[8-3]王女、答えに詰まる
「おまえこそ、なぜロディや私を救おうとする?」
冷たい微笑みと共に、リシャさんは私にそう尋ねてきた。
どう答えたらいいのだろう。どんな答えを彼は望んでいるのかしら。
ううん、違うわ。取り繕った言葉なんて、きっとこの人の心には響かない。
「それはあなたもロディ兄さまも、グラスリードの民だから」
まっすぐ顔を上げて言ったのにため息をつかれた。
半眼でわたしを軽く睨みつけて、リシャさんは腕を組む。
「何を言うかと思えば……。私はそれこそグラスリードを滅ぼした元凶だよ? それにロディはおまえに何をした? 忘れたわけではないだろう」
「ええ。ロディ兄さまはとてもひどいことをしたわ」
もちろん片時だって忘れたことはない。
二度も殺されそうになったし、なによりもロディ兄さまはクローディアスを殺してしまった。
「国主に牙を向けたロディ、そして守るべきだったこの島のすべてのいのちを凍りつかせた私に救うべき価値などない。もはやグラスリードの国民ですらないんだよ。どうしてそれが解らないんだ?」
「そんなこと、ないわ」
自分でも意固地になっていると思う。
だけど、譲ることなんてできない。ロディ兄さまもリシャさんも殺されて当然、救う価値なんてないって決めつけたくない。
「わたしはロディ兄さまを本当の意味で理解してなかった。自分のことが精一杯で理解しようとしなかったかもしれないわ。人知れず苦しい思いをしていたなんて知らなかった。ロディ兄さまだって国を愛していたもの、王様になりたいと願うのは当然だわ」
「当然だとしても、それを口にするわけにはいかないことはおまえもよく知っているはずだよ」
「そうね、でも……」
ふいに、視界が歪む。
もう無理だった。うつむくと、目からあふれだした涙はぼろぼろとコートを濡らす。
「でもわたしはっ、ちゃんと知りたかった! ロディ兄さまの苦しいことや抱えていることを、ぜんぶ、分け合いたかった。全部聞いた上で恨むかどうかは決めるわ。リシャさん、あなただってそうでしょう? 本当はずっと助けて欲しかったんじゃないの? だから自分を飲み込んだシロちゃんを受け入れたんでしょう?」
ああ、どうしよう。涙が止まらない。
なにも言わず、キリアがわたしの目の前に紺色のハンカチを差し出してくれた。
受け取って目に押し当てると、石鹸のにおいがした。
ちょっとだけ落ち着いてきたかも。
もう一度、リシャさんにはため息をつかれた。氷のような微笑みを見た時はゾッとしたけれど、もしかして呆れられてしまったのかしら。
「どうして、おまえは意地になって私に構うんだ? まさか王族だからすべての民を平等に愛すべきだとでも? そんな甘ったるい考えでいたから、おまえは城から追放されたんだよ」
腕を組んだ姿勢を変えないまま、リシャさんは色に違う両目でわたしを軽く睨みつける。
「人はすべての人々を愛せるほど万能じゃない。一人に抱えられるものの量なんてたかが知れている。話せば誰とだって分かり合えるなどというのは、ただの綺麗事だ。それができれば私も死ぬことはなかっただろうよ」
ずしりと言葉のひとつひとつが胸に突き刺さる。
みんなで力を合わせるには、力に訴える以外の方法が必要だと思ってた。シロちゃんも話すと分かってくれたもの。どんな人とでもできるだけ話し合いで解決できればいいと思っていたのだけれど……。
もしかして、わたしは間違っていたのかしら。
「人の心は脆く、簡単に壊れる。人間や魔族に限らず、人族はとても愚かな生き物だよ。そのうちロディの甘言に
「わたし、は……」
冥王竜は前に言ってたわ。王子は昔、投獄されて処刑を待っていたって。そして牢屋から逃げ出したところを殺されたとも。
だとしたら、リシャさんは城の兵士に殺されたのかもしれない。
わたしだったら、どうするかしら。
お城を追い出されているものの、わたしはリシャさんのようになにもかも失ったわけじゃない。捕まってるけど父様は生きているし、母さまは一番安全な海底洞窟の中にかくまわれている。
街に出ればノア先生やハウラさん、ガルくんたちみたいに父さまやわたしの味方でいてくれる国民たちもいて、キリアだって初対面なのにずっとそばにいて守ってくれた。
奪われたものといえば、クローディアスの命だけ。
外に放り出されて、死んじゃうような目にも遭って、大変なことはたくさんあったけれど。
たくさんの人たちにわたしの命は守ってもらえている。
リシャさんはわたしが王族だから、自分と同じ立場にあると思っているのかも知れない。けれど、ほとんど何も失っていないわたしが彼の気持ちを、果たして本当の意味で理解しているのかしら。
わたしはたとえ、国民のみんなに殺されたとしても恨まないと思う。
——と、答えを出すのは簡単だ。
でもそれは、きっとリシャさんの心には響かない。
彼の凍った心には届かない気がするの。
「恨まずにはいられないだろうね」
穏やかなテノールボイスが耳に入ってくる。
わたしの肩を抱く手のひらに、少しだけ力が込められたような気がした。
「あくまでも俺の場合は、だけど」
「キリア……?」
なにも言わず、キリアは頷いて返すだけだった。
口もとを少し緩めただけの微笑みは、まるで自分に任せてと言っているみたい。
彼はいつだってそう。口癖のように繰り返す「俺に任せて」という言葉が、これまで何度もわたしを力付けてきた。
なにか考えがあるのかも。
わたしはひとまずキリアに任せてみることにして、頷き返す。
無言の返答を受け取った彼は前を向いて、リシャさんに語りかける。
「リシャール、俺はこの通り貴方と同じ魔族、しかも吸血鬼の魔族だ。故郷は人喰いにより強い力を手に入れた魔王によって奪われ、俺の主君は殺された。家族を奪われ、人間だった俺は命まで奪われ、こうして吸血鬼として生きることまで強いられている。すべてではないにしろ、貴方が言いたいことは理解できるよ」
突然すぎる告白だった。思わず息を飲んで、わたしはキリアをまっすぐに見つめる。
リシャさんに向けた言葉だけど、それは初めて彼が口にする過去の話。
でも予想できなかったわけじゃない。雪洞の中で、キリアの故郷が人間の王様が治める国だったと聞いた時から、よく考えれば分かったことだわ。
そういえば本で読んだことがある。
魔族の中でも、吸血鬼の部族の人は普通の方法では子孫を残すことができない。他種族のひとの血をすべて吸って、そのいのちごと吸血鬼に変えるんだって。
グラスリードには吸血鬼の魔族はいないから、すっかり忘れていた。
「貴方の言う通り、話し合えば誰とでも分かり合えるだなんて、甘い空想だと思う。世界なんて終わってしまったらいいと何度思ったことだろう。俺の人生を狂わせた奴らが憎くて仕方なかった。どうせならすべて道連れにして死んでやろうと綿密な計画を練っていたこともある」
「その計画は実行に移したのか?」
ようやくリシャさんが言葉を返した。
キリアは首を横に振って、否定する。
「思いとどまったから、俺はこうして生きている。ある友人が必死に引き止めてくれてね」
クスリと笑ったキリアは優しい目をしていた。もしかしてその友人って、ライさんのことなのかしら。
「リシャール、たしかにいきなり現れて助けたいだなんて言われて、すぐには信用できないかもしれない。だけど、貴方に生きていて欲しい、大切に守りたいと本当に願っているひともいるんだ。俺たちはそのひとに話を聞いて助けたいと思ったから、貴方に会いに来た。そうだろう? シロ」
『キリアのヒト……』
ぽてっと飛び降りて、シロちゃんはじっとリシャさんを見上げる。
透明の壁をくちばしでつつき始めると、冥王竜は何も言わずに結界を解いてくれた。
外が予想以上にしんと冷えていて寒かったけど、背中に回されたキリアの腕があたたかいから、少しだけマシだった。
翼を広げ、リシャさんのすぐ前まで飛んでいくと、シロちゃんは二本の細い足で立った。
『リシャ、死ぬだなんて言わないで』
「そんなこと一言も言ってないだろう?」
『ううん、おんなじだよ。だって、世界が終わったらリシャも死んじゃうんだよ。シロはリシャのことが世界で一番好きなの。生きて欲しかったからリシャを食べたのに、ひどいよ』
最後まで言い終える前に、すでに声はふるえていた。
白くて丸い後ろ姿しか見えないけど、きっと泣いてるんだと思う。胸がせつなくなった。
口を引き結んだままリシャさんはシロちゃんを見下ろしてたけど、三回目のため息をついてしゃがみ込んだ。腕にふわふわの白い鳥を抱いて、再び立ち上がる。
色の違う両目は半眼になっていたけど、もう無機質なガラス玉じゃなかった。
「シロは私にどうして欲しいんだい?」
『生きてて欲しい。死なないんだったら元のからだに戻って。ずっとこれからもシロの隣で笑って欲しいの』
シロちゃんの姿がだんだんと透けていく。雪色の鳥とリシャさんの姿が重なり合う。
もともと白い鳥の姿は分身だって言ってたし、今のリシャさんの姿がシロちゃんの本体でもあるのかな。
姿さえ朧げになってきた時、丸い輪郭が溶けた。
ふたつに結った真白い髪と、鳥のような白翼。白い袖なしのワンピース姿を着た華奢な女の子は、鳥の姿の時と同じくリシャさんの腕に抱かれている。
ああ、やっぱりそうなのね。シロちゃんは〝世界の嘆き〟と呼ばれた氷の魔物であると同時に、リシャさんに恋をするひとりの女の子だったんだ。
「まったく、ひどいのはどっちだよ。もう疲れたと何度も言っているのに、まだおまえは私に生きろと言うのか」
「だってリシャのことが大好きなんだもん!」
「わかった。わかったから」
顔を合わせてこうして話している今も、リシャさんは少しだって笑わない。
だけど、今まで見せていたような冷たい雰囲気が薄れていっているような気がする。
困ったような表情は、普通の人みたい。
改めて考えると、シロちゃんってすごい。
あれだけ警戒心が強かったリシャさんの態度を、少し話しただけでやわらかくさせちゃうだなんて。
「仕方ない、シロに免じておまえたちを信用してあげるよ。どうやらこの子を騙していたわけではないようだしね」
「信じてくれるの?」
手を握り合わせておそるおそる聞くと、リシャさんにクスリと笑われた。
「信じてあげるよ。それに、グラスリードがおまえの言う綺麗事を実現させる国になれば、住んであげてもいいしね。王族の一人としてせいぜい頑張ることだね、お姫様」
皮肉った言葉とは裏腹に、彼は顔を綻ばせる。
氷の彫刻のようにきれいで、やわらかい笑顔だった。
認めてくれたんだ。きっかけはシロちゃんの涙と言葉だったとしても、信用するに値する者だって。
胸がじんわりとあたたかくなる。
どうしよう、とてもうれしい。
「ありがとう、リシャさん」
「良かったね、姫様」
「うん」
頷いてわたしはキリアを見る。
瑠璃紺の瞳はいつもと変わらず穏やかなままで、気まずそうな雰囲気は少しもない。
彼の過去を知ることができたのは思いがけないことだったけれど、きっとリシャさんのため、そしてグラスリードを救うためにキリアは語ってくれたんだわ。あんなに口にするのも辛そうにしていたのに。
今は無理だけど、後でなら少しはキリアと話せるかしら。ううん、ちゃんと話さなきゃ。
決意を胸に秘め、わたしは心の中で拳を握りしめる。
そのすぐ後に、腕の中にいたシロちゃんが「一番はシロに笑わないとだめー!」と、リシャさんに猛抗議を始めて、わたしはその時になって彼が心から笑ったことにようやく気づいたのだった。
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