第33話 応酬と応報

 三人目のデブが事を終えたのは、それから数十分後のことだった。


 たった一人で前の二人の三倍ぐらい時間かけやがって……。でもやっと終わった……。これで解放される……。そう思っていたら、あたしの喉元を踏みつけていた金髪ゴリラが再び脚の間に移動してきた。


 マジかよ、まだする気かよ……。


 終わりの見えない地獄に絶望を感じた瞬間、下腹部にさっきまでとは違う激痛が走った。首を起こして見ると、踵でグリグリと踏みつけられている。


「痛い痛い! やめてください!」と叫ぶと、「ああ? 避妊してやってんだからおとなしくしてろ!」と思いっきり睨まれた。


 いやいや、そんなの避妊にならねーし! そんなんで避妊できたら苦労しねーよ! っていうか、そこをそれ以上踏まれたら……


 女子として絶対見られたくないシーンを見られまいと必死で我慢したものの、ついに耐えきれなくなって盛大に噴出してしまった。慌てて避けた金髪ゴリラから罵声が降りかかってくる。


「おい! てめー、ふざけんなよ! 靴にかかったじゃねーか!」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 いやいや、あんたが踏んだからだろ! っていうかさ、あんたがあたしの中に出したものより、あたしのオシッコの方が絶対綺麗だよ! 散々人の身体を汚したくせに、靴がちょっと汚れたぐらいで怒るなよ……。


 が、怒りが収まらないらしい金髪ゴリラは、口汚く罵りながらあたしの股間を力任せに蹴り上げてきた。突き刺さるような激痛に意識が一瞬飛びそうになる。


 ってか、マジで!? そこ蹴るとか、人としてありえないんだけど! 逃げようにも、いつの間にかデブに肩を踏まれていて動けない。そのまま、続けざまに何度も蹴り上げられた。


 更に、それだけでは気が済まなかったのか、今度はあろうことか頭を蹴ってきた。そして、顔が横を向いたところを上からグリグリと踏みつけられる。何か怒鳴られてるみたいだけど、耳鳴りがガンガン鳴っていてよく聞き取れない。


 やばいよ、これ! 殺される!


 薄々分かってたけど、こいつら、人を傷つけることになんの抵抗も感じてない!


 もうこれ、本気で殺そうとしてるようにしか感じないんだけど!


 殺される前になんとかしないと……。


 と、十メートルほど離れた所にある給水タンクのそばにコンクリートブロックが何個か転がっているのが目に入った。


 そこから先、自分が何をどう考えて行動したのかは全く覚えていない。頭と肩を踏まれた状態からどうやって逃れたのかもあやふやだ。気がついたら、三人分の怒声を背に給水タンクに向かって走っていた。


 そして、ブロックを素早く一個拾い上げると、振り向きざまに真後ろにいた奴の側頭部に全力で叩きつけた。デブの頭が卵の殻みたいに潰れ、目玉が片方飛び出してきた。


 そのまま間髪入れずに、まさにあたしに掴みかかろうとしていた金髪ゴリラの頭めがけてブロックを振り下ろす。手で防がれそうになったけど、迷わずその手ごと一気に叩き潰した。力じゃ絶対勝てないからね。迷ったらおしまいだ。


 後ろ向きにひっくり返った金髪ゴリラは、言葉にならないうめき声を上げながらコンクリートの上をのたうち回っている。額がぱっくり割れて血が噴き出し、手もぐしゃぐしゃになって指が何本かちぎれていた。


 スマホで撮影しながら近くまで追いかけてきていたロン毛は、この光景を見て慌てて逃げ出していった。


 反射的に追いかけようとして二、三歩進んだところで、思い直して足を止める。あくまでも自分の身を守りたいだけであって、こいつらを殺したいわけじゃないからね。


 殺したいわけじゃない……。そうだ……あたし今……。


 後ろを振り返ると、デブはとっくに事切れていた。飛び出した目玉が視神経にぶら下がっていてかなりグロい。金髪ゴリラの方はまだ生きているけど、血の海の中でほとんど動かなくなっていた。相変わらず、額からは血がドクドクと噴き出している。


 別にこれ以上痛めつける気はないけど、手当てをする気も救急車を呼ぶ気もない。どうせ助かりそうになさそうだし、心情的にも……ね。もちろん、トドメを刺してあげる気もない。


 そこで初めて、手にしているブロックの重さに気づいて足元に放り出した。よくこんなもの振り回せたね……。ってか、よく今まで持っていられたね……。火事場の馬鹿力ってやつかな?


 今思えば、さっき走れたのも馬鹿力に近いよね……。無理やり脚を開かれたせいで股関節が猛烈に痛くて、普通に歩くだけでも結構辛いのに。今走れって言われても絶対無理だ。


 さてと……どうしよう。人を殺しちゃったよ……。犯罪者だよ……。なんでこんなことになっちゃったんだろ。


 とりあえず、お母さんに相談するしかないのかな。そう思ってスマホを取り出そうとしたものの、スカートのポケットに入れていたはずのスマホがない。見ると、さっきまで事が行われていた辺りにあたしの鞄と一緒に転がっていた。


 痛くて脚が閉じられないので、ガニ股でゆっくりとスマホの元に歩いていく。オシッコと血が染み込んで重くなったスカートが太ももにべったり張り付いて気持ち悪い。


 っていうか、よく見たら現在進行形でだらだら血が垂れてるんだけど! これ、絶対蹴られたせいだよね……。どんな状態になってるんだろ? 気になるけど、屋上とはいえ屋外でチェックするのはさすがに抵抗がある。


 顔も、鏡を見るのが怖いけど、触った感じだと結構腫れてそう。……ってか、歯折れてんじゃん! まあ、首が折れなかっただけ、まだましか……。


 とにかく、まずはお母さんに相談しよう。悲しむだろうなぁ……。


 気が進まないながらも母親に電話をかけようとしたところで、LINEのアイコンの右上に表示されている数字が目に入って指が止まった。え……? 通知二十一件? 何これ?


 二件はフォローしてる公式アカウントからだったから、とりあえず放置。一件はクラスで仲の良いさやちゃんからだった。開いてみると——


『あの写真、送り先間違ってない?』


 ん……? 写真? あたしは嫌な予感を胸に抱きながら、残り十八件の通知が来ているクラスのグループトークを恐る恐る開いてみた。


『どっかのおっさんに送ろうとしてミスったとか?』

『っていうか、あいつこんな趣味あったのか?』

『なんで分かるの? キモ!』

『この膝の形は丸峰だろ』

『本人?』

『何これ? 本物?』

『これ自分の? 馬鹿じゃないの?』


 そんなクラスメートのメッセージを遡った先には……下着を剥ぎ取られたあたしの下半身の写真が何枚も投稿されていた。顔は写ってないけど、明らかに自分の身体だ。喉元を踏みつけているはずの足もギリギリ写っていない。


 何が起きたのかはすぐに分かった。勝手にスマホの指紋ロックを解除されて、勝手に写真を撮られて、クラスのグループトークに投稿されていたのだ。既に、クラスほぼ全員分の既読が付いている。


 これは……だめだ……。殺されたくない一心で必死に抵抗したけど、既に殺されていたようなもんだった。心を引き裂かれ、居場所を奪われ、傷だらけにされた身体で生きていく気力はもうどこにも残っていなかった。


 あたしは家族のグループトークに『ごめん』とだけ送って、ゆっくりとフェンスに足を進めた。

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