[7-4]王女、出逢いの話を聞く

 白い羽根を広げ、氷の魔物が空高く飛ぶ。


 ナイフのような鋭い視線が、肌に突き刺さった。

 立っているだけで凍えるような感覚は、殺気なのかしら。


「姫様は下がってて。来る……!」


 張り詰めたようなキリアの声に制されると同時に、わたしの目に映ったのは氷のかたまりだった。


 無数のソレが、前に立つキリアや冥王竜に襲いかかる——!


「いてててて」


 と、思っていたのだけど、あまり心配はないみたい。

 痛がってるけど二人とも笑ってる。

 まるで衣服に積もった雪をはらうみたいに、冥王竜は肩についた氷の粒をてのひらで払っていた。


「キリア、大丈夫? 怪我はない?」


 気になって後ろから彼に声をかければ、キリアは振り返ると、笑いながら同じように肩をポンポンと軽く叩いて氷のカケラを払っていた。


「心配いらないよ。ただの氷のつぶてだから。ひょうだったら危なかったかな。当たると地味に痛いけど、大したダメージにならないよ」

「そうなの? それならいいけど」


 どういうことなのかしら。

 あの子がいにしえの魔物〝世界の嘆き〟であるなら、強いチカラを持っているはずだよね。

 さっき冥王竜は魔力をあまり感じられないって言ってたし、なにか関係あるのかしら。


「えーと、どういうことかな?」


 頭を払いながら、ガルくんが尋ねる。

 目の前で白い翼をバタつかせるシロと名乗る魔物を眺めながら、冥王竜は「うーん」と唸っていた。


「あれは分身に間違いないと思うんだけど、もしかしたらあの子は王子に魔力の大部分を奪われてしまっているのかもね」


 もう氷の嵐はこなかった。だけど、翼を大きく広げて白い鳥はまだ威嚇している。


『リシャを殺さないで。先に傷つけたのはでしょう!? リシャは悪くないんだからっ』


 何度も「リシャ」という名前を持ち出して、わたしたちに氷や雪のカケラをぶつけてくる。

 その姿は、まるで大切なものを守ろうとしているみたいで、胸がせつなくなった。


 冥王竜は、王子の憎しみや恨みの気持ちが強すぎて〝世界の嘆き〟を取り込んでしまったと言っていた。


 だけど、こうしてわたしたちの前で小さなからだを差し出して戦おうしている。

 その姿を見ている今では、どうしてもそうは思えない。


 だってこの子には心があるわ。


 わたしたちみたいな人族でも当たり前に持っている、誰かを大切に想う気持ちが。


「シロちゃん」


 明滅していた瞳が薄いグレーに戻り、はたとわたしを見つめた。

 そろりとキリアの背後から出て、ゆっくりと純白の鳥に近づく。


「とりあえず、話をしましょう? リシャさんという名前は初めて聞くし、わたしたちもあなたの抱えている事情が知りたいの」

『リシャに何もしない?』

「うん。今は何もしないって約束する。だから、何があったのか話してもらえないかしら」


 なるべく傷つけないように、優しく言ってみる。

 しゃがんで視線を合わせれば、上目遣いにしてシロちゃんは頷いたのだった。




 * * *




『ずっとずぅっと昔から、リシャとは友達だったの』


 地面に下り、広げた翼を折りたたんで、シロちゃんは話してくれた。


「それって、島が氷漬けになる前の話?」

『そうだよ。シロは気がつくとこの島にいて、洞窟の中で暮らしてたんだけど、リシャは友達になってくれたの』


 空をあおいで、シロちゃんは鈍色にびいろの目を細める。

 その視線の先は曇天じゃなくて、きっと過去を見ているんだと思う。


『リシャはうんと小さい頃から精霊たちと仲良しで魔法が得意で、シロのことも最初は精霊だと思ったみたい。でもシロは魔物だってこと知ってたから、リシャに教えたの。でもリシャは構わないって言ってくれた』

「きみ……シロはそのリシャが、一国の王子だってことは知ってたのかい?」

『知ってたよ。今まで会ったヒトみんなシロを殺そうとしたけど、でもリシャは違ったの。一度は魔物退治だーって大騒ぎになった時もあったけど、リシャはシロを守ってくれたの。優しくしてくれたし、シロって名前も付けてくれた。なのに、』


 アーモンド型の瞳がくるりとわたしたちに向けられる。


『リシャはシロの目の前で、こわいヒトに殺されたんだっ』


 怒りを宿した両目はさっきと同じように殺気がこもっていた。

 止まっていたのに、また指先が震え始める。見つめていると身体の芯まで、ううん、心まで凍ってしまいそう。


『リシャは泣いてた。悲しくて悲しくて心がこわれかけて、魂が砕けそうになってた! だからシロはリシャを消えさせないために、リシャの魂を拾って食べたの』


 食べ、ちゃった……?

 どういうことなの!?


「食べた……? え、どういうことかな。理解が追いつかないんだけど」


 ほら、キリアも動揺してるじゃない!


「ええと、たぶんそのままの意味じゃないかな。俺自身も信じられない気持ちだけどさ」


 冥王竜も顔を引きつらせて、そわそわと尻尾を揺らしてる。

 土の上に積もった雪がかれの尻尾で払われて、どんどん削られていく。


「ということはアレだね。てっきり俺達は恨みを抱いた王子が魔物を取り込んだと思っていたけれど、真実は逆だったワケだ」

「つまり、正しくは魔物が王子を取り込んでしまったということだったんだね」

『ちっがーう!!』


 きれいに要点をまとめてくれたと思っていたのだけど、冥王竜とキリアの言葉をシロちゃんは真っ向から否定してしまった。

 プンプンと怒ったシロちゃんは顔を真っ赤に……、はしてなかったけど、目が鋭くなってる。


『シロはリシャが大事で、大好きだから、丸ごと食べたのー! そこのヒトも竜なんだからわかるでしょー!?』

「ええ……、そこで俺に同意を求めないでくれるかな。たしかに俺達竜は恋しいと想う人族を呑み込んで、相手を竜に変えることがあるけれど」

「冥王竜もこんな時に何を言ってるんだ!?」


 ちょっと、会話の内容がどんどん大胆な方向に突き進んでいないかしら!?

 キリアが声を荒げるのも当然よ。


 そんな『恋しいひと』を食べる、だなんて、大胆すぎるわ。聞いてるわたしまで恥ずかしくなってきちゃう。


 でも、なんとなくシロちゃんの気持ちが分かってきたかも。


 きっとシロちゃんは今のわたしとなんだ。


「シロちゃんはリシャさんを守りたかったのよね?」

『うん、そうなの! リシャはとってもきれいで優しいの。今は疲れてるからこわい顔してるけど、本当は優しいんだ』


 翼を広げて熱く語るシロちゃんのそばまで近づいた。

 しゃがみ込んで視線を合わせると、白い羽毛をくっつけてすがりついてくる。


『シロにはリシャが必要で、リシャもシロのことが必要なの。だからおねがい』


 氷みたいな鈍色の濡れた両目が、わたしに哀願する。


『リシャを殺さないで』


 まっすぐなシロちゃんの無垢なるねがいは、わたしの胸を貫いた。


 すべてを凍りつかせる魔物なんて、どんなに恐ろしい存在なのだろうと思っていたけれど、想像とは全然違ってた。

 大切な誰かを好きになって、大事に想って、守ろうと立ち上がる。


 わたしと同じ。きっとシロちゃんはリシャさんに恋してる。

 

 普通のひとと同じで、誰かを想う心を持ってるんだわ。


「冥王竜、リシャさんとシロちゃんのことなんとかならないかしら」


 目の前のシロちゃんがぐにゃりと歪む。

 やだ、わたしったら泣いてるみたい。


 だって、わたしたちは魔物と融合した王子を倒しに来たんだもの。


 でも真実をシロちゃんから聞いた今は、とても討伐なんてできそうにない。


 どうして殺さなくちゃいけないの!?

 辛い思いをした二人がもう二度と幸せになれないだなんて。

 そんなの悲しすぎる。


「そうだね。俺も討伐のことは考えを改めようと思っていたところだ。もしかすると俺のチカラを使えば、王子をもとの人族に戻すのも可能かもしれないな」

「本当?」


 振り返ると、冥王竜は柔らかく微笑んで頷いてくれた。


「言っただろ、俺は魂の浄化と解呪を司るいにしえの冥王竜だぜ? 魂をあるべき形に戻すのも俺の役目だからさ」

「ええー、大丈夫なの? 勝手なことして、エラい人……精霊王の統括者に怒られたりしない?」

「うーん……」


 さりげなくガルくんに突っ込まれて、冥王竜ったら黙り込んじゃった。

 ええと、あんまり大丈夫じゃないの、かな。


「ま、統括者には事後報告でいいさ。何とかなるって。あはは」


 腰に手を当てて、快活に笑ってる。

 笑って誤魔化してるようにも見えるけれど、本当に統括者さまに叱られたりしないのかしら。

 万が一、わたしの願いを聞いたせいで統括者さまのお怒りを買って、冥王竜になにかあったりしたらどうしよう。


 不安のかたまりがからだじゅうにあふれていく。

 胸もとで両手を握りしめ、ふと顔を上げると、いつに間にかそばに戻ってきていたキリアと目が合う。


 きっと、今のわたしは情けない顔をしていたに違いなくて。

 いつだってキリアはわたしの気持ちを受け止めてくれる。


 柔らかく微笑んで頷くと、彼は冥王竜に向き直った。


「冥王竜、本当に大丈夫なんだろうな? 姫様は統括者に罰を与えられやしないか、貴方のことを心配しているんだけど?」

「ん、そうか。ありがとう、ティア」


 ひょっこりと、キリアの肩から顔を出した冥王竜は嬉しそうに顔を綻ばせていた。

 わたしの不安を打ち消すように、かれは「大丈夫だよ」と穏やかな声で言葉を紡ぐ。


「元はと言えば統括者が〝世界の嘆き〟を放置したせいで、悲劇が起きたんだ。その自覚があるからこそ、俺があんたたちに協力することを許可してくれた。だから、シロが関わる事案ならきっと、何も言わないさ」

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