ソラとセシルの二人は湯船に浸かっていた。

 セシルは自分の背中を預けるようにしてソラの体にもたれ掛かり、頬を赤くして僅かに身を縮ませている。

 一方のソラは苦笑しながら、天井を見上げていた。

 衣服を脱いだ時、お互い相手の性別を知ってしまっていた。ソラはセシルが女の子であるということを、セシルはソラを男であるということを、身体的特徴を見ることで理解したのである。

 それでも二人が一緒に風呂に入っているのは、セシルが一緒に入りたいと言って聞かなかったからであるのだが。


「びっくりした。すごく綺麗な人だったからお姉ちゃんだと思ってたら、お兄ちゃんだったんだ」

「あはは……ここに来てからよく間違えられてるよ。セシルもその……女の子だったんだね」


 短い髪であったことから、てっきりセシルを男の子だと勘違いしていたソラ。実際セシルの顔は可愛らしく、女の子と言われればその通りの顔立ちをしている。


「僕もたまに男の子に間違えられるんだけど、お兄ちゃんほどじゃないかな。うん」


 セシルは改めてソラの顔を見てみる。


(どこからどう見ても綺麗な女の人なんだけどなぁ)


 あまりにまじまじと見るので、ソラは小首を傾げる。するとセシルはすぐさま顔を逸らした。


「でもどうしてボクと一緒に入ろうって思ったの?」


 ソラの問いに、セシルは少し俯く。


「だってその……はじめて会った時にお父さんに似てるって思ったから……」

「セシルのお父さんに?」

「うん……」


 セシルは小さく頷くと、父親のことを思い出しながら話しを始めた。


「僕のお父さんはね、ギルドで働いてた人なんだ。困ってる沢山の人を助けて、沢山の人を笑顔にするって言って、色んなところに行ってたっけ」


 ソラは思い出す。母親のレフィナが〝ギルド〟の名を聞き顔を曇らせていたことを。


(そうか。それでレフィナさんは……)


「僕はそんなお父さんが大好きだった。僕も将来お父さんみたいな人になりたいって。でもある日、ギルドの人がやってきたんだ」


 セシルは当時のことを思い浮かべる。


 その日やってきたのは一人の女性だった。その女性は父親が身につけていた物を手に持ち、悲しげな表情で、しかし端的に言った。


「彼は命を落としました。我々の落ち度だ。申し訳ない」


 それだけ言って、女性は所持品をレフィナに渡して去っていった。

 レフィナは夫の所持品を抱きしめて泣き崩れた。その声を聞き、セシルも次第に涙を溢れさせた。



「なんでもお父さんは、とても危険な依頼を受けてたんだって。その依頼の最中、魔物に襲われたって後から聞いたんだ」

「魔物……」


 ソラの脳裏に、あの日のことが思い浮かぶ。と同時に、溢れるように次々と当時の記憶が目の前に浮かんだ。

 堪らずソラは口元に手を当てる。

 それに気づいたセシルは心配した表情でソラの顔を覗き込んだ。


「お兄ちゃん?」

「ごめん、大丈夫」

「でもなんだか顔色が……」

「大丈夫だから心配しないで」


 ソラは苦い表情で笑うと、セシルの頭を優しく撫でた。

 その心地よさに、セシルは目を細める。


「お父さんね、よくこうして僕の頭を撫でてくれたの」

「そっか。ごめんね? 嫌なこと思い出させて」

「大丈夫。それに今はお兄ちゃんが一緒にいるから!」


 えへへとセシルは無邪気な笑顔を向ける。それを見たソラもまた、自然と笑顔になった。


「やっぱり僕、お兄ちゃんが笑ってる顔好き!」

「え? そ、そう?」

「うん! はじめて見たときも思ったけど、すごく輝いて見えるから!」


 ソラは思わず顔を紅潮させる。


「あ、なんかお兄ちゃん顔赤ーい」

「もう、からかわないでよセシル」

「えー? だってなんかお兄ちゃんの顔赤いし。大丈夫ー?」

「大丈夫! 大丈夫だからそうやって顔近づけないで!」


 そんな会話をしながら、二人は満面に笑顔を咲かせる。そして二人は吹き出すと、笑い声を上げた。

 浴室から聞こえる笑い声を、部屋の扉付近で聞いていたレフィナは顔を俯かせる。


「セシルが家で誰かと笑い声をあげるのはいつぶりかしら……」


 微かに笑う。が、すぐに表情に陰りを見せて俯く。


「あなた……私はどうしたら……」


 頬を伝う一雫が、床を濡らした。







 風呂から上がると、ソラはある部屋に案内された。


「どうぞここを使ってください」


 案内したレフィナは軽く会釈すると、部屋の扉を開ける。

 部屋の中には一つのベッドがあるだけで、他には何も置かれていない。

 初めは来客用の部屋だろうかとも考えたが、一つ答えが出てきた。


「ここは……セシルのお父さんの部屋ですか?」


 問いに、レフィナは表情を曇らせる。


「セシルから聞いたんですね……?」

「はい。すいません。聞かないつもりではいたんですけど」


 ソラの答えは同時に、薄々気が付いていたことを表している。

 レフィナは顔を俯かせると、微かに笑みを浮かべた。


「いえ、いいんです。きっと分かっているんだろうなって思ってましたから」


 レフィナは部屋を見渡す。


「夫が使っていた家具は殆ど捨てました。ベッドだけは、何かに使えるかと思って取っておいたのですけど」


 レフィナはこう言っているが、実際は違う。彼女は心のどこかでは、夫がまだ無事に生きていて、いつか帰ってくるのだと思っているのだ。故に、夫が使う寝具だけは捨てられなかったのである。

 それを知ってか知らぬか、ソラはベッドにそっと触れて言った。


「大丈夫ですよ。きっと取っておいて良かったて思える日が来ますよ」


 微笑むソラに対して、レフィナも微笑む。が、彼女の表情はどこか硬く重苦しい。


「セシル、言ってましたよ。お父さんは誰よりもすごい人なんだって」

「ええ。私にとってもあの人は、自慢のできる素敵な人でした……」


 とそこへドタドタと大きな足音を立てて、セシルが部屋に駆け入ってきた。


「お兄ちゃん! 本読んで!」

「お兄ちゃん……?」


 セシルの呼び方の変化に、レフィナは首を傾げる。

 それを見てソラはこの後の反応に察しがついてしまう。思わず苦笑が顔に出た。


「ん? お姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんだったんだよ? だからお兄ちゃんって呼んでるの」

「え? んん?」


 セシルの言葉の意味がいまいち理解できず、レフィナは頭に疑問符を浮かべる。実際セシルの説明は分かる者にしか分からないものであるため、彼女の反応は当然のものであると言えよう。


「だからー! お姉ちゃんは女の人じゃなくて男の人だったからお兄ちゃんなの!」


 やはり理解が追いつかないレフィナ。しばらく考えながら、ソラのことを凝視する。そして。


「えっ? 男の人……?」


 理解が追いつき始めるにつれて、レフィナの顔色が変わっていく。具体的には、次第に目が丸くなり、驚きといった表情に変わっていっている。


「あの……本当なんですか?」


 その反応にソラは既視感があった。


(あー……これ、ルーさんと同じ反応だ)


 苦笑しながら、ソラは肯く。


「え、でも? だってそんな綺麗な顔していて、髪も長くて綺麗だし、体つきも……」


 まるで吟味するかのように、全身隈なく眺めていくレフィナ。彼女の表情からは「とても信じられない」という言葉が強く現れている。


「えっと……そうじっくり見られると恥ずかしいというか……」


 ソラの発言にハッと我に帰るレフィナ。顔を赤くして、すぐさま頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! そ、その……若い時の私よりも綺麗だからつい……」

「流石にそんなことはないかと……」

「いいえ、あります!」


 レフィナの顔に「なんだか悔しい」という心の叫びが出ている。


「お兄ちゃんはもう少し自分の姿を自覚するべきだと思うの」

「ええ? でもボク、そこまで言われるほどじゃないと思うんだけど」

「お兄ちゃん。そんなこと言ってたら、いつか男の人に求婚されるよ?」

「きゅ、求婚って……というかよくそんな難しい言葉知ってるねセシル」

「お父さんがお母さんと会った時の話をする時、いつもそう言ってたから」

「ちょ、ちょっとセシル……!」


 セシルの言葉に、レフィナが顔を真っ赤にする。

 一体このやり取りはなんなのだろう。そんな疑問がソラの頭に浮かぶ。このままでは一向に話が逸れることがないと考えて、口を開いた。


「そ、それで何読んで欲しいの? セシル」

「あ、これ読んで欲しいの!」


 セシルが嬉々とした表情で差し出したのは、見覚えのある本だった。


「これ、セシルも読んでるんだ」


 それはソラも持っている、あのお伽話の本だ。


「お父さんがお仕事休みの日によく読み聞かせてくれたんだ!」


 セシルの言葉を聞き、ソラはレフィナの顔を伺う。レフィナは静かに微笑んで頷いた。


「そっか。じゃあ読んであげるよ。どこから読めばいい?」

「んとねー、最初から読んでほしい!」

「最初から?」

「うん! 眠たくなるまで読んでほしいなー」


 ソラはくすりと笑うと、セシルから本を受け取る。


「わかった。じゃあ最初から読んであげる」

「やった!」


 セシルは喜ぶと、ベッドの上に飛び乗った。後に続いて、ソラも隣に座って本を開く。


「それじゃあ、この世界のおはなしの始まり始まり」


 その様子を眺めて、レフィナは思った。


(ああ、なんだかあの人が帰ってきたみたい……)


 ソラが全くの別人であると分かっていても、レフィナもそしてセシルも、夫あるいは父親の姿と重ねていた。

 そしてソラもまた、幼い頃の記憶と重ねていたのだった。







 それは八人の賢者が、国を生み出して数年経ったある日のこと。世界で最初の争いが巻き起こりました。


 戦争を仕掛けたのはネイドが率いる軍です。

 力を付けたネイドたちは、アルガンセの国に対してこう言いました。〝俺はお前たちを滅ぼす。そのために力も得た〟と。

 しかしアルガンセは相手にせず〝お前たちではこの壁を墜とすことさえ出来ない〟と吐き捨てました。


 当然、ネイドはこうなることを予想していました。故に言ったのです。〝ならば俺たちの力を思い知るがいい〟と。

 ネイドたちはアルガンセの国に攻め入りました。国を囲っていた壁を容易く突破して、平和に暮らしていた人々を惨殺し始めたのです。

 これにはアルガンセの国の兵士たちも黙ってはいられず、応戦しました。

 ですが、ネイドの軍の力は強大で、瞬く間に兵士たちを打ち滅ぼしていきます。


「こんなものか。下らない連中だ」


 ネイドも彼らを見下して、次々と命を奪っていきます。

 アルガンセは大きなため息を吐きました。彼は心底呆れ果てていたのです。確かにネイドの軍は屈強な精鋭の集まりです。ですが、アルガンセの前には、塵も等しい存在でした。

 一振り。たった一振り剣を薙ぎ払うだけで、アルガンセはネイドの軍を壊滅させたのです。

 そして一人残されたネイドに、アルガンセは剣を向けました。


 あり得ない。ネイドはそう思ったはずです。自分はこの男と時を同じくして生まれた存在のはずだ。なのに、どうしてこれだけの差があるのか、と。

 絶望の淵、ネイドは周囲を見渡しました。仲間の亡骸が、辺り一面に転がっています。

 この時、彼の脳裏には仲間との日々が浮かんでいました。彼は共に過ごしていく内に、仲間に対して愛情が芽生えていたのです。

 ネイドは震えました。目の前の男をなんとしてでも殺さなければならないと。その思いは怒りと憎しみに変わっていき、アルガンセに対してドス黒い感情を露わにしたのです。

 直後、ネイドの体から大量の黒い霧のようなものが溢れ出しました。

 これには流石のアルガンセも驚き、ネイドから離れます。


 黒い霧は見る見るの内に膨れ上がり、澄み渡っていた青空を覆い尽くし、世界中に広がりました。

 他の賢者たちも、何事かと空を見上げます。まさにそれは、全てを覆い尽くす〝闇〟そのものでした。

 闇は雨のように地上へと降り注ぎ、人々を包み込みました。

 闇に触れた人々は、忽ち攻撃的になりました。隣にいる人間に対して怒りや憎しみを抱き、攻撃するようになったのです。

 そしてそれは、一部の賢者たちも例外ではありませんでした。


 夫婦として仲睦まじく日々を過ごしていたはずのデシルとグルトンは、お互いの欠点ばかりが気になり仲違いをしました。その結果、彼と共に暮らしていた国の民も争いを始めたのです。


 ルエグナと彼女が率いる民たちは、人間に対して強い恨みを抱きました。結果彼らの身体は変化し、後にエルフと呼ばれる種族に姿を変えたのです。


 ヴェルナーデは、自分の美しさ以外を愛すことが出来なくなりました。その結果彼女は自分の国の民を皆殺しにし、自分の次に美しいと感じた血を欲するようになったのです。


 ネイドの体から溢れた闇を間近で受けたアルガンセは、屈強な意志で自我を保っていましたが、彼と共にいた民たちは暴れ出してしまいました。これを止めるため、彼は民を殺そうと剣に手を添えたのです。


 闇の影響で世界が混沌とし始めた時、これを止めようと動く者たちがいました。イヴェルテーラとファルティア、そして彼らが率いる者たちです。彼らはこうなることを予期しており、闇から身を守るための加護を付与した衣服を作り出していたのです。

 彼らはまず、攻撃的になった人々を正気に戻すためそれぞれの国を訪れました。


 最初に訪れたのはアルガンセの国です。このおかげで、アルガンセは生き残った民たちを殺さずに済みました。


 次に向かったのはヴェルナーデのいる国です。ヴェルナーデは闇の影響で強い力を持っていたため、アルガンセが力を貸しました。このおかげで、ヴェルナーデは正気を取り戻しました。が、同時に死んでしまった民たちも、ヴェルナーデとほぼ同じ特性を得て生き返ってしまいました。


 ルエグナたちに対しては、残念ながら何も出来ませんでした。というのも、彼女たちは自我を失ったわけではなく、元から人間を嫌っていたのです。


 デシルとグルトンも、イヴェルテーラとファルティアたちのおかげで正気に戻りました。二人はこの時の仲違いを経て、より一層愛し合うようになります。


 こうしてめでたく、世界で最初に巻き起こった争いは終わりを迎えたのでした。



――世界のおはなし 第二章 巻き起こった最初の争い より







 ある程度本を読み進めると、セシルは眠い目を擦り始めていた。

 その様子を見てソラは頭を優しく撫でる。


「そろそろ寝る?」


 ソラの問いに、セシルは無言で首を振る。どうやらまだ寝たくないらしい。

 それを悟ると、ソラは本を閉じてベッドに寝転がる。


「ほら、じゃあ一緒に寝よう?」

「やだー。だって明日帰っちゃうんでしょ?」


 確かにセシルの言う通り、翌日には出発して一度帰るつもりでいる。故にセシルは出来るだけ、一緒にいたいという思いが強く出ている。

 どうしたものかと頭を悩ませた時、ふとソラはあることを思いついた。


「わかった。じゃあ、唄を歌ってあげる」

「唄……?」

「うん。ボクを育ててくれた人が、よく口ずさんでくれた唄」


 微笑むと、ソラは歌い始める。小さい頃よく聴いていた子守唄を。

 ソラの歌声はとても透き通ったものだった。優しい旋律は、まるで全てを包み込むかのように響き渡る。


(エイネ、言ってたっけ。この子守唄は、歌う人によって変わるものなんだって)


 歌声を聞き、セシルは虚とした目で何度も瞬きする。次第に重い目蓋を閉じて、ベッドに横になった。

 セシルが眠っても、ソラはしばらく唄を口ずさむ。眠るセシルの頭をあやす様に撫でながら。

 歌声は闇夜の空に昇っていく。天高く、昇っていく。そして瞬く星空の中に、静かに消えていった。



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