第一章 その一

 ◇ しんリープ歴四四四年 秋 ◇


「なーなー、じいちゃん。ボクもかりいきたいー! いきたいー! いきたいいきたいいきたいー!!」

「今日も寝小便垂れてたガキが一丁前な事言ってんじゃねぇや。お前にはまだまだ早いわ! 分かったら『いつもの』やっておくんじゃぞ!」

 ダメ元で駄々を捏ねて見たがやはりダメだったかあと、幼い男の子は狩りの支度を整え小屋を出て行く老爺を見送る。

 この小屋の前で拾われた赤子、フォグルと名付けられた男の子はその後すくすくと育ち、五歳になっていた。

 じいちゃんことディザステルが居なくなると、フォグルは言い付け通り日課を始める。

 先ずは昼まで文字の書き取りと四則演算の反復だ。ディザステルが用意した教材を使って教えられた通りにこなして行く。

 これが何の役に立つのかという疑問すら抱く事なく、キチンとやるとじいちゃんが褒めてくれるのが嬉しくて、フォグルはただその為に真面目に勉学に取り組んでいた。

 昼になると、朝にじいちゃんが作っておいてくれた昼ご飯を食べ、しばしお昼寝。

 目が覚めたら今度は運動の時間だ。

 じいちゃんに決められた山道を只管ひたすら走る、走る、走る。走れなくなるまで走ったら、準備運動は終了だ。立ってるのもやっとの体を引き摺りながら小屋まで戻る。

 小屋に着いたら今度は武器の鍛錬だ。

 じいちゃんには「なぁにが鍛錬じゃ。こんなものは道具に慣れておく為の手遊びじゃ!」何て言われたけど、これはれっきとしたタンレンなのだ!

 フォグルは自分の背ほどもある木製の棒を掴むと、剣に見立てて素振りを始める。初めの頃は持ち上げるのもやっと、振り下ろせばおっとっとと体を持っていかれる始末であったが、今では不格好ながらよろめく事もなく連続して振れる様になっていた。

 走り疲れているため、出来るだけ楽に振るために余計な力を抜いて振る様にしているのだが、これはディザステルの意図通りであった。

 素振りを百こなすと、次は棒を持ち換え槍の様に構え、突いて戻す動作をこれまた百。それも終わると今度は弓を持ち出して、用意されている様々な距離、高さの的に目掛けて射かける。全てに的中するまで続け、それが終わるとじいちゃん直伝の柔軟運動で体を徹底的に解しておくのも忘れない。他の何よりもコレを忘れるとこっぴどく怒られるのだ。

 全て終える頃には陽も傾きはじめ、じいちゃんが帰って来る。

「じいちゃん! おかえり!!」

「おう! ただいま」

 疲れ果てて居る事など露と忘れ、元気いっぱいフォグルはじいちゃんに抱き付く。

 フォグルがしっかり稽古していた事は見て居なくても分かる。塞がって居ない左の手で、優しく頭を撫でてやると、「へへー」と嬉しそうにフォグルは笑う。

 今日の収穫は良い鹿と猪だ。


 血抜きの済ませてある鹿と猪を、陽が完全に沈む前にと二人で手早く解体して行く。切り分けられた肉は大半を冬の備えとして干し肉や塩漬けにする。残った幾ばくかは今晩のおかずだ。

 ディザステルが狩りへ行くのは十日に一、二度程度。二人で食べて行くにはそれでも多いくらいであった。余った分は定期的に村へ売りに行って居た。

 狩りに出ない間は、住居の小屋とは別に作られた鍛冶用の小屋で色々と金属細工を拵えたり、村に行った折に頼まれた刃物等の研ぎや打ち直し等も行っていた。

 そしてそれ以上に力を入れていたのが、フォグルの教育である。

 午前は座学や実際に山を歩きながら植物の毒の有無や天気の読み方、罠の作り方や罠に掛ける手練手管を繰り返し教え込み、午後からはディザステル自ら武器の扱いについて手解きをする。

 正直ディザステルは人に物を教えた事などなく、常に手探り状態でフォグルに接していた。ついつい甘やかしてしまいそうになる己を、フォグルの未来を考えグッと押し殺し、指導の際は徹底して厳しく接っする様にしていた。

 そんな厳しいじいちゃんが恐くもあったが、たった一人の家族であるじいちゃんの事がフォグルは大好きであった。そんなじいちゃんに褒めて貰いたくて、毎日必死に頑張るフォグルがまた、ディザステルも愛おしくて仕方がなかった。

 結論付けるには時期尚早かもしれないが、ディザステルの見立てではフォグルに武芸の才能は余り無い様であった。じじいの贔屓ひいき目に見て、このまま鍛錬を積んで行ったとしても、自身の身を守れる程度が精々と言った所だろう。

(これからの時代、己の身を守れれば上等……じゃろうな……)

 ディザステルは確信めいた予感の元、フォグルがどこでどうなろうとも一人で生き抜いていけるだけの物を与えて行く積りだ。それがかつて闘神などと呼ばれていた自身の最後の仕事だと心に決めていた。


「そう言えばそろそろフリーレン村が収穫祭の時期じゃな」

 ディザステルが訪れる最寄りの村フリーレン。冬篭りに必要な物の買い出し兼、余分な保存食や仕上がった依頼品を届けに行かねばなと考えていたら、そんな時期だったなと思い出す。

 その言葉を聞いたフォグルは、無言の「行きたい!」オーラとキラキラ目線で訴えかける。

 それらにディザステルは気付かない振りをしながら、

「今年は運ぶ物が多いからのう。村から手伝いでも連れて来ようかのう……」

 とフォグルに良く聞こえる様に独り言を言う。

「じいちゃん! ボクが! おてつだいするっ!」

 間髪かんはつ入れずにフォグルが全身で主張する。

「ほーう……どうしようかのう。ちゃんと村で大人しくしてれるのかのー?」

「できるっ! ちゃんと! おとなしくしてるっ!」

「そこまで言うなら、一つ約束じゃ。『何があっても』大人しくしてる事。喧嘩なんぞ御法度じゃぞ? 出来るか?」

「うん! やくそくするっ!」

「よおし! なら明日はフォグルにお手伝いして貰おうかのう。もし約束を破ったら……」

 ニィィ……と恐怖を感じる笑顔でディザステルはフォグルに顔を近付ける。

「どどどど……どうなっちゃうの……?」

 ブルっと震えながら、恐る恐る訊ねるフォグル。

「秘密じゃ。なぁに、良い子のフォグルはじいちゃんとの約束をちゃんと守るんじゃから、心配する必要なぞないない」

「そそそそ……そうだよ! しんぱいないない!」

 これは絶対約束を破っちゃダメだと、固く心に誓うフォグルであった。


 翌朝、フォグルは日の出と共に目を覚ますと、横で寝ているじいちゃんを起こす。

 起こされたていのディザステルは早速朝食の準備に取り掛かる。「そんなのいいからはやくいこう!」とフォグルが急かしてくるが、ちゃんと食べないと連れて行かないぞと言えば、大人しく待って居た。

 ディザステルだけなら朝など抜いてもどうと言う事もないが、フォグルの体力がもたない。

 しっかり昼の用意もしつつ朝食の準備が整えば、二人で一緒に食べ始める。こんな些細な事がこれほど幸せに感じるとは、昔の儂は想像もせんかったなと、ディザステルは柄にもなく思わず感慨にふけってしまう。

「ごちそうさま!」

 フォグルの言葉で現実に引き戻されたディザステルは、歳を取るといかんなと心の中で呟きながら、「じいちゃんおそい! はやくはやく!」とフォグルに急かされながら手早く食事を済ませる。

 食器を片付け、荷の準備はその間にフォグルが整えておいてくれた。

 お手伝いするというのは方便という訳でもない様だった。

 忘れ物が無いか、荷崩れしないかを改めてディザステルが確認をする。

「よし! 上出来じゃ」

 ワシワシとフォグルの頭を撫でてやる。「にへー」とフォグルが笑っていた。


 二人が山を降り、村に着いたのは陽が傾き始めるより少し前。村は祭りの準備で大人の男衆が右往左往しており、常になく賑やかな様子である。女衆は祭りで提供する料理の準備中で、こちらはこちらで戦場の様であった。

「偶然じゃなあ。祭りの当日じゃったか」

 とシレッとした顔でディザステルがフォグルに言う。その言葉に疑問を抱く事なく、フォグルは純粋に初めて見るお祭りの様子に目を輝かせ居た。

「先にやる事を済ませてしまうぞ」

「うん!」

 二人は頼まれていた金物を各家に届けて回る。

 その行く先々で、

「おや? その子は……?」「フォグル! 五さいですっ!」「おお! じいさんに似ず礼儀正しい良い子じゃないか!」「おい……」

 といった様な遣り取りが繰り返されていた。

 いい加減ディザステルもうんざりしてきた所だが、まだもう一つ行く所がある。肉などの保存食や細工物はこの祭りの目玉として用意していたもので、そこに納めるのが今回の本来の目的である。

 ただしそこには古くからの知己ちきが居るため、他の村人以上に揶揄からかわれるのが目に見えている。だからと言って行かないわけにもいくまい。ディザステルは少し足が重くなった様な気がするのだった。

「はあ……では次の村長の家が最後じゃ。ゆくぞ」

 流石に疲れの色が見えて来ていたフォグルであったが、次で最後と聞いて「おー!」と力一杯大きな声で返事をする。

「カッカッ! 最後と聞いて元気になりよった。現金じゃのう!」

 村長の家は祭りの準備が行われている森に面した北の広場から南、村の中央の辺りに建てられている。

 村から南には広大な平野が広がっており、豊かな穀倉地帯となっている。それ以外の東と西には緑豊かな山々が。北にはゴツゴツとした岩山がそびえ立っている。北の岩山は鉱山が多く農地が少ないため、フリーレンは北と南の橋渡しの役目を担っていた。

 因みにだが、フォグル達が住む小屋は西の山に位置している。

 村長の家の前に着くと、ディザステルは遠慮もなしにズカズカと家に入り込んで行く。

「おうい! 来たぞー!」

「あ! はーい! 今行きまーす!」

 ディザステルが家中に響き渡る様な大声で呼ばわれば、奥から女性の物と思しき声が返って来る。

 トタトタと小走りで駆けて来るのは、三十過ぎの女性であった。

「ディザステル様。すみません遠い所わざわざご苦労様です」

「はっはっ。構わんよミスティ殿。これも儂の仕事の内じゃて」

「折角来たんじゃ、茶の一杯でも飲んで行くじゃろ?」

 ミスティの後ろからヒョコっと現れた老爺が、ディザステルに声を掛ける。

「何じゃレイナス、居ったのか。ミスティ殿の美しさで気付かなんだわ」

「ぬかせ!」「あらあらやだわあディザステル様ったら!」

 親し気に話す大人たちに混じれず退屈気なフォグルは、クイクイとディザステルの袖を引っ張って自分の存在をアピールする。

「おっと、そうじゃそうじゃ。済まん済まん。あのじじいが村長のレイナス、あの美人のママさんがアレの息子の嫁さんのミスティ殿じゃ。挨拶しなさい」

 とんとフォグルの背中を押して二人から良く見える様に前に出す。

「フォグルです。五さいです。じいちゃんがいつもおせわになってます」

 ペコリと二人にお辞儀をするフォグル。

「ほう……これが……」と村長。

「あらあら、こちらこそいつもお世話になってます。……ウチの娘にも見習わせたいわ」とポツリと苦労がしのばれる言葉が漏れるミスティ。

「お主と違ってしっかりしとるじゃないか」

「ここに来るまでにも同じことを散々言われたわ。もう耳にタコじゃ」

「はっはっ。日頃の行いのせいじゃな」

「うるさいわい」

「じいちゃん……」

 そわそわと落ち着かなげな様子のフォグル。

 その様子にピンと来たレイナスがディザステルとの話を切り上げ、フォグルに声を掛ける。

「いかんいかん。どうもじじいは余計な話が長くなってしまうな。祭りが気になるのじゃろ? 本番は日が暮れてからじゃが、準備も祭りの内じゃ。あまり邪魔にならん様に見学してくると良いぞ。そこのじいさんが許してくれるならの?」

「行って来ると良い。ただし、約束は忘れておらんじゃろうな? それと、村からは出ない事、それと暗くなる前に一度ここに戻って来る様にの。良いか?」

「うん! じゃあいってきますっ!」

 言うや否や、それまで大人しくしていたのが嘘かの様に、子供らしさ全開で勢い良く北の広場目掛けて駆けて行く背中を、危険など早々ないと分かっていても心配気に見送るディザステル。そして、それをにやけ面で見ているレイナス。

「過保護じゃのう」

「ふんっ!」

 年甲斐もなく良い玩具を見つけた子供の様なレイナスと、良い年こいたディザステルが照れ臭いのを誤魔化す様にしてそっぽを向くという、どちらも子供かと言いたくなる遣り取りにミスティは微笑ましい物を感じる反面、少し呆れてもいた。

「はいはい。お二人とも、良い年して子供じゃないんですからっ。フォグル君の前では止めて下さいね。教育に悪いですから!」

「「はい……」」

「それじゃ私は料理の準備がありますから。大したおもてなしも出来ませんが、ゆっくりして行って下さいね」

 そう言ってミスティは元居た調理場へと戻って行く。

「やれやれ。お前のせいで怒られてしまったわ」

「はっはっ。たまには叱られて見るのも悪くはないじゃろ? それより、頼んでおったモノを見せて貰えるか?」

 二人は場所をレイナスが村長の仕事で使う応接室へと移す。

 レイナスの前にディザステルは持って来た金属細工を広げる。それは例年執り行われている祭りのメインイベントである合同挙式のための指輪であった。肉はその時に村長が村人に振舞うための物である。挙式の進行等一切を取仕切るのも村長の役目である。

「ほう。銀に金に……白金まであるのか。今年の奴は奮発しおったのう」

「数はあっておるか?」

「ちょっと待ってくれ……よし」

 レイナスは机の引き出しをゴソゴソと漁り一枚の紙を取り出す。それを見ながら銀、金、白金を分けて数えて行く。

「銀が四に、金が五、白金が一……と。間違いないな」

 合計で十組二十個の指輪を、レイナスは丁寧に布で包む。

「細かなサイズ調整は本人たちが揃ってからやるとしようか?」

「いや、一度に来られても面倒じゃ。順番に呼ぶとしよう」

「任せる」

 その後、十組の新婚夫婦に代わる代わる指輪のサイズ合わせをして行く。事前に測ってはあったので全て問題なくはまったのだがディザステルは納得せず、全員にピタリと合う様に微妙なズレや指の形に合わせて調整をして行った。全てが終わったのは陽が暮れ始め、いよいよ祭りが始まろうかという頃合いであった。

 暗くなる前には一度戻って来る様に言っておいたフォグルが、一人の女の子と一緒に帰って来たのも丁度そんな頃だった。

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