04●じつは哀愁漂うダンディな主人公ハリマン氏、そして鎮魂曲。

04●じつは哀愁漂うダンディな主人公ハリマン氏、そして鎮魂曲。





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 さてハインラインの『月を売った男』では……

 なぜ、人類を月へ送り込もうとするのでしょう?


 全てのカギを握るのは、主人公のハリマン氏。

 作品タイトルの通り『月を売った男』となる、大胆にして智謀豊かな起業家です。

 この作品は徹頭徹尾、ハリマン氏の奮闘記。

 二十世紀のNHK有名番組、“プロジェクトX”そのものな雰囲気なのです。


 ハリマン氏にとって、月旅行は投機的な収益事業。

 ずばり、ビジネスです。

 儲けを取らなくては意味がありません。

 ここのところ、『宇宙への序曲』とは真逆ほどに異なります。

 徹底的に、月を収益化することに、彼は執念を燃やします。

 まず必要なのは民間の投資。

 スポンサーを募ります。


 たとえばコーラ系飲料メーカーの“モカ・コーカ社”、ここでハリマンはライバル社の“6+”社を引き合いに出してスポンサー契約を交渉。【デ300】

 え? コカ・コーラとセブンアップ? さあどうですか、あたしゃ知りませんよ……てなところですか。そこでハリマン氏、モカ・コーカを公式飲料として月へ持っていく提案をします。

 といっても炭酸飲料、大丈夫かな? 低重力下で飲んだら、お体が無事では済まないような……

 一方、大手新聞社に対しては、“ロシア人たちが月に着陸して、そこをルナ・ソビエトだと宣言”したらどうなるかと脅し、援助を促します。【デ304-305】

 要するに、トップニュースの見出しがロシアに取られるのかUSAでパーッと飾れるのか、どっちの方が新聞の売り上げに貢献するかということですね。


 その他、切手やダイヤモンドなどどこか怪しげな物件も取り込み、さまざまなオフィシャルスポンサー契約やら、放映権【デ334-335】やら出版権やら、多種多様な権利ビジネスを展開して、がっちり稼いだようです。

 まあ、二十一世紀のオリンピックみたいなものですか。ハリマン氏の商才と、その先見の明は、もうSFを超えたドキュメンタリーです。作者のハインライン偉大なり、ですね。


 で、もちろん月は不動産。

 クレーターの命名権を売ろうか……なんてアイデアも触れられます、“月の裏側は全部、まだ手がついていない”、つまり名前がついていないってことで。【デ263】

 月面の土地売買、鉱山などの採掘権、しかも意図的な月面土地転がしまで……と、二十世紀末の浮かれたニッポンを思わせる月面土地バブルが周到に仕組まれていきます。【デ266-267】


 しかしそのためには……

 誰よりも早く月面に旗を立て、月世界の領有を宣言しなくてはなりません。

 誰かに先を越されたら、なにもかもおじゃんで水の泡。

 ハリマン氏、猛然と月旅行計画を進めます。こうなるとバクチですね。

 このままでは月面にト〇ンプタワーでも建てそうなカネの亡者か、あるいは月のウサギも逃げ出しそうなエコノミックアニマルぶりを発揮するハリマン氏でしたが……


 実は、そうではない一面も隠していたことが判明します。

 “月へ行くのは銭のため”

 とは限らなかったのです。

 といいますのは……

 ハインラインはこんな短編を発表しています。


 『鎮魂曲』Requiem 1940 :ハヤカワ文庫SF 中短編集『地球の緑の丘』所収、矢野徹訳 1986。発表年の1940は、同書P409の巻末解説より。


 少年時代から月へ行く夢に憑かれていた大金持ちの老実業家ハリマンが、人生の晩年でついに思いを果たそうとする……という、哀愁漂う佳作です。

 描かれているのは、月旅行計画の“その後”のハリマン氏。

 ハインラインの作品はSFでありながら科学偏重ではなく、人間ドラマにも重きを置いており、とりわけ、苦難を受け止めて宿命的に対処する男の寂しげな背中……といった、ハンフリー・ボガート風というのか石原裕次郎的なのか、豪快だけど渋みもある人物描写が大きな魅力となっています。


 で、この短編、じつは中編の『月を売った男』の結末からダイレクトにつながっている続編なのです。

 続編にも拘わらず『月を売った男』よりも十年早く発表されている、という事実の凄さにご注目下さい。ハリマン氏というキャラクターは、それだけ早くからしっかりと構築されていたということですね。作者ハインラインにとって、並々ならぬ重要な人物像であることが察せられます。


 短編『鎮魂曲』で、人生の最晩年を迎えたある日、ついに子供のころの夢をかなえようと捨て身の冒険に挑むハリマン氏。

 その夢はハリマン氏の心にどのように宿っていたのか?

 具体的には『月を売った男』の冒頭で語られています。

 ハリマン氏が事業パートナーに語る告白です。


「静かな夏の夜に、女の子とならんで坐り、月を見上げて、あそこには何があるのだろうと不思議に思ったことなどないのか?」【デ213】


 ありとあらゆる宇宙SFの出発点ここにあり、といった名ゼリフですね。

 これが、男ハリマンの夢の原点だと考えていいでしょう。

 ひょっとして隣に座った女の子とうまくいって結婚したのかもしれませんが、残念なことにのちに奥様になった女性は月にはからっきし興味がなかったようで、そこにも哀愁漂うハリマン氏の泣き笑いなドラマが見え隠れします。【デ238-245】


 それはそれとして、人生の全てをかけて、いよいよ最後のときに、少年のころから“ヴェルヌを読み、ウェルズを読み、スミスを読み、(中略)心を決めていた”【地球の緑の丘P54】ただひとつの夢に手を掛けようとするハリマン氏の姿は、米国映画のオールタイム最高傑作とされる『市民ケーン』(1941)のオープニングとラストシーンを彷彿とさせるものがあります。

 『月を売った男』では目的のために手段を選ばない剛腕ビジネスマンに徹したハリマン氏ですが、『鎮魂曲』を続けて読むことで、がらりと趣を変えて、“孤独の中に夢を追い続けて、とうとう年老いてしまった少年”として読者の前に浮かび上がってくるのです。

 さすがハインラインです。クラークに引けを取らない、ちよっぴり哀しくて切ない結末を用意していたのですね。


 クラークの『宇宙への序曲』をSFならぬ“思索スペキュレイティブフィクション”と位置付けるならば、ハインラインの『月を売った男』は“株式市場ストックマーケットフィクション”といったところでしょう。1950年代当時、気炎を吐いていた共産主義に対抗するかのように、月を資本主義的に料理したわけです。

 しかしさすがにハインライン、単なる金満資本主義礼賛の太鼓持ちSFにはしませんでした。

 主役のハリマン氏は、資本主義的に大成功するのですが、その成功には、“孤独”がおまけについていたのです。成功すればするほど、出世して大人物になればなるほど、取り巻きの人々は彼を健康面でリスキーな宇宙旅行から遠ざけたのでした。

 そして最後に彼は全てを捨てて少年の心を取り戻し、ただひとつの夢の実現に命を捧げます。

 “月へ行くんだ”と。


 『鎮魂曲』の冒頭には、サモア諸島で没した英国の冒険作家スティーヴンソン(『宝島』の作者ですね)の墓碑銘“Requiem”が掲げられています。

 結果的に、クラークの母国に対してリスペクトを捧げるスタイルになったかのようで、クラークとハインライン、この両巨頭の、どこか運命的なつながりが現れているのかもしれません。


 『月を売った男』と『鎮魂曲』、ぜひ併せてご一読をお勧めする次第です。


 クラークの『宇宙への序曲』もそうですが、いずれも昔のSFです。既に過ぎ去った未来、レトロフューチャーの物語であり、そこに新しさは微塵もありません。

 しかし不思議なことに、二十一世紀の今、読み返しても、最近のSFでは得られない摩訶不思議な感動に再び包まれることに驚きます。

 幼い頃、満天の星空を見上げたとき……

 天球に吸い上げられるように感じた、あの思いは何なのか。

 あの輝く天体に、いつか、行ってみたい。

 そんな素朴な憧憬に、これらの作品は応えてくれるのです。




 

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