[8-5]吸血鬼騎士は罪の告白をする(上)
一体、姫様はどうしてしまったのだろう。
出会って間もない頃、彼女はひどく傷ついていたせいか、繊細で大人しそうな印象だった。
なのに今日は、というよりも、最近の姫様はぐいぐいと圧をかけてきているような。
俺が治療のため離れていた間に、なにかあったのか。
「姫様は何が食べたい?」
何はともあれ、スキルを学ぶことは悪くないと思う。
料理は生きていくのに必要不可欠な技術だし、彼女のためになるだろう。
そう考えつつ聞いてみると、姫様は人差し指をあごに当てて考え始めたようだった。
「寒かったし、温かいものが食べたいかも」
温かいものか……。
一年中この国が寒いのは当たり前のこととはいえ、俺達はついさっきまで巨大な氷室のような洞窟に身を置いていた。
帰ってきてから熱い紅茶を飲んで寒さは少しはマシになったものの、身体があたたまるような食事を取りたいという気持ちは分かる。
「じゃあ、
まずは材料がそろっているか確認する必要があるけれど、ノアやケイトは一度台所に入っているし、たぶん不足はないだろうと思う。
身体の芯から温まるシチューだし、姫様も美味しいと言って食べていた。
予想に違わず、俺の提案を彼女は快く思ったらしい。笑顔で頷いてくれたので、俺はソファに折り畳んであった上着のポケットから髪紐をつまみ上げた。
「手始めに、姫様。長い髪をこれで
教えながら作るんだったら、彼女には正しい知識を与えてあげたい。
姫様は城から出たことないだろうし、彼女の身分を考えると自分の身なりひとつさえ整えたことなんてないだろう。
ここは俺が彼女の髪を縛ってあげた方がいいのかも。
いや、ちょっと待て。
王家の別荘地で姫様を拾った時、彼女は一人で着替えていなかっただろうか。
今まで何泊か寝食を共にしてるし、途中から犬が参入したとはいえ、その前から彼女は身支度は自分で整えていたような。
「うん、分かったわ」
一人で悶々と考えていると、姫様はするりと俺の指から髪紐を抜き取り、髪を一つ括りに結んでしまった。
他人に任せず自分のことは自分でやってしまう王女というのも、珍しい気がする。母は精霊だという話だし、自立できるように教え込んだのは父親のユミル国王なのだろう。いまだに多くの国民に支持されてるみたいだし、立派な人物なのかもしれない。
小さな貯蔵庫を見ると、材料は一通りそろっていた。
料理初心者の彼女にまず教えられそうなのは、野菜のスライスくらいか。
包丁を持たせるのも心配は拭えないけれど、そんなことを言ってたらなにもできなくなる。扱い方を正しく教えれば大丈夫かな。
「じゃあ、姫様には野菜を包丁で切ってくれる?」
「うん、分かったわ。包丁は使ったことないけど、刃物を扱うのは得意なの。任せて」
あれ、これは予想外だ。
料理を作ったことがないって言ってなかったっけ。
刃物の扱いが得意って、どういうことだ?
俺の記憶が正しければ、姫様は剣士じゃなかったと思うんだけど。
「一つ聞きたいんだけど、姫様、普段からナイフとか触ることが多かったってこと?」
「そうなの。ナイフと言っても、果物ナイフだけど」
一国の王女が果物ナイフを使う場面って、あるのか?
庶民ならともかく、果物を剥いたり切ったりするのは城の料理人の仕事だろうに。
「姫様が果物を切っていたってことなのかな?」
「そうよ。精霊ってあまり器用じゃないみたいで、人間になっても母さまはリンゴをひとつ剥くのも難しくって。だから、わたしがいつも果物を切ってあげていたのよ」
どこから突っ込めばいいんだ?
もういいや、考えるのはよそう。グラスリードの王族は庶民派ということにしておこう、うん。
「でも包丁は使ったことがないから、教えてくれる?」
小首を傾げる仕草は小動物のようだ。
姫様の頼みはいつだって断れない。それは俺だけじゃなく、きっと犬や他のみんなだってそうなんだろうと思う。
「基本的な使い方はそんなに変わらないよ。リンゴの皮むきができるなら、野菜の皮をむくのも大丈夫そうだね。ただ——」
姫様の背後に立ち、彼女の小さな左手をつかんでまな板へ誘導する。
自分の手を彼女の手の上に重ねたまま、指を曲げてみせる。
「具材を切る時は指を伸ばしたままだと危ないから、こうやって猫の手みたいに丸めた状態で持ちながら切ってね」
「こ、こう?」
「うん、そうだよ。さすが姫様、上手だね」
手のひらから伝わってくる熱と、ふわりと香る甘い匂い。胸の内でなにかが
だから吸血鬼ってやつは嫌だ。
少しもたげた欲望を振り払うように頭を振ると、ふと姫様の耳が赤くなっているのに気がつく。
しまった。また距離を近づけすぎた。
迂闊すぎるだろ、俺。こっちまで恥ずかしくなってくるんだけど!?
「ひ、姫様はそのまま野菜を切ってて。俺は肉の調理に取りかかるからっ」
やばい、声がひっくり返りそうになる。とりあえず落ち着け。
深呼吸してから火を点けて弱火でコトコトと肉を煮る。スープのもと、ブイヨンを作るのだ。
なるべく火を使う作業は俺が担当することにした。
隣からトントンと包丁の音がする。
丁寧に切ってもらった野菜を炒めて、肉を入れた鍋に入れる。調味料や下
コトコトと具材が煮詰まる音が聞こえる。
「これで終わりなの?」
「そうだよ。あとは少し待つだけ、かな」
手が空いたところでサラダを作りたいところ、なのだけど。
鍋にじっと視線を向けている姫様に、思わず目が向いてしまう。
なぜ彼女が、急に料理を教えてなんて言い出したのか、なんて。本当は分かってる。
姫様は俺に聞きたいことがあるんだろう。
できることなら、話を切り出すには俺自身からの方がいい。
そうは思うんだけど、やっぱりいざとなると開きかけた口が動かなくなって、ためらってしまうのだ。
どうして自分の過去についてこんなにも話したくないのか。理由は一つだ。
本当の俺を知った姫様がどう思うのか、こわいのだ。
彼女に嫌われたくない。
けれど正直に話して俺を嫌ったとして、姫様の方から遠ざかっていくのもいいことなのではないのだろうか。
俺は今やどの国にも属さない、いわゆる亡命者だ。
犬が言うように、たとえ万が一にも彼女が俺に好意を持ってくれていたとしても、俺はやっぱり姫様とは一緒になれない。
「姫様は、俺とライがどうしてグラスリードに来たのか聞きたい?」
この話題を、俺があえて避けていたことを彼女は察していたのだろう。
食い入るように見上げてくる姫様を見て、思わず苦笑する。
「そろそろ、ちゃんと話しておきたいんだ。でも今から話すことを聞いたら、姫様は俺のことを軽蔑するかもしれない」
与えるショックのことを考えると、ワンクッションの言葉を置いておきたかった。
予想通り、心の優しい姫様はふるふると首を横に振る。
「軽蔑するわけないよ。だってキリアは、見ず知らずのわたしを助けてくれたじゃない」
「それは冥王竜に頼み込まれたからだよ。それに少なくなりつつある人間が治める国を、守りたかったのもある。損得で助けたわけじゃないのも本当だよ。でもね」
少しだけ目に力を込める。
胸がきしむのをあえて無視して、俺はまっすぐに姫様の目を見て尋ねた。
「俺がイージス帝国でクーデターを起こした首謀者だって聞いたら、姫様はどうする?」
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