ねじまき天使計画

 旅人は軍人や国の科学者に取材を申し込んだが、彼らは何も語ってくれなかった。口が堅いのではなく自分のことで精いっぱいで、よそ者に語る余裕がないようだ。

 そこでこの地に住み着く決心をする。部屋を借りて肉体労働に精を出した。

 はじめは得意の筆で日銭を稼ごうとしたが、どうやらこの国ではあまり娯楽を楽しむ余裕がないようだ。一度街の劇場を覗きに行ってみるも、皆本当に時間をつぶすために見ているといった表情で、心の底から楽しんでいる雰囲気ではなかった。そのせいあってか演じている側もやる気がないように思えた。

 アパルトメントの住民もどこかよそよそしく、噂を拾うのにも苦労をした。それでも長く過ごしていると、流れてくる言葉はあるものである。

 なんとか天使を空に送る計画の話を聞くことに成功する。

「時計塔を歩いて上ろうとした者は意外と多い。しかし正気で帰ってきた者はいない。内部は幾億もの時計がかかっており、不規則な音が続き精神を蝕む。二重らせん構造の階段が延々と続いており、搭乗者のできることは足を動かすことと、地上から運んできた食糧にかぶりつくだけ。チックタックという音が眠りを妨げ、横になっても夢の世界には逃げられない。そう絶対にだ。時計塔に入ったら絶対に眠ることができない。わかるだろ? 人は眠らないと正気を保てない。そんな単純な方法によって時計塔は人を狂わせる。かといって眠らなくてもいい種族を連れて行ってもダメだった。結局別の理由で狂う。時折前回探塔者の死体が落ちているが、それさえ癒しとおもえるほどの代わり映えのない毎日の中を上っていかなければならないんだ。推定では歩いて天上につくには何年……いや何十年もの月日が必要とされている。それぐらいの時間、眠らなくて狂わない自信があるなら、一度上ってみるといいんじゃないかな?」

 旅人は話をしてくれた路上生活者に礼を言って、取材料を払いその場を後にした。

 そしてふと立ち止まり隣に座っているじっと塔の方向を見ている男にも追加の料金を渡した。

 

 ある日旅人は時計塔に上る計画が実行されるということを何の前触れもなく知る。時間は夜。

 慌てて塔の方向を双眼鏡を使って見つめた。広場に天使と軍人が集まっているのを見つける。天使の数は十位ほどだろうか。天使たちもまたこの国の空軍の格好をしていた。

 戦闘機が一機、街頭を止まり木のように足でつかんで止まっている。あれは帝国製の物だったはずだ。輸入したのだろう。すでに前儀式は終わっているようで、本当に出発する寸前だった。戦闘機が大きく吠え、強く羽ばたき、空へ飛び立とうとしていた。

 旅人はアパルトメントを飛び出し、離陸場所へ走る。

 しかし、距離と時間というものは絶対的なようで、広場についたころにはすでに天使たちは飛び去っていた。

 渡り鳥が親鳥についていくように、天使たちが戦闘機の後ろについで飛んでいく。一人一人がランタンを持っており、光の線を夜空に描いていた。戦闘機は時計塔に向かってゆっくりと螺旋を描きながら空を目指していた。

 間に合わなかったものは仕方がないと、解散しようとしている見送りに来た兵士たちに旅人は声をかける。

「本当に天使を天に向かわせれば、時計塔病はなくなるんですか?」

 兵士たちは顔を見合わせる。

「さあ? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「それでいいんですか?」

 肩をすくめるだけの兵士ばかりだったが、一人だけこちらへきて強くいった。

「失敗してくれたほうがいい」

 旅人は虚を突かれた顔をした。

「なぜ?」

「私は時計塔病にかかった息子を楽にしてやった。一生あのままよりはいいと思ったんだ。だが今回の計画が成功し時計塔病が不治の病でなくなると、私のやったことが間違いだったということになる。そもそも今回の計画の信憑性なんてもとからありはしない。王が言っただけで、私たちはそれに従っただけだ」


 旅人はそのまま自室に帰った。

 もしや自分はものすごく大きな物語を取り零してしまったのではないかという焦りにとらわれる。兵士たちはああ言ったが、彼らがこの国を救うことになるかもしれない。そのことに関われなかったことを、ひどく悔しく思う。だからと言って自分から時計塔に上るのは恐ろしくて出来なかった。何もできないのなら終わるしかない。あまりにあっけなく終わったことに焦燥を感じ、長らく受け入れることができなかった。

 しかし月日が経つにつれ、気持ちを切り替え、彼らがこの国を救う日のことを夢見て日々を過ごすことを続けることにする。望まれずに送り出された天使たちに祝福があらんことを、そう祈った。

 旅人は天使たちのことを本に書く。その本は少しだけ売れ、天使のことは少しだけ知れ渡った。しかし、王が死に代替わりすると、事態が一変する。現王が前王の政策はすべて愚策だったと断じ、前王に肯定的な意見を封殺し、焚書を始めた。旅人の書いた本も例にももれず、出版停止となる。命の危険さえも感じた旅人は、心残りを感じながらも、そのまま祖国へ帰り、親に決められた人と結婚した。時計の国は鎖国をはじめ、自国の情報を外へ漏らさないようになり、かつての旅人はあのあと天使たちがどうなったかわからないまま生涯を閉じることとなった。

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