四、店主リギャンの気がかり

「おい、店主。ここに天鵞絨外套ビロードマントの男が来なかったか?」

 

 

 開口一番、精悍な騎士カルキ様はそういった。

 

 おれは板張りの店のすみにおいた申し訳程度の観葉植物から目をあげた。

 失礼なことに、目を合わせた騎士カルキは心なしか怯えた目をした。

 

 雑用ばかりやらされる下っ端の従卒から、いっぱしの騎士カルキにあがったばかりという感じで、みなぎる自意識を若い顔にはりつめていた。

 

 

「見ての通りだ」

 

 

 おれはそれだけいった。

 

 店の中には卓が三つほどあって、壁際には人一人分の小さな舞台ステージがあった。

 入り口脇にはおれの作業場があり、その受け渡し台の隅を卓代わりにして腰かけている人物がぽつんといるほかは、店は準備中の物静かな様相を呈している。

 

 おれの態度が反抗的に見えたのだろう、悪人面ですげない態度の市民に騎士団カルキジャーチの威厳を示すべく、若者は朗々と声をはった。

 

 

「隠し立てするのはためにならんぞ。本当に知らぬのであろうな」

 

 

 面倒な手合いだ。

 おれの人相に勝手にすくんだ挙げ句に、それを敵意に変えて威圧してくる。

 

 しかし人の感情ってものは鏡に映るように感染するものだ。

 若い騎士カルキのことなんぞどうでもよく感じていたおれの胸のうちに、ぽつんと芽を出した暗澹たる靄は、はっきりとした不快感となって目尻を上げ眉間にシワを刻んだ。

 

 

「知らんもんは知らん」

 

 

 おれはゆっくり腰を上げた。

 

 

「それとも騎士団カルキジャーチってのは、どうしてもおれの仕事の邪魔をしなきゃならん規則でもあるのか?」

 

 

 騎士カルキはたじろいだ。

 店の財政難の理由とおぼしきこの顔立ちも、こういう時には役に立つもんだ。

 

 騎士カルキは、目のまえの悪人面がはなつ威圧感と必死に戦っている様子だった。

 引き下がってしまっては世間に笑われるだとか騎士団カルキジャーチの名誉が廃るとか余計なことを考えているんだろう。

 

 その時、がんじがらめになって後にも先にも動けない騎士カルキへ、黙って受け渡し台に座っていた人物が声をかけた。

 

 

天鵞絨ビロードの男なら、三叉路の所の宿場で姿をみたって話を聞いたぜ」

 

 

 その一言が後押しになったようだ。

 騎士カルキはすがるような目で男を見たかと思うと、震えた声を出した。

 

 

「そうか。協力感謝する」

 

 

 騎士カルキは言うなり形許りにおれをひと睨みして、肩をいからせながら通りへ出ていった。

 

 水やりを終えたおれは、ため息を吐きながら対面台のなかへ戻る。

 

 

「とんだ税泥棒だ」

 

「あんまり苛めちゃ可哀想だぜ、棟梁」

 

 

 男がそういった。

 

 ふざけたことを抜かしやがる。

 じろりと男を睨んだおれの顔は、騎士カルキを震え上がらせたそれとさして変わらない圧があったはずだが、男はひょうきんなにやけ顔を引っ込めなかった。

 

 

「他人事みたいな物言いだな。ええ、ディディ?」

 

 

 奴はのらりくらりと葉煙草ビデイを咥えた。

 

 

「“今は”天鵞絨ビロードの男じゃねぇからな」

 

 

 ディディはそういって気持ち良さそうに煙を吐く。

 

 

 「いる? 棟梁」

 

 

 懐に隠していたそれをディディが持ち上げた。

 小さくまとめられているが、美しい光沢は隠しようもなく優美だ。

 

 

「いい外套マントだぜ、これ」

 

 

 なるほど、見事な天鵞絨ビロードの生地に細やかな刺繍まで施された、上等な外套マントだ。

 おれは黙ってそいつに手を伸ばすと、ぐいと対面台の下へ押し下げた。

 

 

「生憎おれは厄介なものは抱え込まん主義だ。引っ込めてろ。またいつ騎士カルキが来るかも分からねぇんだ」

 

 

 ディディは相も変わらずちゃらんぽらんに笑いながら、へぇへぇと返して羽織りの下へ外套マントを戻した。

 

 黒い外套マントの男。

 その言葉と、そいつが巻き起こした事件の顛末を聞いて、すぐディディの顔が思い浮かんだ。

 そしてそんな人間はごく僅かながら他にもいたことだろう。

 

 天鵞絨ビロードなんぞを纏わなくても、ディディはもともと背に黒地に蝶桔梗の花の紋様が入った派手な布を羽織る。

 

 ここシバ市ではあまりお目にかからないものだが、たしかこの色彩の鮮やかさは女物で、本来は帯などを使って体に巻き付けるように着るものだ。

 ディディはそいつをふわりと背に纏っている。

 

 まったく、歌舞伎者ダリルってやつは珍妙な格好をするものだ。

 しかし、この黒い羽織りこそがこの男に旗印に近いものであることを、知る者は少ない。

 

 “黒風のディディ”。

 

 その名は、こいつのり気なさに比べてあまりにも有名な名だ。

 伝説、英雄……そういう言葉が、黒風の名にはついて回る。

 

 武勇伝を上げ始めればそれは留まるところを知らない。

 大商人バティカンの塔に盗みに入ったとか、ウヴォの代表アーナンドワールを化かして出し抜いてみせたとか、幻の地底参階層ティンツーンにある牢獄から脱獄せしめたとか、そんなことだ。

 

 語り部に、芸子に、巡礼者にそいつは歌われ、畏怖の対象としての歌舞伎者ダリルの像を人々の心につくりあげた。

 かつて一世を風靡した伝説的な歌舞伎者ダリルの一人に、ディディは名を連ねてるってわけだ。

 

 けれど、いやだからこそ、その名と目の前の飲んだくれを一致させる事が出来る人間は限られている。

 

 鼻を赤らめたにやけ顔、下がった目尻に貫禄は見当たらない。

 この情けなく酔っぱらってるようなろくでなしがあの伝説の歌舞伎者ダリルだなんて、幻想大都市ウヴォにおいてなんとも夢のない話だ。

 子供らはさぞ、理想と現実の差に肩を落とすことだろう。

 

 それでも、ディディが騎士団カルキジャーチにちょっかいを出した挙げ句煙に巻いてみせたなんて話を聞かされれば、まあそんなことは朝飯前なのだろうというのは簡単に納得がいく。

 

 ディディは腕利きだ。

 おれとてもちろん承知の上だ。

 承知の上で、おれには宣言しておくべきことがある。

 

 当然のことながら、厄介事は引き起こすと厄介だから厄介事なのである。

 

 外ではまたしても騎士団カルキジャーチの一団が土埃を上げながら走っていった。

 これはどうやら詰め所の騎士カルキが総動員で駆り出されている。

 

 おれは視線を戻して、目のまえの男になにをいっても無駄だと分かっていながらも、小言を溢した。

 

 

「今のアムカマンダラであまり騒ぎを起こすな、ディディ。ただでさえ、事情が立て込んでるんだからな」

 

「そうなの?」

 

「おまえ、なにも知らないのか?」

 

「あんたほど情報通じゃないんだよ」

 

 

 気ままな根なし草とはいえ、そんなことでよく今までウヴォの薄闇の世界をやってこれたものだ。

 感心を通り越して呆れたくなる。

 

 それならば、と腕捲りをして笑ってみせた。

 

 

「情報通のリギャンさんが、地底街の世相をとっくり教えてやろう」

 

 

 話が長くなると踏んだのだろう。

 ディディは、やや身を引いて強ばった笑みを片頬に浮かべた。

 

 ここ、ハヌディヤー通りの酒場「テバル亭」には色んな奴がたむろする。

 ハヌディヤー通りの連中の口から出るものは、アムカマンダラの喧嘩沙汰からあの藤黄の花薬かやくの仕入れ方なんてやばい話まで、なんでもござれだ。

 

 奴らが最近口を揃えて饒舌に語るもの。

 それは“祭り”だ。

 

 歌舞伎者ダリルだとか、そいつらに近い連中は、どいつもこいつもお祭り野郎なのであり、そんな馬鹿どもの間で持ちきりなのは、お隣プネー市の織物工共同体ジャーチ主体の聖人祭の噂だ。

 

 

「プネー市の織物工共同体ジャーチっていやぁ、ウヴォ最大の巨大共同体ジャーチだ。何よりその頭は大商人バティカンだ」

 

 

 織物工共同体ジャーチの親を持って生まれた子供はそれだけで恵まれている。

 

 織物工共同体ジャーチの連中が地底に住んでいるなんて話を聞いたことがあるか? 

 おれは、織物工共同体ジャーチの連中が地底に住んでいるなんて話を聞いたことはない。

 そして有り得ないことだ。

 

 織物工共同体ジャーチの親方は都市議会の中枢にいるのが普通だ。

 商人どもとよろしくやり、市民の上前をはねて甘い汁をすすっていやがる。

 

 共同体ジャーチの内の人間だってそうだ。

 どいつもこいつも、神にでも選ばれたと思っていやがる。

 

 光に群がり空気に喘ぐ地底の生活とは全くもって無縁で、地上に馬鹿っ高い塔を拵えてその上から地べたを見下ろして生きているのさ。

 上等な水を汲みあげて飲み、飢えながらにしてもがくように働くことを知らない。

 例えば一家の大黒柱が怪我や病で綿布に触れなくなったとしても、共同体ジャーチの連中がどうとでもその家族を食わせてやれる。

 

 共同体ジャーチってものは、運命であり宿命だ。

 

 人は普通共同体ジャーチを選べない。

 生まれてくる親を選べないのと一緒だ。

 でっかい親戚ぐるみみたいなものでそれが貧弱であれば己も貧弱に生きる他ない。

 生まれた親が穢らわしい職の男であれば、そいつも穢らわしい職の男に育つしかないのさ。

 

 時よりそうした息苦しさに耐えきれなくなって逃亡を図る者もいる。

 でも、それを責める連中こそいい加減な輩だと、おれは思うね。

 弱い者だってどうにかして生きていかなきゃならねぇ。

 弱さを抱えて。

 

 だからハヌディヤー通りから人がいなくなることはない。

 世界に弱い人間がいる限り、掃き溜めは必要なのだ。

 

 おれがなぜ棟梁と呼ばれていて、それにも関わらずハヌディヤー通りでこんな店をやっていると思う?

 

 おっと話が逸れた。

 このくらいにしておこう。

 身の上話を始めると終わりが見えなくなる。

 

 祭りの話だったな。

 

 

「バティカンの織物工共同体ジャーチが年に一度催す祭りは、ウヴォ最大規模の祭りだ。御輿行列の練り歩きが近隣の市街をまわって、物好きなそいつは地底街すら闊歩する。驚くべきことは、その街の内のひとつにアムカマンダラも入っているっていうことさ。こんな場末の通りの住人でも、今から動いて上手く商売をすれば、この祭りの機運に乗って一儲けできるかもしれない」

 

「そりゃ景気のいい話だな」

 

 

 ディディは頬杖をついて窓の外をぼんやり眺めていた。

 思いがけずおもしろくない反応だ。

 これからようやく本題に入ろうって調子のおれの喉元で、御輿行列の規模についてのねたが白けていく。

 

 歌舞伎者ダリルって生き物はどいつもこいつも祭りと聞けば機嫌をよくするものと思っていたんだが、どうやらおれの思い違いだったらしい。

 

 おれは頭を掻きながら、明台あかりだいの上の光石を手に取ると、そいつを槌でかんとうった。

 地底街じゃ馴染みの反響が、店のなかに、通りの上空にひびきわたった。

 

 光石は仄かに光を放ち、そっと宙に浮いた。

 開店だ。

 

 日が沈むわけでもないこの地底街でも、地上の夕暮れに合わせて店を開く酒場がおおいので、この時間は光石を打つ音が山彦のようにあちこちから聞こえてくる。

 

 純度の低い光石の放つ色は、だいたいが黄ばんでいる。

 うちのお世辞にも上等とはいえない光石は、山吹色の光で寂れた店内をてらした。

 もともとは盗品だった光玉だ。

 文句はいうまい。

 

 光石といえば。

 そうだ。

 

「シバ市の採掘工共同体ジャーチが、この間また大光玉を掘り出したそうだ」

 

 

 それこそ、景気のいい話だ。

 

 この地底街にあって、採掘工共同体ジャーチの親方筋の暮らしのうるおいは、地表街の連中をも凌ぐといわれている。

 

 採掘工共同体ジャーチはハヌディヤー通りのあるこの壱階層エクツーンよりも更に地下深くへ掘り進み、もうひとつの大空洞とも言うべき巨大坑道を形成した。

 弐階層ドゥツーン、と呼ばれるものである。

 

 だれもが太陽の輝く地表の暮らしにあこがれる最中に、黙々と大地を掘り進んでいた奴らの共同体ジャーチは、光玉を掘り当てるようになると地底の誰よりも富と権力を得るようになった。

 そんな採掘工共同体ジャーチが、都市議会で力をもつようになるのは当然の成り行きだ。

 

 ただ奴らがけしからんのは、ハヌディヤー通りとアムカマンダラと一纏めにした上、シバ市の疫病と称して目の敵にしていることだ。

 大光玉をハヌディヤー通りから取り上げるべきだ、なんて恐ろしいことを連中は簡単にいってのけやがる。

 話は数年前から出ているが、いまのところそいつは現実にならずに済んでいる。

 

 

「なんで採掘工共同体ジャーチの話なんかしたんだよ?」

 

 

 ディディが片目を開けてこちらを見ていた。

 

 まったくもってその通りだ。

 金持ちの政治家なんてものは、ここの住人とってはけたくその悪い存在でしかない。

 

 

「もっと、こう、役に立つもんはないのか? 明日の食い扶持に繋がるようなよう」

 

 

 ディディはいつの間にやら二本目の葉煙草ビデイに火をつけていた。

 誰の話が長いって?

 ……失礼な男である。

 

 

「食い扶持ねぇ」

 

 

 おれはふと対面台の板目に視線を落とす。

 

 ならず者のしのぎなんざ知ったことではない。

 そういうものには、外見が狂暴なだけで心根は慈愛に満ちたおれのような一般市民は、関わり合いにすらなりたくないもんだ。

 

 しかし、土地柄嫌が応にも耳に入ってくる話というやつがある。

 ある事件を発端に、アムカマンダラは俄かに血生臭い匂いを醸しているのだ。

 

 

「シバ市と、プネー市の歌舞伎者ダリルの間でいさかいがあった」

 

 

 言いながら、おれは仕込んであった作りおきのつまみを口に放り込んだ。

 

 

「そのせいでアムカマンダラはちょいと物騒な雰囲気だ」

 

 

 壺に入ったそれは、鶏土竜とりもぐらの肉を旬の屋根筍やねたけのことぴりっとする香辛料で炒めたものだった。

 うむ、ちょっと舌先の痺れが強い気はするが、今夜までは出すことにしよう。

 

 

「大して変わらなかったよ、アムカマンダラは。ただの喧嘩騒ぎだろ?」

 

 

 ディディは、退屈そうな顔でいった。

 

 

「それが事はそんなに簡単じゃあないんだよ」

 

 

 背骨のあたりから滲み出てくるようなため息を吐いて、おれは一段と声を落とした。

 

 

「奴らが絡んでる」

 

「奴らって?」

 

赤月商会ウィーイーンさ」

 

 

 そこまでいった時、ディディはぎょっとした顔になっておれの顔を見た。

 

 

「ソソか?」

 

「ああ、ソソだ」

 

 

 端から見たらさぞ珍妙だろう会話を交わして、おれたちは男二人して哀切極まりないという感じに眉を八の字にした。

 

 赤月商会ウィーイーンのソソは、泣く子も黙るアムカマンダラの女帝だ。

 

 女帝と呼ばれる理由はふたつ。

 ひとつは、女だというのにおそろしくおそろしいということだ。

 とにかくおっかないのである。

 

 漆黒の目は全てを見透かすといわれていて、えらくべっぴんなはずの顔の造りは、瞳の放つあまりの精気に相対した者を「恐い」という感情に結び付ける。

 ソソはそんな女だ。

 

 赤月商会ウィーイーンはアムカマンダラで一番巨大な賭場を出していて、客向けの金貸しもしていた。

 

 

「この間も、高額な利子を払いきれなかったベルト工の男が、ハヌディヤー三叉路の闇医者の所にぶち込まれたって話だ」

 

 

 おれは食材の確認を粗方終わらせて、一息吐きながら天井を見上げた。

 石造りの建物にわざわざ板を張ったこだわりの内装の隅に、大きな蜘蛛の巣が張っていた。

 

 

「なんでもやっこさん、ちょんぎった指を氷漬けにするんだそうだぜ。そいつを別人の指にひっつけることだってお手の物。アムカマンダラの歌舞伎者ダリルの間じゃずいぶん重宝されてるって話だ」

 

 

 軽い冗談を飛ばしたつもりで口許を緩め、ディディを見やる。

 似たような顔でにやけていると踏んだディディの顔は、しかし凍りついたようにかたまっていた。

 

 ディディはゆっくり頭を抱えると、じっと対面台に目を落とした。

 おれはその顔をよく知っている。

 冗談では済まされない顛末に陥っている男がよくする顔だ。

 

 

「おまえ、まさか」

 

「金。返してねえんだ。もう一年近く」

 

「なんだって!」

 

 

 おれはつい大声を出した。

 無理はないってもんだ。

 赤月商会ウィーイーンは、アムカマンダラでなけりゃ明らかに法外な利息で金を貸している。

 それを一年も滞納しているなんて、笑えない話だ。

 

 

「指という指をへし折っても足らねぇぞ、そりゃあ」

 

 

 おれは少々広すぎる額を撫でながら、目のまえの憐れな男を見下ろした。

 

 

「だいたい、赤月商会ウィーイーンご自慢の取り立て屋連中がほうっておくか?」

 

「いや。金を借りてるのは商会にじゃない」

 

 

 ディディは青い顔を上げて、自嘲気味に笑いながら言った。

 

 

「ソソ本人にさ」

 

 

 今度は大声は出なかった。

 代わりに、しゃくり上げるようになった喉が、きゅっと妙な音を漏らした。

 

 耳を疑うってのはこういうことをいうんだろう。

 ソソに金を借りてる? 

 商会を通さずに、あのソソ自身の手から? 

 そんな人間がいるのか? 

 年のせいか、事態を理解するのに順繰りに疑問を咀嚼していく必要があった。

 

 ソソが女帝と呼ばれるのにはもうひとつの理由がある。

 アムカマンダラ最大の灯台の持ち主が、他ならぬソソ本人であるということだ。

 

 アムカマンダラで最も光を持つ人物。

 そいつが歌舞伎者ダリルの中でどれだけの力を持つことになるのか、想像してみてほしい。

 もはやソソはアムカマンダラの歌舞伎者ダリルの元締めといっても過言ではない。

 

 そのソソを相手に借金をこさえて、そのうえ一年も滞納してると、この男はそういうのである。

 悲哀に満ちた顔で自分の手を見つめるディディは、まるで己の五指に別れを告げているように見えた。

 

 と、その時だ。

 

 くたびれたおんぼろ酒場に、不釣り合いな柔い声が響いた。

 

 

「この、ムダ飯食らいの甲斐性なし!」

 

 

 声は、美しい笛の音みたいな澄みきった響きを持っていた。

 だからそれが発した場違いな言葉の毒は、奇妙な違和感となってゆっくりとおれたちの所へ舞い降りた。

 

 何事かと振り向いたおれとディディを見返していたのは、やはり一人の少女だった。

 

 店の入り口に立ったその小さな影は、向かいの店の光石に照らされてぬっと店のざらつく床へ伸びていた。

 華奢で折れてしまいそうな体つきなのに影が丸々としているのは、少女が傘をさしているからだ。

 

 肩に担いだその桃色の地を背景に、少女は笑っていた。

 子供が小鼻を膨らませ幸せそうに笑うさまは、正面からみると大の男の心だってほぐされてしまうこともある。

 それが特別感じのよい形の笑みであれば、尚更のことだ。

 

 けれどその満面の笑みから溢れてくる言葉は、やはり先ほどのおれが一言一句聞き間違えたわけではないということを、如実に物語るものだった。

 

 

「なにが黒風よ。おまえみたいな卑怯者より糞ったれの騎士団カルキジャーチの方がよっぽどましよ」

 

 

 そういって、まるで見下すような目をして、少女は更に深く、美しく笑った。

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