幕間1 気になる男子から返信が来ない少女の懊悩

春海と共に部屋を後にした肇は知らない。

机の上に置きっぱなしにしたスマホが、置いて行かれた不満を訴えるように震えていることを。

ひっきりなしに来る通知にその実を震わすスマホは、電波を介してその向こう側にいる誰かの声を代弁しているかのようだ。

事実、返信を期待して八秒に一度はスマホの画面を見ている少女がいることを、肇は知らずにいる。



『肇が京都にいる』

『マジで?』

『え、嘘』

『マジだから』

『ほら』


そんなやりとりの後、グループチャットに送られてきたのはSNSのスクショだった。


『夏休み初日は渡月橋から』

それは確かに肇のSNSのアカウントによるもので、だとするなら肇は今、本当に京都にいるということだ。


『京都にいるの?』


そう思った瞬間、赤崎千沙(アカサキ チサ)は本能的にラインを送っていた。グループラインに? もちろん違う。阿澄肇との個人ラインにだ。

どうしてそうしようと思ったのかは、何となくの予感はあるものの、まだ認めていないから言葉にはしたくない。

だけど千沙は思ったのだ。みんなと同じ賑やかしにはなりたくないと。


「……………………」


ジッと画面を見つめるも、返信はない。それどころか既読すら付いてくれない。

もしかして既読スルー?

そう思って肇のSNSアカウントを見に行くも、千沙の口から漏れたのは小さなため息だった。


「何それ」


部屋の中でひとり呟きスマホを放り投げる。

枕の上にポスっと着地したスマホを追いかけるように、ボスッとベッドの上に倒れこむ。

うつ伏せは息苦しい。

顔をわずかに傾けた先には今さっき放り投げたスマホが転がっている。


「返信ないし」


思わず不満げに呟いてしまう。

でもしょうがない、と千沙は思う。

だって聞かされてないのだ。肇が夏休みに京都に行くなんて、そんなこと千沙は一言たりとも聞かされていない。


『昼まで寝てたわ』

『わかる』

『解放感ヤバい』


高校の仲がいい友達同士で作ったグループチャットは、すでに違う話題で盛り上がっている。

それぞれのコメントに付いている既読数は6。グループの人数は7。つまり、一人まだ見ていないやつがいる。

肇だ。


「何してんの、アイツ」


なんかモヤモヤする。

なんで夏休み初日にこんな気分にならなければいけないのか。

……全部肇のせいだ。


「あ~~~~~」


やるせなさを吐き出すように、千沙は枕に顔をうずめて声を出す。

せっかく夕飯はカレーなのに、なんでこんな気分にならないといけないのか。

落ち着かない。胸の真ん中辺りがジワジワする。

スマホの画面を見る。やっぱり肇からの返信はない。


「──!?」


チャットの通知とは別の震え方。スマホに触れる指先から全身に伝播するように、千沙の全身がビクッと震えた。

もしかして、と思ったら期待外れ。画面に表示された名前に複雑な気分になりながら、千沙は応答ボタンをタップする。


「何?」

『阿澄じゃないからって不機嫌になんないでよ』

「……むう」

『素直じゃん』

「夏休みだから」

『ウケる』

「美由紀(ミユキ)」

『ごめんって』

「いいけど」


電話の相手は期待した肇ではなく、親友の美由紀だった。同じ高校で友達と呼べる存在は何人もいるけど、親友と呼べるのは美由紀だけだ。彼女を相手にする時だけは、千沙もちょっとは素直になることが出来る。


『阿澄、何してんだろうね』

「いきなりその話?」

『ほかになんの話すればいいのよ。夏休みの宿題の話とか?』

「やめてー。そんなのまだ先でいいじゃん」

『だよね』


電話口から聞こえる微かな笑み。その小さな笑いが千沙の心をスッと軽くしてくれた。


「聞いてなかったんだけど。京都とか」

『だよね。全然知らなかった』

「昨日とかも、夏休みどうするのー? とか話してたのにね」

『それそれ。みんなして予定ない、とか言ってじゃんって思った』

「だったらどっか行こうよーって言ってたのにね」

『なんで一人で京都行ってんのって』

「それ」


本当にそうなの?

思わずそう言いそうになるのを抑えて、千沙は美由紀との会話を続ける。

それでも千沙は適当に会話を続けながら思う。

肇は一体誰と京都に行っているのだろうかと。

SNSに上がった写真には確かに誰も写っていなかった。渡月橋の写真のみだ。

普通に考えれば家族との旅行なのだけど、肇に限ってそれはない。なぜなら、彼の両親は夏休み中海外に出張に行っているからだ。


『阿澄の家に集まるって言ってじゃん』

「言ってた。宿題を一緒にやろうって話した」

『どうしてくれんのって』

「確かに。宿題が終わらなかったら肇のせいだー」

『ねー』


美由紀と2人でケラケラ笑いながら話をしつつも、千沙は考える。

そう、今美由紀が言った通り、本当なら肇の家に集まる予定だったのだ。

いつとは決めてないけど、気が向いたときにでも皆で肇の家に遊びに行くつもりだった。

なんでそうなったかと言えば、肇から聞いていたからだ。

『うちの親、夏休み中は海外だ』と。

だったら肇は一体誰と京都に行っているのか。


『あ、ごめん。ママが呼んでる』

「うん。わかった」

『千沙』

「何?」

『大丈夫だから』

「うん。ありがとう」

『また』

「うん。またね」


プツンと通話が切れる。

はー、と大きなため息が千沙の口から漏れる。

いつの間にかベッドの上に座っていた体を、そのまま横に傾ける。

ボスン、と受け止められる感触。


「あ~~~~~」


そしてまた、口から声が出る。

自己嫌悪。

美由紀に気を使わせてしまったという思いが、やるせなさと混ざり合って、グニグニとした気持ちにさせる。


「微妙……」


そう、微妙だ。千沙の今の気持ちを一言で言うなら、『微妙』になる。

何が、と聞かれてもわからない。とにかくそんな気分なのだ。


「返信ないし……」


肇は夏休みに入る前に千沙へ何と言ったか覚えているのか。

『どうせ会うだろ』と、そう言ったのだ。

予定どうする? と聞いたら、『どうせ会うだろ』と。

約束なんてなくても会うのが当たり前。そう言われたようで嬉しかったのに、なんで京都にいるのだ、あいつは。

せめていつ帰ってくるのかぐらい教えて欲しい。

そうじゃなきゃ、どうせ会えるのかどうかも分からないじゃないか。


「……」


モヤモヤする。

このモヤモヤの正体が何なのか、千沙は言葉に出来る。

でも、しない。したくない。

まだそこまでの覚悟が出来ない。

だからモヤモヤする。そして、千沙の気持ちを察しているからこそ、美由紀も気を遣うのだ。


「嫌んなる」


ダメだ。せっかくの夏休みなのに、こんな気持ちのまま過ごしたくない。

千沙がそう思った瞬間だ。階下からお母さんの呼ぶ声が聞こえてきた。

『ごはんー』と間延びした声に、千沙はのそりと起き上がる。

今日はカレーだ。大好物だ。

こんな気分の時は、たくさん食べればいい。好きなものをたくさん食べれる。これほど幸せなこともない。


「……」


のそりと起き上がった千沙はスマホを置きっぱなしにして部屋を出る。

食欲をそそるカレーのにおいに誘われるように階段を下りる。

だから千沙は知らない。

ちょうどこの瞬間、肇がSNSに写真を上げたことを。そしてその投稿に、意味ありげなリプが付いたことを。

コーヒー牛乳とフルーツ牛乳。

その二つの写真に千沙がまたモヤモヤを抱えるのは、まだもう少し先のことだ。

カレーを食べ、テレビを見て、風呂に入るように急かされ部屋に戻ってきたときに、スマホを見るまでは、もうちょっとだけ時間がある。


夏休みは始まったばかり。千沙にとって、これ以上ないほどに悩ましい夏は、まだまだこれからが本番だ。

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