[1-3]王女、恋に落ちる

 ココアをひとくち飲んでから、キリアはすぐに話を始めてくれた。


「きみが眠っていたのは丸一日くらい。薬のおかげもあるけど、熱はすぐに下がったから本当によかった。だけど、そのわずかな間に政変が起きたんだ」


 政変、つまりクーデターだ。

 海に突き落とされる前。ロディ兄さまの冷たく笑った顔が、一瞬だけ頭の中に浮かぶ。


「首謀者は? 父さまや母さまはどうなったの!?」

「今は詳しいことはなにも分からない。でも国王陛下はそんなに抵抗しなかったんじゃないかな。一夜のうちに王座を明け渡したみたいで、今は首謀者が国王として玉座におさまったみたいだね。もう新聞に載っていたよ。戴冠式はまだみたいだけど」


 なんて早い。

 ルカニから王都まですごく遠いのに。


 でも。



 ――さようなら、ティア。おまえの両親もすぐに後を追わせてやるよ。



 最後に言われたこの言葉が頭から離れない。

 もし、父さまと母さまの身になにかあったら、どうしよう。


 それにロディ兄さまは、わたしみたいな人間じゃなく魔族だ。


 魔族の使う魔法には行ったことのある場所に一瞬で移動できるものがある。

 だから遠い王都まで戻ることは簡単だったのかも。


 そうして物思いにふけていたら、不意に質問を投げかけられた。


「姫様は療養のために別荘に来ていたんだよね?」

「うん」

「他に一緒に来ていた人はいるかい?」

「従兄のロディ兄さま……、わたしを海から突き落とした人。あと、護衛の騎士が一人いたんだけど」

「ふぅん、やっぱりそうか」


 すぅと瑠璃紺の瞳が細くなる。

 その仕草だけで、なぜかどきりとした。


「王族が所有する別荘はこのあたりでも有名だからね、きみが眠っている間に様子を見に行ってきたんだよ。でも屋敷には誰もいなくてもぬけの殻だったんだ」

「えっ」


 うそっ、誰もいないってどういうこと?

 ロディ兄さまはともかく、あの真面目なクローディアスが職務を放棄していなくなるはずがない。


 ううん、違う。よく考えてみると、初めからおかしかった。

 なんで違和感を覚えなかったんだろう。

 ロディ兄さまに呼び出され海の見える崖に行った時、今思えばクローディアスの姿はどこにも見当たらなかった。


 海に突き落とされた時、一体彼はどこにいたんだろう。


「国王陛下が姫様をたった一人で滞在させるわけがないと思ってたから、妙だと思ったんだ」


 ため息まじりのキリアの言葉がわたしの不安をあおる。

 中身が半分くらいになった手もとのカップを見つめた。


 クローディアスはどこに行っちゃったんだろう。無事、なのかな。


 彼だけじゃない。

 お城にいる父さまや母さま、常駐している騎士のみんなはどうなってしまったんだろう。


 王様が父様以外の違う人になったってことは、わたしはもう実質王族じゃない。

 今まで通りお城に帰ったって、きっと入れてもらえない。入れてもらえないどころか、捕まって最悪処刑されてしまう可能性だってある。


「ねえ、姫様」


 穏やかな低い声。

 顔を上げたと同時に、カップを持つわたしの手に大きな手が重なる。


「貴方はどうしたい?」

「――え?」


 どうしたい、って。


 突然すぎて頭の中が追いつかない。

 聞かれている意味が分からず目を白黒させていると、くすりと笑われた。


「一夜にして、グラスリードは何者かによって乗っ取られた。たぶん、城に戻っても、新国王の手の者が貴方を捕らえるだろう。国王と王妃の生死は不明のままだ。貴方は死にかけたけど、こうして奇跡的に生きている。だから姫様、貴方にはこれからどうするか選ぶ権利があるよ」


 今の状況をありのままに言葉にされても、今度は不安にならなかった。

 わたしを見つめてくるキリアの瞳が落ち着いていたから、なのかな。まるで凪いだ夜の海のような穏やかさだった。


「姫様はどうしたい? 今ここには俺しかいない。貴方の望みを教えて?」

「わたし、は……」


 死んじゃうような目に遭って、気がついたら帰る場所がなくなっていて。

 いつもだったら頭を抱えて、ただ泣くことしかできなかったかもしれない。


 でも、今のわたしはとても落ち着いている。


 父さまや母さま、城の騎士たちがどうなっているかちっとも分からなくて、不安なことばかりなのに。

 自分でも変だと思う、けど。


 途方に暮れなかったのはきっと、一人で放り出されなかったからだ。

 身体の弱いわたしが生き延びたのはきっと、海の精霊たちが助けてくれたからだ。


 それなら、前に進むしかない。


「キリア、わたしは国を取り戻したい」


 一年中寒くて、雪と氷ばかりの国。わたしの愛する故郷。

 ぜんぶ見捨てて逃げようだなんて、初めから思えない。


「無謀かもしれないけど、あきらめたくないの。今は王女じゃないかもしれないけど、グラスリードはわたしの国だもの」

「分かった。大丈夫、俺に任せて」


 するりと、片手をカップから離される。

 キリアはそのままわたしの手を取ったまま、片膝をついて見上げてきた。


 宝石みたいな深い青の瞳が、まっすぐわたしを見つめる。


「俺のこの剣、この忠誠はすべて、貴方のためだけに捧げることを誓いましょう。何があっても必ずお守りいたします」


 手の甲にキスを落とされる。

 ごくごく自然な、騎士の誓いそのものだった、けど。


 その瞬間、わたしは考えていたことぜんぶ、頭の中から吹っ飛んでしまった。


 国のこととか、城の様子とか、姿をくらませたロディ兄さまのこととか。

 考えなくちゃいけないことがたくさんあったはずなのに。


 どうしてか、目の前の吸血鬼騎士のことで頭がいっぱいになっちゃって。


 わたしはこの時、キリアに恋をしてしまったんだ。

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