第45話

「ねえ、月夜」沈黙していた囀が、月夜に話しかけた。「僕ね、もうそろそろ、行かなくちゃいけないんだ」


 月夜は彼を見る。


「どこへ?」


「ここではない、どこかに」


「どうして?」


「存在しないからだよ」


 月夜は答えない。


「存在しないから、存在しない者が存在する所に、行かなくちゃいけないんだ」


「存在しないのに、存在するとは、どういう意味?」


「そのままの意味だよ。理解はできるでしょう?」


 月夜は考え、そして頷く。


「だから、月夜と一緒にいるのも、あと少し」


「私が、君と一緒に行きたいって言ったら?」


「そんなこと、君は言わないと思うよ」


「もし、そう言ったら、という話」


「拒否はしない」囀は言った。「でも、月夜のためにはならないとは伝える。……もう、伝えちゃったけどね」


 月夜には、囀に同行する意思はなかった。それが最善だと判断したからだ。


「まあ、とにかく、お礼は言っておくよ。楽しかった。どうもありがとう」


「うん……」


「どうしたの? 寂しいの?」


「少し」


「元気出してよ。そんなに重い話じゃないよ」


「でも……」


「でも?」


「好きなものを失うのは、辛い」


 囀は月夜の肩に触れる。


「いつか、また会えるよ」


「そう?」


「うん、きっと」


 教室で二時間くらい過ごし、二人で裏門から外に出た。駅がある方に向かって歩く。


 踏み切りの前を通過した。


 真っ直ぐ進み、階段を上る。


 その間、二人とも何も話さなかった。


 改札を抜けて、ホームに立ち、電車が来るのを待つ。


 空いている電車に乗り込み、二人並んで席に着いた。


「なんか、あっという間だったね」囀が言った。


 月夜は頷く。


「会ったときのこと、覚えている?」


 月夜はもう一度頷く。


「あれって、本当に運命だったんじゃないかって、僕は思っているんだ」囀は話した。「こんなに数ある電車の座席で、たまたま月夜がいる位置に乗車するなんて、そうとしか思えない」


「乗る、または降りるときに使う階段の位置と、人の行動を考慮に入れれば、ある程度は、絞り込むことができる」


「じゃあ、月夜が狙ったのかな?」


「いや、違う」


「そういうのを、運命っていうんだよ」


「いわない気がするけど……」


「いうんだって」囀は楽しそうだ。


 月夜は小さく頷いた。


「……分かった」


 囀の最寄り駅に到着する。


 彼は、何も言わずに、月夜に手を振って、電車を降りていった。


 扉が閉まる。


 月夜は後ろを振り返った。


 彼の姿は、すでにそこになかった。


 明日になれば、もう、囀はいない。


 彼は学校に来ない。


 寂しかったが、それで良いと思った。


 家に着く頃には、午前二時近くになっていた。玄関の鍵を開けて中に入ると、フィルがそこに座って待っていた。


「どうしたの?」後ろ手に玄関のドアを閉めて、月夜は尋ねた。


「終わったのか?」フィルは訊き返す。


 月夜は小さく頷いた。


 リビングにリュックを置き、そのまますぐに風呂に入った。今日はフィルも一緒だった。彼の身体を先に洗い、湯船の中にそっと入れる。水に浮かぶ彼は、見ていていつも愉快だ。可愛いというよりは、可笑しいといった方が近い。


 自分も一通り洗い終えて、月夜もお湯に浸かった。


 フィルを抱きかかえる。


「思った以上に元気そうだな、月夜」フィルが話す。


「そう?」


「ああ」


「思った以上にって、何を思ったの?」


「事態が起きて、それにどれくらい影響を受けたか、と想像した、ということだ」


「分かっている」


「じゃあ、訊くなよ」フィルは笑った。「分かっていることは、訊いてはいけない」


「フィルと、話したかっただけだよ」


「ほかにいくらでも話題はある」


「じゃあ、フィルの好きな色は?」


「そんなこと、訊いてどうなるんだ?」


「訊きたかっただけ」


「俺が好きなのは空色だ。ちなみに、空色と、水色の違いは、分かるか?」


「分からない」


「空色は、何でもありなんだ」彼は言った。「お前みたいに、真っ黒でも、空色は空色なのさ」

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