手ぬぐいとメッセージ
そんな賑やかな朝も過ぎた午下。ひととおりの仕事を片付けて、部屋に戻ろうとしたところで時雨さんに声をかけられた。
「手ぬぐいが廊下に落ちていましたよ。貴女のものじゃありませんか」
彼の手のなかには、藤の手ぬぐいがある。昨日の朝、幸村さんにもらったものだ。
「あ……、私のです。ありがとうございます」
私は慌ててお礼を言って、それを受け取った。どうやら、洗濯ものを取り込む際に取りこぼしてしまったらしい。
「いい品ですね。貴女が選んだんですか」
「いえ、雪村さんにいただいたんですけど、可愛いですよね、藤の柄が和って感じで」
「ああ、これは判じ絵ですから……。幸村らしいといえば、らしいですよ。僕の脳内辞書であいつは軽薄の項目に殿堂入りしていますから」
脳内辞書についてはノーコメントでお願いしたい。
時雨さんは幸村さんを思い出しているのか、なんとも形容しがたい顔になる。
それはともかく、私は聞いたことのない単語に目を瞬かせた。
「判じ絵ってなんですか?」
「絵のなかに隠された、文字や意味を当てる謎解きのようなものです」
「別の意味ですか……」
「この手ぬぐいにも、メッセージが込められていますよ」
私は、手ぬぐいを手に取ってみた。まじまじと眺めてみたり、俯瞰してみたり。しばらく見つめあってみたものの、さっぱりわからない。
だけど、せっかくメッセージが隠されているのなら、知らずにはいられないのが人のさがだ。
「時雨さん、ヒントください」
「ヒント、ですか……」
時雨さんは、眉根を寄せる。そのまま難しい顔をした彼に切り出されたのは、
「判じ絵というのは、江戸時代に流行った遊びなんです」
……まさかの起源の説明だった。
特別講師時雨さんによる歴史の授業に、私の背筋は思わず伸びる。
「たとえば、傘を持った子供の絵は魚の『カサゴ』と読むんです。赤文字で栄と描かれたものは、『アカエイ』。そうやって読み解いていくものですが。では、木にクモの巣を張ってある絵はなんだと思いますか?」
「木と巣で……キスですか?」
「ええ、魚の名ですね。すぐそこの材木座でも釣れますよ」
「天麩羅にすると美味しいですよね」
私の食の好みはともかく、これは駄洒落らしい。ということは、この手ぬぐいの藤にも駄洒落が隠されているはずなのだけれども。
栄と文字を書くのがありなら、表現方法は絵だけじゃないはずだ。
眺め続けること、五分。私はようやくはっとした。
「あ! これ、花の部分はひらがなの「い」じゃないですか?」
「そうですね」
よくよく見ると、『い』の字を十文字、縦に連ねて花を表現しているらしい。文字の中心をとおる枝蔓は一本。蔓の最後は右に向かって、くるっと半円を描くように丸まっている。
「この蔓は、ひらがなの『し』ですね。わかりました、『い』と『し』で石です」
しかし、これはどういうメッセージなんだろう。
首を傾げると、時雨さんがさらなるヒントを出してくれる。
「『い』はひとつではないでしょう」
「……十個ありますね……」
とはいえ、いいいいいいいいいいし、なんて意味のはずもなく。
『い』が『十』で『し』。とういし。いしとう。私はしばらく悩んで、答えを導き出した。
「『十』は『とう』と読んで、『いとおし』! つまり、『愛しい』じゃないですか?」
この答えには自信があった。
つい勢い込んで言うと、前のめりになった私に時雨さんは多少面食らったらしい。
それでも目をぱちぱちと瞬かせた後に、ふわりとほほ笑んでくれる。まるで正解した子供の生徒を褒める先生のような表情に、私はなんだか無性に恥ずかしくなった。年甲斐もなく、はしゃいでしまったかな、なんて。そう思えば思うほど、かあっと顔も熱くなって彼から目を逸らしてしまった。
「そのとおりですよ。よくできました。これは『いとし藤』と呼ばれる伝統の図案です。このとおり、藤はよく愛にかけられるんです。……ね? ある意味、幸村らしい贈り物でしょう」
「たしかに……」
幸村さんがこの手ぬぐいをくれたことに深い意味はなかったのだろうけれども、なんだか恥ずかしい。
「でも、粋ですよね。こう、わかる人だけにはわかるという感じが」
頭の体操にもよさそうで、ほかにもいろいろ調べてみたい。そう思った時に、ふと思い浮かんだのは玄関先にかけられた時雨さんのお店の名前だ。
「……そういえば、時雨さんのお店の名前は『鎌倉小町ろまんてぃゐく』ですよね。表札の横にかかっている店名……。あれってもしかして、ロマンティックとアンティークをかけていたりします?」
話の流れで気がついた思いつきを口にすると、時雨さんは頷いた。
「ええ、祖父が店を開くときに祖母がつけたと聞いています。着物には様々なロマンに溢れる物語があるでしょう? 人手を渡っても愛されるアンティークのように受け継がれていくよう、……そして、その手伝いができるように祈りを込めたと聞きました」
「受け継いだお店だったんですね。大正ロマンって感じで可愛いなって思ってたんです」
「ふたりとも昭和の人間でしたが、まあそうでしょうね」
そんな話をしていると、相槌を打つようにこれまた大正ロマン風の立派な柱時計がポーンポーンと二時の訪れを告げた。
「私、これから夕ご飯の買い出しに行きますけど、なにかほしいものありますか? おやつも、今日は買ってきたものをと思っているんですけど」
「……それなら、いとこの『かぼちゃきんつば』をお願いします」
「了解です」
鎌倉いとこのかぼちゃきんつばは、じっくりことことと煮込んで裏ごししたかぼちゃをもっちりとした薄皮に包んだ和菓子のことだ。濃厚な甘みとコクは、一度食べるとやみつきになってしまう。
これは特に時雨さんのお気に入りらしく、すでに何度か買い出しを頼まれていた。たしかにお茶請けにもぴったりなのだ。
今日はぜひ、私のぶんも買ってこようと心に決めた。すっかり私のお気に入りにもなっていたから。
早く、おやつの時間にならないかしら。
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