第三章 その二

 フォグルが案内された部屋は兵員宿舎の一室、ベッドと机がそれぞれ二つずつと窓が一つあるだけの簡素な部屋。基本寝泊りするだけの部屋なのでコレで十分なのだ。相部屋であるが相方は勤務中なのか留守であった。持って来た荷物と渡された荷物を向かって左側の使われていない机の方に降ろし、さてこれからどうしようかと考えていると、ドタドタと部屋に近付いて来る足音が一つ。部屋の前で止まると、勢い良く戸を開くや開口一番に謝罪する。

「いやーすまんすまん。今日から相部屋になるってんで早めに切り上げさせて貰う筈だったんだが……ってお前かよ!」

「あっ……! 門番のおっちゃん!」

「はあー。フロストリード=ロウバストだ」

「あっ。フォグル=ギフトです」

 よろしくと互いに握手を交わす。

 フロストリードは右側のベッドに腰を掛ける。

「そっち使いな。で? お前さんはどこの配属になったんだ?」

 フォグルは左側のベッドに腰かけ、フロストリードと向かい合う。

「近衛隊に。姫様付きになるらしいですよ」

「近衛か! そりゃあ良い!」

 フロストリードはフォグルが危険の少ない近衛隊に配属される事を心から喜んでいた。

「お前さんは歳も姫サマに近いし、何より正義の神の守護を授かってるのが良い」

「コレを見ると皆そう言うんですけど、そんなにですか?」

 全然実感のないフォグルにとって、そこまでの無償の信頼は逆に胡散臭く感じる。

「そりゃそうよ! そこに指輪してる奴は浮気しない事で有名なんだ。今じゃそこに指輪してるのを見ると相手の方から手を引くくらいだ」

「はー……そうなんですね……」

「お前さんだって、他の女に手を出す気なんかサラサラないんだろう?」

「まあそうなんですけどね」

「だろう? ガッハッハッハッ」

 豪快に笑うフロストリード。門で押し問答してた時からフォグルが感じていた通り、やはり良い人だと改めて感じていた。

「それにしても姫サマ付きか……。危険はないだろうが、苦労はするかもしれんぞ? 覚悟しておけよ?」

 そう言ってフロストリードはニヤリと笑う。事情を知らないフォグルは嫌な予感を覚える。

「何か問題でもあるんですか?」

「そりゃあもう! あるのないのったら、大有りの大アリクイよ!」

「へえ……それは気になりますわね。どんな問題でしょう?」

 聞きなれない少女の声にギョッとしてフォグルは視線を戸の方に向けると、場に似つかわしくないきらびやかなドレス姿の少女が立っていた。自分の話に夢中のフロストリードは少女の存在に気付かないまま、先の質問に答えてしまう。

「はっ! どんな問題だって? あのお転婆てんば我儘わがまま姫! 悪戯いたずらばっかしやがって、周りの迷惑もちったぁ考えやがれってんだ!」

「ふぅん……そんな風に思ってたのね。悪かったわね、フロストリード」

 全く悪びれた様子などなく、サラリとそんな事を言う少女。いやくだんの我儘姫。決して大きな声ではないが、まだ幼さの残る澄んだ声は小さな部屋に良く響いた。

 その声にやっとその存在に気付いたフロストリードは、視線を声のする方へ向け、姫を視認するやギョッとした表情を浮かべベッドから転げ落ちる様にして地べたにつくばる。

「へへーっ! アレはソレ、言葉の綾ってもんで! 一介の門番如きあっしが、姫様の事をそんな風に思ってるはずがございませんや!」

 必死の弁解にも姫は表情一つ変える事無く、冷徹に告げる。

「あなた、不敬罪でクビね。いえ、絞首刑にしましょうか?」

「ヒィッ! どうかそれだけはご勘弁を! 平に! 平に!」

 突如の死刑宣告に流石に黙って見て居られなくなったフォグルは立ち上がって、無造作に姫へと近付いて行く。

「あら? どうしたの? 私のやり方に不満でも? 新人のこ・の・え・へ・い・さん?」

 完全に馬鹿にした様な表情で下から『見下ろして来る』姫。

 それにフォグルはニコっと一つ笑みを浮かべて姫の手を取る。

「フォグル=ギフトです。明日から姫付きになる予定ですので、以後お見知りおきを」

 と挨拶を済ませると同時に、手を引っ張り前のめりになった所を腹ばいの状態で立てた片膝の上に乗せる。

「へっ?」「えっ?」

 急な展開に付いて行けていない二人は間の抜けた声を上げてしまう。

「ちょっ……えっ──キャッ!」

 姫が何とか抜け出そうとした矢先、突如フォグルの手によってスカートがまくり上げられたのだ。

 と同時に飛んで来る平手。

 

 バシーン!


 という景気の良い音と共に、「いたあっ!」と叫ぶ姫の声。

 続けて二発、三発と、フォグルの平手が姫のお尻を襲う。見事なまでの「おしりペンペン」であった。

 それを見たフロストリードは、平伏へいふくしたまま思わず「ぶふぅっ!」と吹き出していた。

 それを見た姫は「キッ!」と赤く染めた顔で睨み付けるが、またもフォグルにお尻を叩かれ意識を引き戻される。

「あ、あなた! 私に……いたぁい! こんな事をして……あうぅぅ……どうな……ごめんなさあああい!」

 パシンパシンと繰り返されるお尻叩きに、遂には姫が折れた。

「はい。良くできました。これからは簡単に死刑だなんて言っちゃあ駄目ですよ」

 真剣な顔をして叱るフォグルに、全身にまで響く様な痛みにお尻を抱えながら姫は素直に謝る。

「はい……。ごめんなさい……」

 フォグルはスカートを丁寧に戻し、涙でぐしゃぐしゃになった姫の顔を綺麗に拭く。

 一方、当のフロストリードはと言うと、声を殺しながら腹を抱えて笑い転げて居た。

「ひぃひぃ……姫が、新人君に……『おしりペンペン』されとる……ヒッヒッヒッ……グフ」

 余りに笑い転げて居るもんだから、姫に蹴られていた。

 流石にコレにはフォグルも怒る気がしなかった。

「もう! あんたのせいでトンだ事よ! あんたが新人を驚かしてやろう何て言うから!」

「ひぃ……ひぃ……。はぁ……姫だって乗り気だったじゃぁないか」

「こんな事になるって分かってたらやらなかったわよ!」

「こんな事になるって分かって無かったから、こんな面白い事になったんじゃないか」

「うー……もう!」

 不毛な責任の押し付け合いを始める二人に、冷たい視線と共に冷やかな声をフォグルが投げ掛ける。

「お芝居だった……って事ですか……?」

 フォグルが浮かべたその笑顔は、とても、怖かったそうだ。


 身に染みる程に学習した姫は素直にごめんなさい。フロストリードは「はっは。すまんすまん」と軽く謝罪をする。門での印象と違い、案外洒落っ気のある人の様だった。

「もう……! 色々恥ずかしい所を見せちゃったけど、改めて自己紹介するわね。私はクラウディア・ルーイヒエーベネ。サニプレイセス公爵家の一人娘よ。こんな田舎領の領主だから大した格式も威厳もないけど、い・ち・お・う! 姫様なんですからねっ! 少しは気にしなさいよね!」

 ビシっとフォグルの鼻先に指を突き付けて言い放つ。若干腰が引けているのはご愛敬。

「承知しました。これからも遠慮なく姫が悪さをしたらお叱り致しますね」

「そんな事言ってないでしょ! もう!」

 クラウディアは咄嗟とっさにお尻をかばいながら反論するが、

「でもまぁ、本気で叱ってくれるのはちょっと嬉しい……かも……」

 とゴニョゴニョとつぶやく。

 姫であるクラウディアを本気で叱ってくれる大人は、この城には父である公爵を含めても一人として居なかった。夫人を早くに亡くした公爵は、忘れ形見である娘をそれはもう宝物以上に大切にしており、好き放題にさせていた。「元気で居てくれればそれで良い」と言うのが公爵の娘に対する口癖である。

 クラウディアが我儘や悪戯をする理由の半分程は、誰かに叱って貰うためでもあった。残りの半分は単純にやっていて楽しいからである。存外腕白な姫様であった。

 クラウディアの紹介が済んだ所で、フォグルは疑問を一つフロストリードに投げ掛ける。

「お二人は随分仲が良い様ですが?」

 平民出の一般兵で門番のフロストリードと、領主の一人娘である貴族のクラウディアとの接点が掴めない。しかも片やそろそろ孫が居てもおかしくない年齢のおじさんと、成人前の子供だ。フォグルが疑問に思うのも当然であった。

「リードにはね、いつも城を抜け出す時に手伝ってもらってるのよ」

「そういうこった」

 クラウディアの言葉を軽い感じで肯定するフロストリード。

 フォグルがチラと視線をフロストリードにやると、気付いたフロストリードが意味あり気にニヤリと笑う。訳アリかと察したフォグルはこれについては追及しない事にした。

 そんな二人の遣り取りには気付いた様子もなく、クラウディアはフロストリードとの思い出話に余念がない。五年以上に渡る二人の交流を大人しくフォグルは聞いていた。

 滔々とうとうと語り続けるクラウディアだったが、壁外で農作業に従事する農夫達に夕刻を告げる鐘の音が鳴り響くと、ハッとした表情を浮かべる。

「もうそんな時間だったのね。会食の後コッソリこっちに来たから、余り遅くなると御父様が心配しちゃう。そろそろ戻らなきゃ」

 少し名残惜しそうにクラウディアはフォグルを見る。

「明日から宜しくお願いします」

 今度は怖くない笑顔でニッコリと、フォグルはクラウディアに微笑みかける。

「じゃあまた明日ね! 絶対だからね!」

 そう言うとクラウディアは、フリフリのスカートの裾を摘まみ上げると豪快に走り去って行った。フォグルはそんなクラウディアにどこか昔のリアを重ねて見ていた。

 クラウディアが去ったのを確認すると、フォグルはフロストリードと改めて向かい合う。

「で、実際の所、どういう事なんです?」

「そんな難しい話じゃないさ。本気で勝手に抜け出されちゃ困るってんで、誰かに姫の味方をやらせようって話さ。偶々たまたまなのか何か理由があってなのかは知らんが、白羽の矢が立ったのが俺だったって訳だ。街に出てからは協力者が居てな。そいつらに終始見張っていてもらってる。安全安心の気分転換さ」

「そういう所じゃないですか?」

「ん? 何がだ?」

「フロストリードさんが選ばれた理由ですよ」

「……?」

 本当に分かってなさそうに疑問符を浮かべるフロストリード。

「まあ理由なんて何だって良いさ。今更止めろって言われたって止める気は無いからな。それよりもフォグル──」

「何でしょう?」

 真剣な眼差しで迫るフロストリードにフォグルも表情を引き締める。

「『フロストリードさん』は止めてくれ。背筋が痒くなっちまうわ。リードで良いよ。あと非番の時はタメ口でオーケーだ」

「いえ、そう言う訳には行かないでしょう? ベテランの先輩相手に」

「じゃあ先輩命令だ!」

「拒否します」

「軍では上官の命令は絶対だぞぅ!」

「私の上官は近衛隊長殿デアリマス」

「ぐぬぬ……。門で会った時も思ったが、大概頑固な奴だなお前」

「そうですか? 初めて言われた気がします」

「そうだよ……ったく。そりゃ周りの奴等が黙ってただけだな。しゃーねぇ。じゃあせめて『リードさん』にしてくれ……」

「……分かりました。リード先輩」

「わかってねぇ! リードさん、だ!」

「…………っぷ」

 思わず吹き出してしまうフォグル。

「だーもう! おっさんを揶揄からかうんじゃねぇよ! ったく。おら、飯行くぞ飯! 夜は食堂はやってねぇから俺ら見たいな一般兵は街で食うんだ。良い店から埋まっちまうから急ぐぞ」

「奢りですか? 奢りじゃなかったらずっと先輩って呼びますよ?」

「何だその地味に嫌な脅しは……。元々今日はその積りだよ。分かったらさっさと立つ!」

「ひゅー! 流石フロストリード先輩!」

「ぶっ飛ばすぞ!」

 和気藹々わきあいあいと会話を弾ませながら、二人は街へと繰り出して行った。

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