第6話 棺おけホテル

第6話 棺おけホテル その一



 佐竹弁護士と話していた青蘭が、ガッカリしたようすで電話を切った。


「文京区にあるのは、佐竹の事務所が入ってるテナントビルなんだって。空室はないって言ってた。あいつ、たぶん勝手に貸しだして収入得てる。まあいいけど。タワーマンションは千代田区だって言うし。そっちは鍵が銀行の貸金庫に預けてあるから、明日にならないと入れない」


 今夜はカプセルホテルに泊まるしかないみたいだ。


「青蘭がイヤなら、別のホテルに泊まってもいいんだよ? 天野さんに悪いから経費では落とせないけど、青蘭の好きな高級ホテルに泊まろうか?」


 青蘭は首をふった。

 今回、お金がないことをずいぶん気にしている。

 なんとか誤解を解きたいが、いったい、どうしたらいいものか。

 直接話法で言っても通用しないのに、間接話法で理解してもらえるとは思えない。


「じゃあ、まあ、今夜はあのホテルに帰ろう」

「うん。我慢する」


 タクシーをひろって、昼間にチェックインしておいたホテルへ横づけしてもらった。こういうホテルに泊まる客にしては、タクシーが移動手段なのは贅沢だったのか、ドライバーは龍郎のさしだす万札を見て微妙な表情をする。


「お客さん。お釣りないんだけど」

「じゃあ、コンビニ寄ってきます。くずしてくるので、ちょっとだけ待ってください」


 目の前にコンビニがあってよかった。でないと無賃乗車になるところだ。

 龍郎は庶民なので、決して「お釣りはいりません」なんて言わない。


「はい。青蘭。デザート食べそこなったろ?」

「あっ、新商品だね」

「うん。たくさん置いてあったから人気なのかなと思って」


 人質にタクシーのなかへ残されていた青蘭が、ほっとしたようすでとびついてくるのが、たまらなく可愛い。ご主人さまの帰りを心配そうに待ちわびる子犬の目だ。


「それ食べたら、今夜はもう休むよ?」

「うん。稼がないといけないもんね」

「…………」


 ホテルに入りながら、青蘭が言った。


「さっきの運転手、もうちょっとで悪魔になりそうだった。龍郎さんがいないあいだ、僕のことジロジロ見て、このまま、つれさろうかって考えてたよ」

「心のなか、わかるんだ?」

「あれはわかるよ」


 やはり、油断のならない街だ。


 鳩の巣箱のように、一人ぶんのボックスがならんだカプセルの前まで来ると、黒川が大きなキャリーケースを自分のカプセルに持ちこもうと四苦八苦していた。


「黒川さん。荷物は預けておけばいいじゃないですか」

「これは大事なものなんだ。離しておくなんてできない」


 そう言うので、しかたなく、三段めのカプセルに持ちあげるのを手伝う。ずいぶん重い。なかに鉄の金庫でも入ってるんじゃないかと思うほどだ。


「大丈夫ですか? 手、離しますよ? 黒川さん」

「ああ。いいよ」


 ようやくメガサイズのバッグが出入り口の枠を超える……そのとき、龍郎は見た。キャリーケースのスキマから、はみだしているものを。

 まんなかから両側に開閉するタイプのキャリーケースだから、荷物を入れて閉じるとき、はさまったのだろう。ふわふわと白っぽいソレは、人間の髪の毛のような……。


「あれ? 黒川さん、これ……」


 龍郎が見なおそうとしたときには、黒川がケースを自分のパーソナルスペースに押しこんだあとだった。


「えっ? 何? ありがとう。じゃあ、おやすみ」


 黒川は自分もカプセルに入りこみ、龍郎の鼻先で開閉口を閉めた。

 なんとなく、あわてているように見えたのは気のせいだろうか?


「龍郎さん。何してるの?」

「あっ、ごめん。ごめん」

「ねえ、寝るまでいっしょにいてもいい?」

「うん。いいよ」


 大人一人用の空間として設計されたカプセルだ。二人でもぐりこむには、かなり手狭だ。でも、入れないわけじゃない。青蘭が細身なので、なんとか二人ぶんの体を押しこむことに成功する。


「棺おけのなかに入ってるみたいだね」と、青蘭は上機嫌だ。

 なぜ、棺おけでウキウキするのかわからないが。


「あっ、さっきのスイーツ食べよ」

「あとで歯みがきしなくちゃね。天使も虫歯になるのかなぁ?」

「僕、虫歯ないです」

「ああ、おれもないなぁ。健康優良児だったんだ」


 二人でいれば、どんな場所でも楽園だ。

 何を話すでもなく、ただよりそいあううちに、いつしか寝入っていた。

 寝返りを打つこともできないが、青蘭のぬくもりを感じていると、それだけで幸福だった。


 ふと目ざめたのは、何時ごろだっただろうか。


「……あれ、青蘭。寝てたよ。おれ、上に行くからね」

「ヤダよ。龍郎さん……置いてかないで」

「でも、これじゃ絶対、寝違えるよ」

「ヤダよ。龍郎さん……置いてかないで」


 出たぞ。青蘭の同じセリフをくりかえす攻撃。これは自分の意思をまげる気がないときの態度だ——と、龍郎は苦笑しながら青蘭の髪をなでる。

 明日、体のふしぶしが痛むだろうが、可愛い青蘭のためだから我慢するしかないかと諦観を受け入れる。


 とは言え、窮屈なので、いったん目がさめると、なかなか寝つけない。

 腕時計を見ると、夜中の二時すぎだ。いつもなら今から就寝の時間である。早く寝すぎたせいか。


 青蘭は幸せそうにクウクウと寝息を立てる。その寝顔を見ていれば、退屈はしない。


 ——と、どこかで足音が聞こえた。

 意外と防音がしっかりしていて、まわりの音は気にならない。しかし、上下左右、まわりは同じようなカプセルが二十以上もある集合住宅のようなものだ。きっと誰かがトイレにでも起きてきたのだろう。


 龍郎は目をとじて眠ろうと心がけた。

 あまり夜ふかししていると明日に響く。ことによるとナイアルラトホテップと対峙しないといけないかもしれないのだ。万全に準備してから行かなければ。


 それにしても、やけにあの足音は執拗にこのまわりを歩きまわっている。

 それも靴をはいていないようなペタペタした音だ。裸足なんじゃないだろうか。


 不審な気がした。

 気になる。


 龍郎は頭の上に手を伸ばし、カプセルの開閉口の鍵を外した。


 そっと戸をあけ、外をのぞき見る。

 廊下には常夜灯がついていた。

 薄明かりのなかに、白い人影が浮かびあがる。

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