夏雲
会見のあと期末テストでバタバタしていたのが夏休みに入ると、ようやく騒ぎもおさまりつつある。
恒例の祝津での夏合宿も始まった。
「ここだけはいつ来ても変わらないなぁ」
当のあやめは、気持ち良さげに伸びをした。
アイドル部が始まって以来、夏合宿は祝津の宿泊施設を借りて、スケジュールは変わらない。
日和山の灯台も、鰊御殿も、駐車場から眺め渡せる積丹ブルーの石狩湾も、邪魔な喧騒もない木造の家並みもそのままで、
「ここに来られるから、アイドル部やってるようなものかも」
などと、創成川沿いの街なかでマンションやビルに囲まれて育ったひまりなんぞはいう。
合宿中、話題は翠の話でもちきりであった。
「それにしても、枕営業ねぇ…」
ひまりが言った。
「やっぱりオトコって、所詮はオンナの身体目当てだよね」
男兄弟のいるひかるにかかると身も蓋もない。
「でもさ、翠が焦る気持ちも分からなくはないかな」
「イリス先輩、そうなんですか?」
あやめの言葉に英美里が反応した。
「私はほら、たまたまパーカッションって技術を身につけられたからどんなときだって焦らなかったけど、でも一歩間違えていたら、同じようになっていたのかなって」
英美里は言葉に詰まった。
「アイドル部って、大人の嫌な部分も目にしやすい部活動だけど、それでもキラキラしてゆくためには、いろんな努力をしなきゃ駄目なんだと思うし」
バック転すら自主トレで身につけたあやめならではの感懐かも知れなかった。
とはいえ恋愛話となると、妙なテンションになるのもこの年齢期ならではの特徴でもあろう。
「同年代の男子ってだいたいガキンチョだからさ、ついちょっと大人な男子に目が行くよね」
ひまりが言った。
「私は、普通に結婚して普通に暮らすのがいいな」
ひまりの家は小学校の四年まで手稲にあった。
それが創成川の再開発で建ったマンションへ引っ越して、中等部へ通うようになって、るなと再会を果たしている。
「私はやりたいことがあるから、結婚とかはまだ考えてないけどさ」
でも確かまだアイドル部で結婚した人いないよね、とるなは言った。
「いくらなんでも、先輩が先でしょ」
自分たちの歳を考えれば妥当な意見であろう。
むしろ結婚願望はひまりよりるなのほうが強く、
「私は卒業したら、早く彼氏見つけて結婚したいなぁ」
るなの両親は学生時代に知り合って、就職を機に結婚、母親が二十三歳のときにるなが生まれている。
「だから早い結婚っていいらしいよ」
近いところでは茉莉江が早くに結婚し、今では旧華族の奥方様である。
ただ清正と茉莉江の結婚はかなりいろいろあったようで、
「先生の親戚とか説得するのが大変だったみたい」
無理もないであろう。
たかだか三万七千石のちいさな大名家とはいえ、安土桃山時代から続く家なのである。
「そりゃ北海道まで逃げたくもなるわ」
最終的には茉莉江が妊娠したので、いわば強行突破で乗り切ったらしかった。
この年の夏合宿は雨が多く、外でのフォーメーションのチェックは雨の止み間を狙って僅かな時間に行なうなど、なかなかの工夫を迫られる中で続いている。
この日は来月の石狩の夏フェスでのパフォーマンスに向けた仕上げの練習が行われていた。
「しょこたんとゆーちゃん、少し位置ズレたよー!」
珍しく晴れたので、朝からブッ通しで練習が行われていた。
そのとき。
バタッと音がした。
見ると、薫が倒れていた。
「…薫?!」
全員が馳せ寄って来た。
「…熱中症やな」
日陰に移動させ、この日洗濯物を取りに来ていた茉莉江が薫に付きっきりで様子を見た。
休憩に入ると、とりわけ眩しい夏空と入道雲が目に飛び込んできた。
「ね、ダーリャはなんでアイドル部に来たの?」
好奇心の強い翔子が訊いた。
「一生に一度しか出来ないかも知れないから」
思ったより重厚な回答に、
「うちなんか、クラリネット辞めたくてコッチ来ただけやもんな」
翔子の関西弁は清正のそれとは少し違った。
「先生みたいなええトコの子やないもん」
厳しい練習でも、まだ翔子にすればクラリネットよりは楽しかったらしい。
「でもしょこたんがいるから、私も続けていられるんだよね」
それはだりあの偽らざる気持ちであったらしい。
夜、合宿中の楽しみの一つに花火があった。
「夜中まで騒がないように」
美波に釘を刺されるのだが、小樽の駅前の量販店で買い込んだ花火をメンバー全員で楽しみながら、夏らしい夜を過ごす。
「私あんまり花火したことないんだよね…」
というだりあのために、薫がレクチャーをし始めた。
「長崎ってなぜかお墓参りで花火するんだけど、私は子供の頃ロケット花火が怖かったから、親が手持ち花火にしてくれて」
それでいやに手慣れているのである。
「それよりさ、何で墓で花火するんだろね」
「それは分からないけど、昔から長崎は坂と墓はあちこちあるし、精霊流しなんかもあるから、にぎやかに過ごすのが当たり前だったんだよね」
むしろ薫は七夕の蠟燭集めのほうが不思議であったらしく、
「七夕にハロウィンみたいに、ロウソク一本ちょうだいなって言って、お菓子もらいにゆくじゃない? あれのほうが私は不思議」
「あれは普通にやるよね」
道内組のほとんどがうなずいた。
「いろんな分からないことが分かるから、越境入学も悪くないよね」
みな穂は線香花火に火をつけた。
「私、地味だけど線香花火のほうが好きだな」
みな穂の線香花火は、柔らかい高島岬の海風に揺れて、かすかにそよぎながら静やかな音を立てていた。
新入部員の勧誘の話題に変わった。
だりあと翔子はあやめの新入部員の勧誘の際、
「あの子が一緒なら」
と、たまたまそばにいた見ず知らずの翔子を指して、だりあは断る口実にするつもりであった。
そこで普通なら諦める。
が。
あやめは諦めずに、何と翔子に声をかけてみたのである。
すると翔子は、
「オモロイから、えぇんとちゃう?」
あろうことかノリで体験レッスンを決めてしまい、引っ込みのつかなくなっただりあが入部する…という結果になった逸話がある。
「まぁたまたまうちの高校は落研もなかったし、三年間好きなこと出来るならいいやって」
歌もダンスも未経験だが、少しだけカッポレが踊れる。
だりあは志ん朝の「大山詣」と「芝浜」がお気に入りのネタで、
「志ん朝の住吉踊りなんてカッコよくてさ」
などと、まるで他の女の子がジャニーズや韓流を見て目を輝かせるように、だりあは語るのである。
ダンスとカッポレはかなり違うが、
「バランスとかはダンスのほうが簡単だから楽」
と言って美波の前で雷門助六よろしく、操り人形のカッポレを見せると、
「アンタそれだけ出来るなら、ダンス簡単だって言うわそりゃ」
意外と実力は高い。
だりあは落語をする関係上、着物の着付けが出来る。
さすがに振袖は一人では着られないが、高座で着る着物ぐらいは一人で着付け出来る。
「着物ぐらいは着られたほうが何かの役に立つかなって」
浴衣ぐらいなら誰の手も借りずに、身八つ口から手を入れて端折りもさばけるし、一人で半幅帯ぐらい軽々と結んでしまうのだが、この日の夜も、
「花火するのに浴衣も着ないんじゃ、風情も何もないし」
といい、持ち込んだ浴衣を一人だけ着て出てきた。
本寸法の伊勢型紙の藍染で、源氏車が染め抜かれた大人っぽい浴衣に、金茶の米沢織の半幅帯を花文庫に結んである。
「それなら男子イチコロだね」
ひまりが言った。
そうかな、とだりあは、
「だけどデートしたあとホテルで脱がされたりしたら、着付け出来ないとある意味地獄だよね?」
私はデートには着て行きたくないなぁ、とアケスケな物言いをした。
「そういう意味で言うとさ、先生みたいな男子なら大丈夫っぽくない?」
確かに清正は着付けが出来る。
スーツのときも、たまに見たことのないネクタイの結び方をしていることがあって、
「いや、気分転換に変えてみたんやけど…」
それ以上に、器用なのだなというのが分かる。
「でも先生はほら、あの通り茉莉江先輩のこと大好きだからさ」
だりあは清正が、茉莉江のための土産を選んでいるところに遭遇したことがある。
「食べ物とグラスを選んでた」
堺町のガラスの売店で、ブルーの夫婦タンブラーを買っていた。
「けど確か最初は茉莉江先輩が、怪我した先生を毎日お見舞いして、片目が見えないから世話してたんだよね?」
右目を負傷して視力を失った清正だが、自分の目よりも茉莉江の安否を気にして医師に訊いた…というところが、茉莉江の心を掴んで離さなかった点であるらしい。
「やっぱり結婚するならちゃんとした人だよねー」
はっきり物を言う香織にかかると一刀両断である。
それでも清正と茉莉江のラブラブな雰囲気は、メンバーの理想の夫婦であったのかもわからない。
そこへゆくと。
アイドル部で真剣にダンスやボーカルを目指してきた薫や優子とは、自ずと感覚が変わる。
薫や優子が心血を注いで特訓してきた振り付けを、
「こんな感じ?」
などとだりあは初見で何となく覚えて、数分練習したらモノにしてしまう。
もっとも薫や優子からすれば、たまったものではないのだが、こればかりは天賦の才としか言いようがない。
翔子はそれはないが、それでも覚えは早い。
一方の翔子は転勤族の娘で、クラリネットは吹けるが友達は少ない。
物怖じもなく明るいのだが、
「うちな、人見知りって悟られるの嫌いやねん」
などと言い、逆にお喋りに振る舞って本心を明かさない癖がある。
「せやから、ダーリャみたいな友達が出来たら、転校したくなくなるかも知れへん」
時折ふと見せる影が、一年生ながら人気者になる要因でもあったらしい。
そこへたまに、だりあと同じ一年生のさくらが加わるとトリオになって、ときたまワチャワチャとふざけることもある。
「あんたたち、ちゃんと練習しなさい!」
たまに美波に怒られて、しおしおとなる日もあった。
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