ているので、上手くやってくれたのだろうと考えていた。

 討伐隊発見から三日が過ぎた頃、ようやく討伐隊の斥候がこちらの存在を捉えた様だと報告を受ける。道程としては九割に達し、目的地はもう直ぐそこだ。大方ミラージュの想定通りの展開であった。

 彼我の距離は凡そ五キロ程度。ここからは付かず離れずで良いだろう。

「いよいよですね……」

「ええ。長かったわ……」

 緊張した面持ちの副官に、感慨深くミラージュは答える。

 副官はそれを五年もの月日を掛けた、ミラージュ発案のルーイヒエーベネ攻略作戦が実る事だと考えた。だがミラージュの本心はそんな所には無かった。

 夫が昔使った策の応用であるこの作戦は、ミラージュにとって上手く行って当然なのだ。自分がミスを犯さない限り、失敗する事などないと確信していた。

 ミラージュはやっと、自分たちを見捨てたルーイヒエーベネの奴等に復讐を果たせるのだと、悦びに浸っていたのだ。

 五年の月日は長い様で短く、短い様でやはり長かった。

(だけど、それも今日までの事よ!)

 この日この時の為だけに作られた偽装の村へ着いたミラージュは、先に来て潜んでいるはずのゲイル率いる一万の兵と連絡を取る為に伝令を出す。

 伝令は村の東西南北四か所に用意された小屋に入る。小屋の中はがらんどうで、地面から一本の管が出ているだけだ。その管は地下へと続く伝声管だ。先行した一万もの兵は、鉱山でつちかわれた技術によって地下に作っておいた広大な空間、その中で数日待機していたのだ。

「こちらミラージュ隊。こちらミラージュ隊。応答願います」

『こちら北方地下部隊。いつでも行ける。合図は任せた』

「了解しました」

 そんな遣り取りが四か所それぞれで行われ、準備完了との報告がミラージュに届く。

「では始めましょうか──」

 ミラージュが合図を送ると、所定の家屋に火が放たれる。

 煙に巻かれない様に部隊を一時村の外まで移動させ、獲物の到着をジッと待つ。

「敵影確認! 間もなく村に到着します!」

 高台で単眼鏡を覗いていた部下の報告から程なくして、威勢の良い叫び声が聞こえて来る。

 ルーイヒエーベネの兵が包囲網の中に入り込むのを待ち、サンダークが兵を指揮して村の中に突入して行くのを確認すると、ミラージュは二度目の合図を出す。

 村中に響き渡る様にして放たれた鏑矢かぶらやはしかとその役目を果たす。

 その音を聞き、伝声管前に待機していた兵が地下へと作戦開始を伝える。

 巧妙に隠された地上との出入口を盛大にぶち壊しながら勢い良く一万余の兵が秩序だって地下から飛び出し、またたく間に村を包囲して行く。

 近くに居たルーイヒエーベネの偵察兵達を、投降する者は捕縛し、抵抗する者は殺し、村の中に逃げようとする者は好きにさせる。

 包囲が出来上がるまでにサンダークに村から出られない様に、ミラージュは煙で視界が悪い中もしかとその動向を見守る。サンダークの撤退が予想より早く行われるようであれば時間稼ぎのために一撃する必要がある。その場合は部下達にも少なからぬ犠牲を覚悟しなければならないだろう。

 しかし幸いにもミラージュの予想を超えて包囲陣の完成が早かった。サンダークの撤退はミラージュの想定よりも早く、突撃も止む無しと見ていたが、どうやら必要なさそうだった。

 それは、ミラージュ隊の到着まで幾日か猶予がある想定であったため、ゲイルの指示によって幾度も事前に包囲陣形成の訓練をしていたからであった。

 ここまでは全てベルクヴェルクの、ひいてはミラージュの作戦通りに進んでいた。


 ◇ ルーイヒエーベネ ◇


 村を取り囲む様に布陣するベルクヴェルクの兵を目にしたサンダークの決断は早かった。

 兵達は浮足立ち、恐慌を起こす一歩手前だ。

 一分一秒の迷いが致命的な結果を招く事をサンダークは理解していた。

 命令は簡潔かつ、簡単な物が良い。

「儂に続けぇぃ! 全軍突撃っ!!」

 兵達を取り纏める時間も惜しいとばかり、自身が率いていた三百の兵を伴って敵の包囲陣へ突撃して行く。

 無謀にも思える突撃だが、一万の兵がサンダークの目の前に立ちはだかっている訳ではない。目の前に居る兵の数は精々数百人規模だ。直ぐにも援軍が駆けつけて来るだろうが、完全に押さえ込まれる前に抜けてしまえば問題はない。

 こちらの兵は千は居る。一点突破は決して不可能ではない。

 だからこそ、相手の意表を突く早さが必要だった。

 サンダークは馬上槍を振り回しながら敵陣へと斬り込んで行き、立ち塞がる敵兵を一薙ぎ、二薙ぎで吹き飛ばして後続に道を作る。

「将軍達に遅れを取るな! 続けぃ!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 残る各部隊の長達が部下に檄を飛ばすと、一気呵成にサンダークが作った道に向かって突撃して行く。

 サンダークの作った細い線は、瞬く間に太い路となり、尻込みをしていた兵達も意を決して走り出す。

 左右からの圧力は凄まじい物であったが、サンダークの武勇はそれらを物ともしなかった。巧みに馬を操り縦横無尽に駆けては馬上槍で周囲の兵を根こそぎ刈っていく。少しでも多くの兵をこの死地から逃がす為に。

「サンダーク様! ここは我らに! 早くお逃げください!」

「はっ! 馬鹿を言え! 儂がここで殿しんがりを務める! お主等こそ早う逃げんか!」

「馬鹿はあなただ! ここであなたが死ねば、この後の戦いの指揮は誰が取ると言うのですか!」

 副官の言葉にサンダークは反論する事が出来なかった。

 現在のヴァルムには、大軍を率いての実戦を行った事がある者は誰も居ないのだ。その為にサンダークがヴァルムに残っていたのだから。

「ぐぅぅぅぅぅ……。あい分かった! ここは任せる! ……精々派手に暴れてやれ!」

 死ぬな、とは言わなかった。言える筈もない。

「伊達にあなたの副官を務めてきたわけではない所を見せてやりましょうぞ!」

 副官はサンダークに背を向け後続の援護に走り出す。

 それを振り返る事無く、サンダークは最前線に追い付く為に馬を走らせた。


 最前線ではベルクヴェルクの兵が慌てて新たな壁を作ろうとしていたが、走り出した騎馬突撃を止める事など出来はしない。

 包囲網を突破するのも時間の問題かと思われたその時、背後から悲鳴が響き渡るのを聞き、サンダークはチラと後ろを振り返る。

 目元を隠す仮面を着けた軽装の騎士が一人、細身の長剣一本を片手に凄まじい速度で馬を走らせ突撃中の兵達を背後からすれ違い様に斬り捨てながら追い縋って来る。

(アレは何だ……? 本当に人かっ!?)

 一切速度を落とす事なく、間合いに入った兵を一人残らず斬って行く手際は、人のそれとはサンダークには思えなかった。しかもハッキリとは分からないが、急所は避けて斬っている節すらある。

 このままではまずいと判断したサンダークは直ぐ様反転、仮面の怪物を相手取るべく馬を走らせる。自然、両者の間に道が出来る。

 怪物を相手しても仕方がない。狙いは馬だ。

 サンダークはすれ違い様に質量差でもって強引に馬上槍を仮面の怪物が駆る馬に突き立て、足を止めた所でさっさと逃げる算段をしていた。己の技量を以てすれば、例え怪物と言えどこの一撃は止める事あたわぬという自負があった。かの闘神にも馬上での槍試合では肩を並べて居たのだから。

「ぬうううううううぅぅぅぅりゃあああああああああ!」

 渾身の力で繰り出された一撃を仮面の怪物は長剣で受け流そうとするが、サンダークの一撃はその長剣を砕き怪物の馬の頭蓋を粉砕する。

 仮面の下の目が驚きの色を浮かべて居た様にサンダークには見えた。

 サンダークは一旦そのままはしり抜いて距離を取り、再び反転したその時、飛来した一本の短剣がサンダークの操る馬の眉間に吸い込まれる様にして突き刺さる。

 咄嗟とっさに飛び降りたサンダークは、倒れる馬に巻き込まれる事は無かった。

 正面を見据えると、サンダークにとっては不幸な事に傷一つない仮面の騎士が立っている。

 手には先程砕いたのとは別の剣を握っている。ルーイヒエーベネでよく使われているごく普通の剣だ。手近な兵から奪った物だろう。馬に刺さった短剣も同様だ。

 馬を失くし仮面の騎士は孤立した。周りの兵達はそれを好機と捉えた。

「構うな! 前に走れ!」

 サンダークの命令は一瞬遅かった。

 仮面の騎士の恐ろしいまでの剣技を目にしていても、多勢に無勢だと、斬られた仲間の復讐だと、兵達は怒りを以て仮面の騎士に襲い掛かる。

 左右から襲い掛かる兵達を一顧いっこだにする事なく、右に一振り、左に一振り。

 僅かに二振りで十の死体が出来上がった。

 それを見ていた周りの兵達は震えあがった。

「行け! 死にたくなければ走れ!」

 長剣を抜き放ち仮面の騎士に向かってサンダークが駆ける。サンダークの言葉に兵達は慌てて仮面の騎士から逃げる様に前方へと走って行く。

 援護は必要ない。

 いたずらに死体を増やすだけだ。

 サンダークには未来が見える様だった。

「ルーイヒエーベネが将! サンダーク・キャンターが御相手つかまつる!」

 化物の注意を惹き付けるため、敢えて名乗りを上げる。

「…………ミラージュよ」

 化物から発された声が女の物だった事にサンダークは驚きを覚えたが、その事で油断や隙を生じさせる様な事はない。

 先程までの剣技を見れば分かる。分かってしまう。

 剣の腕に於いてこのミラージュと名乗る女騎士は、己よりも遥かに格上だと。いち武人として認めざるを得なかった。

 副官には悪いが、どうやらここが儂の最後の晴れ舞台の様だとサンダークは覚悟した。

(精々派手に踊ってやろうぞ!)

「ゆくぞ!」

 サンダークは両手で長剣を握り、裂帛れっぱくの気合でもって剣を振り下ろした。

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