[7-2]王女、雪の精霊と対面する

 キリアと一緒に真っ黒な穴から抜け出すと、森の中だった。


 細い枝や地面には雪が降り積っている。

 葉っぱのついている木もぜんぶ真っ白だった。


「あっ、ティアちゃん。やっと来た! なかなか来ないから心配してたんだよ?」


 空を見上げていたガルくんが、くるりと振り返ってわたしを見る。

 さっきまで一緒に話してたのか、そばにクロがいた。


『ボクは心配いらないと言ってたんですけどね! 姫さまのそばにはキリアがいますし』

「え、俺?」


 意外そうな顔でキリアは瑠璃紺の瞳を丸くしている。

 笑顔で黒い尻尾をブンブン振りながら、クロはこくりと頷いた。


『はい! キリアは姫さまの命を救ってくださいました。そして今では同じ主君に仕える騎士です! ボクはキリアのことを信頼してるんですよ』

「そ、そう。うん、分かった。ありがとう……」


 珍しくぎこちない表情で頷いている。

 熱は引いたといっても、キリアはまだ身体の具合が悪いのもしれない。


「キリア、大丈夫? 病み上がりだものね」


 顔を上げて彼の様子を観察してみる。

 特に顔色は悪くないみたいだけど……。


「俺は元気だよ、姫様。むしろ、いつもより調子が良いくらいだから。そんなことより、俺も姫様の役に立てられるように頑張らないとね」


 視線を合わせると、キリアはにこりと微笑んでくれた。

 わたしと話をする時、いつだって彼は優しい笑顔を向けてくれる。あたたかい親切とその言葉に、何度救われたか分からないくらい。


 やっぱりわたし、キリアのことが好き。


 でもよく考えてみると、わたしはキリアのことを何も知らない。


 他の大陸からやってきた元貴族のひと。

 吸血鬼の魔族だけど、わたしたち人間や獣人にはとても優しくしてくれる。


 それくらいしか知らないのよね。


「さて、全員そろったところで先に進もうか。滑りやすくなってるから、気をつけてね」


 いつの間にか追いついてきた冥王竜がそう声をかけてきたから、わたしは一旦考えるのをやめた。


 ちゃんと集中しなくちゃ。

 わたしは国を蝕もうとしている呪いをなんとかするために、今ここにいるのだから。




 * * *




 ぎしぎしと慎重に足を運びながら、わたしたちは森の中を進む。


 グラスリードに来てからまだ日の浅いガルくんは途中で何度か転びそうになっていたけど、冥王竜が歩き方を教えてあげたおかげか、だいぶ雪道に慣れてきたみたい。

 犬の姿のクロはいつものように軽い足取りだし、隣のキリアはわたしと同じ速度で歩いている。転ばないために、手袋越しだけど手を握ってくれていた。


「あんまり動物見かけないね? こんなに寒くて雪降ってるせいかなあ」

「そんなことないさ。実際、狼は呪いに侵されているとはいえ活動的だからね」


 前を歩くガルくんがキョロキョロと辺りを見回しながら、首を傾げてる。

 そんな彼の隣で歩きながら、冥王竜は楽しそうに話しているみたいだった。ガルくんの話し相手になってあげてるのかな。


 きっと彼のいたノーザン王国はあたたかい国だったのね。わたしにとっては見慣れた凍てつく冬の森も、きっと彼にとってはぜんぶ珍しいんだわ。


 ふと、わたしは隣を歩くキリアを見上げた。


 深く濃い青色の瞳は遠くを見据えていて、わたしの視線には気付いていない。

 今なら、聞けるかしら。


「ねえ、キリア」

「ん? どうしたの、姫様」

「キリアが住んでいた国も、ハウラさんやガルくんのいた国みたいにあたたかいところだったの?」


 ピタリ、とキリアの動きが止まる。


 あら、どうしたのかしら。

 もしかして聞いてはいけないことを聞いちゃった?


「……えーと、そうだね。あたたかい方だったかな。雪は降らなかったし。でも、」


 曇天を見上げて、キリアは両目をすぅっと細める。

 思わずわたしは彼の視線の先を追う。


「俺の故郷はグラスリードほどじゃないけど、一年のほとんど雪が降るところだったよ。自然は美しく豊かで、精霊もたくさんいてさ」

「そうだったの。だからキリアが雪の上で歩くのが上手なのね」

「そういうこと。あ、でもライはあたたかい地方の出身だから、まだ慣れないって言ってたかな」


 柔らかく微笑みながら話すキリアはいつも通りのように見えた。

 だけど、どうしてかしら。笑っている顔は同じなのに、今のキリアはなぜか悲しそうに見えたの。


 きゅうと胸が苦しくなる。


 なにか言わなくちゃ。

 だって、キリア、今にも泣き出しそう。


「いのちは俺達が考えるよりもずっと強くて美しいものだよ。その証拠に、ほら——」


 冥王竜の声が左から右に流れていく。


 どうしてこういう時、いい言葉が浮かばないのかしら。


 ぐるぐると頭をフル回転させて考えていたら、ふと木の根元になにかが動いた。


「わあ、ウサギだ! ……って、アレって精霊じゃないの?」


 白いウサギだった。

 ガルくんの言う通り、あの子は精霊ね。小さな白い翼がついてるもの。

 たしか光竜の巣の近くでガルくんと初めて会った時もそばにいたわ。彼の傷を治す時に協力してもらったっけ。


「あれ、本当だね? おかしいな、精霊なら人族に対して警戒心を抱かないものなんだけど」

「あの精霊、前にも見たよ。光竜の巣の近くにいて……、たしかスノウってティアちゃんが言ってた」


 うん、ガルくんの言う通り、あの子はグラスリードに住む下位精霊の雪精スノウだ。


 それにしても、少し様子がおかしい気がする。

 スノウって本来は人懐っこい性格の子が多いのだけど、樹木の幹に隠れてるあの子はプルプルとからだを震わせている。

 まるでなにかに怯えているみたいに。


「どうしたのかしら」


 心配になって近づいてみる。

 すると、スノウも飛び出してわたしに近づいてきた。


『キケン、キケン!』


 珍しく叫んだと思ったら、雪のカタマリがとんできた。


「きゃっ」


 無数の雪のカケラが顔に当たって冷たい。

 思わず悲鳴をあげたら、キリアが腕を引いて庇ってくれた。


「姫様、大丈夫!? 怪我は?」

「平気よ。雪が冷たかっただけ」


 痛くなかったからなんともないけど、一体スノウはどうしちゃったのかしら。普段、かれらは人懐っこくて大人しい性格なのに。

 後ろ足で地面に雪を蹴立てているみたい。もしかして、わたしに何かを知らせようとしているのかも。


『キケン、キケン、キケン!』


 スノウはもう一度そう叫んでから、飛び跳ねながら森の奥に逃げてしまった。

 他にも雪の精霊たちはいたみたいで、みんな同じように一目散に駆け出して行ってしまう。


 こんなこと初めて。

 いつだって精霊たちはマイペースに自分達の世界を生きているのに。

 普通じゃない事態だわ。


『ボクがいたから、怖がって逃げてしまったんでしょうか?』


 いつもピンと立っている三角耳を少し下げて、クロはシュンとしている。

 なんだかかわいそう。


 冥王竜は振り返ってこちらを見ると、首を横に振る。


「そんなことないさ。たしかに精霊達にとってクロがいると怖がるかもしれないけどね。でも今回はそうじゃない。あれは、精霊たちが俺達に与えた〝警告〟だよ」

『警告、ですか?』

「そう。それだけ〝世界の嘆き〟に近づいているということなのさ。墓守犬チャーチグリム以上に存在力にある魔物だから。その証拠に——」


 不意に紺青の瞳が、森の奥を見る。


 どうしたんだろう。

 同じように、冥王竜の視線の先を見てみるといくつもの黒い影が見えた。


 ぞくりと、背中が冷たくなる。


「ほら、呪いに侵された狼達の登場だよ」


 かれが言うのと同時に、狼の遠吠えが聞こえた。


 すかさず真横からクロが飛び出す。

 三角耳をピンと張り、尻尾を高く上げて彼はわたしの前に出た。


『キリア、姫さまを頼みます。あいつらはボクがなんとかします!』

「……うん、分かった」


 力強く雪を蹴り上げて、クロは駆け出す。

 同時に、まるでわたしを庇うように、キリアが前に立った。


 嬉しいけれど、どうしてかな。また胸の中がもやもやする。


「そんなにがっちり庇ってくれなくても大丈夫よ、キリア。クロは狼達に負けないし、それにわたしも少しは戦えるわ」


 おそるおそる彼の袖をきゅっとつかんで引っ張ってみる。わたしなりの意思表示のつもり。

 目に力を込めてまっすぐキリアを見ていたら、彼はゆっくりと振り返った。


「そういうわけにもいかないよ、姫様。貴方のことはこの身に換えても守ると誓っただろう?」


 ふるふると首を横に振って、わたしは否定する。

 そんな誓いの言葉は聞いてないわ。たしかに何があっても守る、とは言ってくれたけど。


 そっか、どうしてキリアの言動に納得がいかないのか分かったかも。


 わたしはもう、守られるだけのお姫さまでいることが嫌になったんだわ。


 この身——自分自身の身体、ううん、大切な命そのもの懸ける、だなんて。

 わたしはそんなこと、望んでない。


「キリア、わたしは一緒に戦いたい」


 するりとキリアの背後から隣の移り、ためらいなく彼の手を取ってぎゅっと握った。

 手袋越しなのに、じんわりと温もりを感じるような気がする。


「ただ見ているだけじゃ誰も救えないわ。クローディアスみたいに、大切な誰かを失って悲しい思いをするのはもういやなの」


 見開かれた瑠璃紺の両目がわずかに揺れる。

 だけどそれは一瞬で、すぐにいつものキリアに戻った。


「それは姫様の望み?」

「そうよ。キリア、あなたを守りたいの」


 嘘偽りない言葉だった。

 ドキドキと、胸が高鳴る。


 だ、大胆だったかしら。

 でもキリアはわたしを庇って大怪我したんだもの。もう彼に痛い思いはして欲しくないし、命を犠牲にして守るだなんて言って欲しくない。たとえ、それが本心だったとしても。


 口を引き結んで様子をうかがっていると、不意にキリアは口もとを緩めた。


 真夜中に見る海みたいな色の瞳を和ませて、わたしの手をやんわりと握り返してくれた。


「分かった。今のところは、そういうことにしておくよ」


 目の前で、彼はにこりと顔を綻ばせる。


 それが不意打ちで。とってもきれいな微笑みなのに、どこか色っぽくって。

 顔が一気に熱くなった。


 その時だった。


「キャインキャイン!」


 狼の悲鳴が聞こえてくる。

 クロが追い払ったのかな。それにしては早いような……。


 思わずキリアと顔を見合わせていると、冥王竜が森の最奥を眺めながら言った。


「どうやら異変が起きたみたいだね。クロのことも心配だし、俺達も行ってみようか」

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