ある男がドゥエセに住んでいた。その男は家族を持っていた。一人の妻と、一人の娘が彼の家族だ。娘の名はトゥネリと言った。

 男の妻は病を持っていた。原因不明の、今の医療技術では治すことのできないと言われているものだ。その病を治すために研究を行っていたのだが、刻一刻と病は進行していった。

 このままでは妻の命は助からない。そう考えた男は、妻と娘を置いて、最も学問に優れているという国イザルトニードへと向かった。ここならば何か治療法のきっかけとなる何かが見つかるかもしれないと考えたためである。

 しかし空しくも、何か答えとなるようなものは見つからなかった。

 男は途方に暮れた。このままでは最愛の妻が死んでしまうという恐怖が、男の心を蝕んでいた。徐々に彼の中の余裕は無くなっていったのである。

 そして帰宅した男は、絶望した。帰宅したときにはもう、妻は息を引き取っていたのである。男は泣き叫んだ。なぜこうもこの世界は非情なのだと。

 心が壊れた男は、次第に世界への恨みが募っていった。なぜ命は消えていくのかと。なぜ永遠に生きていくことはできないのかと。なぜこんなにも妻を脆弱な体にしたのかと。なぜ、治すことのできない病を生み出したのかと。上げれば上げるほどきりが無いほどに。

 男は思った。ならば妻を生き返らせるしかないと。そのためにはどんなことをしてみせると、そう考えるようになったのだ。


 男は研究に没頭した。家の地下にそのための施設を作り、引きこもった。ありとあらゆる学術書に目を通し、知識を得て、彼は一つの結論を出した。人間ではない生物を生み出すしか無いと。

 男は手始めに別の国から密かに奴隷を買った。そして魔法を使い、他の生物と合成するということをやり始めた。確かに男の目論見通り、人間ではない生物を生み出すことには成功した。しかし環境に適さないのか、すぐに死んでしまった。

 失敗を繰り返すうちに、男はある行為に快感を覚えるようになっていた。値段の安い奴隷のほとんどが子供であった。そのため、子供の悲鳴をまるで奏でられる音楽を楽しむかのように酔いしれるようになった。男の頭の中から娘の存在が完全に抹消された。

 男の行動の趣旨は次第に変わっていった。子供の体の中身を眺めることが楽しくて仕方なくなっていた彼はついに、町に住む子供たちを標的にしたのである。





「ママがいなくなってから、パパはおかしくなった。まるで何かに取り憑かれたようになったの。食事も与えられずにいたから、隣に住んでいたお爺ちゃんとお婆ちゃんが面倒を見てくれるようになってた」


 トゥネリは涙ぐみながら話す。自分の父親がまさかこんな恐ろしいことをするだなんて、思ってもみなかったのだ。だが起こってしまった以上、なんとかしてほしい、父親を止めてほしい。そんな思いで、ソラに話している。


「しばらく会ってなくて、心配になったから様子を見に行ったの。そしたら、変な服装したパパが立ってて――」


 トゥネリはこの時なぜか信じて疑わなかった。同い年くらいの少年を。彼ならばなんとかしてくれるかもしれないと。


「パパ、どうしたのって聞いたら、最初誰だお前って言われた。でもしばらく会ってなかったから、そういうこともあるのかなって。それで、わたしはパパの子供だよって言ったの」

「そしたら?」

「パパ、言ったの。ああ、そうだったごめんねって。これから子供たちに笛の演奏をしてあげようと思うんだ。沢山の子たちに聴いてほしいから、町の子たちを呼んで集めてほしいって。それでわたし、嬉しくて……! みんなを集めて……!」


 トゥネリが話している間、ソラは先ほどと同じようにして周囲には聞こえないように音を遮断していた。この話を聞いていれば、中には彼女を責め立てるものもいるかもしれないと考えたからだ。


「本当はわたし知ってた! パパがこんなことをしてるって、本当は知ってたの! だけど怖くて、怖くて怖くて忘れたの! 忘れて、何も知らないって! でもここにきて、全部思い出した!」


 トゥネリは訴える。自分の罪を。これは自分がしたのも同然なのだと、そう訴えるようにソラの顔を見る。


「お願いソラ。こんなことあなたに言うのはおかしいってわかってる。わかってるんだけど……でもお願い、パパを……パパを止めて……!」


 トゥネリの懇願に、ソラは頷く。

 だが内心、ソラは思っていた。果たして自分にそんなことができるのだろうかと。確かに魔法の知識は多少なりともある。冷静さもある。では力は? そう問われると、強く頷くことができない。

 故に迷いはある。それでも成さねばならない。そうしなければ、また新たな犠牲が生まれるだけだ。先ほど動くことができなかったことへの後悔もある。

 ソラは決意し、どう動くかを考える。

 なにをしているのか、男はまだこちらに来る様子はない。続けざまに子供を出すつもりはないようだ。ならば僅かでも猶予はあるはずだ。


(真っ正面から行っても、相手にならないよね)


 子供と大人の力の差は歴然としている。それはソラでも例外ではない。


(魔法を使って、なにか少しでも隙を作ることができれば)


 しかし、子供たち全員で逃げるだけの隙を作るとなれば、それだけ強大な魔法を使わなければならない。

 ソラは考える。今自分ができる魔法の中から、打開策となるなにかは無いだろうかと。


(そうだ。光。光で目くらましをすれば!)


 今いる場所は薄暗い。であれば、それ相応の効果はあるはずだ。そしてその隙にみんなで逃げ出せば、あとは出口に向かって走るだけである。


(でも、もし失敗したら……)


 確実な手段はない。わかっていても、ソラは模索するしかなかった。少しでも成功率の高い方法を取らなければ、最悪全員一斉に殺されてしまう可能性があるからだ。


(そういえば、どうしてここには見張りがいないんだろう?)


 この部屋の前に誰一人として見張りがいない。男は人を操る魔法を使えるはずだ。であれば、誰かを操り、その人間に見張りをさせるなどというのは容易いはずだ。子供だから必要ないと考えているのだろうか。或いは――。


(もしかして、まだみんなの中に魔法の力が残っている?)


 その可能性は大いにあった。今は魔法を解いているだけで、何かの拍子に発現させてまたすぐに操る手段がある。そう考えれば、見張りの必要もなければ、子供たちが自分に反抗し逃げ出すという行為に心配する必要も無い。

 それでも鍵を掛けるというのは、男なりに念のためを考えたのだろう。


(もしそうだとしたら、鍵は? 音……?)


 ソラは頭を悩ませた。時間はもう無い。すぐに方法を考えなければ。その焦りがソラの顔に出ていた。

 そんな時だった。


「ソラ……なにか手伝えることがあったら、言って?」


 そう、トゥネリが言ってソラの手に触れた。

 思わずソラは彼女の顔を見る。まだ涙を流しているが、それでも何かしたいという意思が瞳には宿っていた。


「わたし、ソラみたいに魔法も使えないし、なにもできないかもしれない。でも、なにかしたいの。みんなを怖い目に遭わせちゃった原因は、わたしにもあるから」


 トゥネリが微笑む。明らかに無理をしている笑顔だ。ソラはその中に、他にはない強さが見えたような気がした。

 そこでソラはひとつ、考えを思いついた。


(そうだ、ボクが囮になってみんなを出す隙を作れば)


 トゥネリに協力してもらい、自分があの男とともに別室へ行っている間に他のみんなを逃がす。幸い、解錠の魔法をベル婦人に教わっている。見たところ鍵の構造は単純であるため、そう難しくはないはずだ。


(それに、ボクひとりならあれも使えるはず)


 あとは、あの男をどうにかして口車に乗せるだけである。あの男は言っていた。お前は最後にする、と。だがなにか大きなアクションを起こせば、その考えを覆してきっと標的にするはずだ。そうソラは考えた。


「トゥネリ、お願いがあるんだけど……いいかな?」

「うん、なんでも言って」


 意を決し、ソラは自分の立てた計画をトゥネリに話し始めた。


「そんな! そんなの危ないよ!」


 内容を聞いて、トゥネリは血相を変えて叫ぶ。その叫び声に、他の子供たちが何事かと静まり返って二人を見た。


「でもこれが一番みんなを助けられる方法なんだ」

「けどもし失敗したら、ソラが!」

「大丈夫。もし失敗しても、みんなは助かるはずだから」

「それじゃ意味ないよ!」


 トゥネリはソラの計画に反対だった。もし失敗すれば、ソラの命も危ない。そんなことをまったく望まない彼女としては、当然の反応である。


「だって……だってわたし、最初に会ったとき思ったんだよ? この子と友だちになってみたいなって……なのにこれじゃ……」

「トゥネリ……」


 ソラはそっと、トゥネリの髪を撫でる。


「お願い。ボクじゃこれしか方法が思いつかなかったから。それに脱出して誰かが助けを呼んでくれたら、ボクも助かるかもしれないでしょ?」


 ソラは笑う。もちろん、恐怖を和らげるために無理をしているのがわかる。

 これ以上トゥネリの言葉を聞くまでもなく、ソラは立ち上がり、他の子供たちを見渡した。


「みんな聞いて。次あの男の人が来たら、ボクがなんとかしてみんなをここから出してあげる」

「そんなことできるの……?」

「うん。少なくとも、みんなは出してあげられると思う」


 子供たちが喜びが湧き上がる。

 ソラは計画の概要を他の子供たちにも話す。

 その間トゥネリは、その背中を見ていた。近くにいるはずなのに、遠いどこかにいるような背中を。


「本当にうまくいくの?」

「うん、大丈夫。ボクを信じて」


 直後、通路の方から足音が聞こえてきた。どうやら男がようやくこちらに来るつもりになったらしい。


「なんだか騒がしいなぁ。まあいい」


 そのことを確認し、ソラは目配せでみんなに合図を送った。子供たちが全員、部屋の奥へと移動していく。

 トゥネリの方にも目をやった。まだ動揺を隠せない様子だが、もう実行に移すつもりなのだと観念し、トゥネリも渋々移動する。


「さあて、次はどのガキにするかなぁ?」


 顔を血だらけにした男が、部屋の前にやってきた。

 その血を見て、ソラはすぐに理解する。想像通りのことが行われたのだと。恐怖で逃げ出したくなる体を必死に抑えて、ソラは男を睨むようにして見つめた。


「あん? なんのつもりだ?」


 ソラはみんなを庇うようにして、最前に立っていた。

 男は訝しげな表情でその光景を見る。


「次は、ボクが行く」

「ああ? お前は最後だって言ったよな?」


 やはりこの男は自分が決めたことを変えないつもりらしい。ならばと、ソラは男に話しを持ちかけた。


「ね、ねえ? どうしてボクがあなたの魔法に掛からなかったのか不思議じゃない?」

「あん? たまたまだろ、たまたま」


 上機嫌な男は、どうやら原因について興味がないようだ。

 しかしそれでは困ると、ソラは続けて言葉を紡いで話す。


「ボク、人を操る魔法に関して少しだけ知ってることがあるんだ」

「なんだと?」


 ソラの言葉に、男の顔色が変わる。このまま押し切れば、考えを改めるはずだ。ソラは震える唇で、続けた。


「音を使った場合、その音が聞こえていなかったら対象に掛けられないってあった。でもボクはあなたの笛の音をしっかり聞いてたんだ」


 ソラが話している間、子供たちはその背中を見守っていた。そして感じていた。この目の前にいるのは一体、なんなのだろうかと。このような状況でなぜ一人だけあんなにも臆せずにいられるのだろうかと。

 得体の知れない何かと出くわしたような、そんな感覚に。


「じゃあ他に何が考えられると思う?」

「お前、なにが言いたい?」


 ソラはくすりと笑って、言い放った。


「もしかしたらボク、あなたより魔力があるのかもしれない」


 瞬間、男の目の色が変わった。あり得ないと、そう訴えていた。

 ソラが見た本に、こんな記述があった。〝何を使うにしても、人を操る場合ある点に注意しなければならない。それは、術者が対象よりも魔力を持ち合わせていなければならない、ということだ〟と。

 つまりこの記述が正しいとした場合、ソラは先天的にこの男よりも強い魔力を持っている、ということになるのである。

 当然、男にもその知識があった。同時に、それはあり得ないということも。子供が持つ魔力はあっても微々たるもの。大人を超えるだけのものを持つなど稀少中の稀少、世界中を探しても一人いるかいないかの事例だ。

 そんな事例が今目の前にいるなど、信じがたいことだ。男はただ言葉を失った。


「どう? ボクを連れて行く気になった?」


 これで駄目ならば、もう強行手段に出るしか無い。ソラは額に冷や汗を掻きながら、男の動向を待った。


「くっ、くくく……ふっははははははははは!」


 突然、男が大きな笑い声を上げた。

 ソラは思わず何事かと目を見開く。


「いいだろう、面白い。もしそれが本当なら、解剖しがいがありそうだ」

「そ、そうだよね? じゃあ――」

「俺はメインディッシュを最後に取っておく主義でなぁ?」


 その一言でソラは瞬時に察した。この男はなにがなんでも最後に自分を殺す気なのだと。


(くっ……!)


 これで計画のひとつが潰された。ソラはもう次の強行手段に移るしかなかった。


「さあて、他のガキを――」


 男が錠を開けた瞬間、ソラは叫んだ。


「みんな! 目を瞑って!」


 ソラの叫びに応え、子供たちは一斉に目を閉じる。

 そのことに一瞬呆気に取られた男だったが、なにをしようとしているか理解した。


「てめえ、まさか!?」

 直後、目も開けていられないほどの眩く強い光がソラの手から放たれた。


「ぐぎゃあああああああ!!」


 ガードする間もなく光をもろに浴びた男は、目を抑えて地面に伏す。完全に目を潰されていた。これでしばらくは目を使うことができないだろう。


「みんな、早く出て!」


 その隙にソラは扉を開けて、子供たちに出るように促す。


「くそが、くそがああああ!!」


 男は悲鳴をあげる。男の耳に、遠のいていく足音が響く。


「止まりやがれ、ガキども!」


 男は叫んだ。しかし、足音が止まる気配はない。


「悪いけど、あなたの声はみんなには聞こえないよ」


 近くであの子供の声がした。蒼穹のように済んだ青い髪をした、子供の声が。


「てめえ、このくそガキ! なにをしやがった!!」


 男は立ち上がり、気配で子供の位置を探る。そして目を閉じたまま睨んだ。


「別になにもしてないよ。ただボクとあなたの声が周りに聞こえないようにしただけ」


 ソラの推測は正しかった。

 男の声。それが一度魔法に掛かった者をもう一度操るための鍵だった。

 ソラはまだ魔法を完全に使いこなせるわけではない。音を消す魔法も、自分とその他一人しか対象にできないのだ。

 今回はそれだけで十分だった。ソラはまだ男の魔法に一度も掛かっていない。ならば男の声を聞いたとしても、操られる心配はない。


 ソラの計画はこうだった。

 男が挑発に乗り、部屋から連れ出し別室に移動した場合、移動際に鍵を解錠。トゥネリが隙を伺い、みんなを誘導して外に出る。その間に発生する音は今とは逆に外の音を遮断する。

 男が挑発に乗らず他の子供を連れ出そうとした場合は先に行ったこと、男が油断しているのは明白。そこを突いて逃げ出す隙を作ればいい。あとは全員が逃げ切るまでの時間を稼ぐ。

 どちらに転んでも、自分以外は助かる算段だ。


「ガキのくせに、二度も俺の邪魔をしやがって……くそが!」


 男が両目に手をかざす。


「癒やしの精霊よ、星の息吹よ。汝、我が目を癒やしたまえ……」


 詠唱の直後、淡い光が男の目を包んだ。


(この人、回復魔法を!?)


 まずいと、ソラの顔に焦りが現れた。目が使えない状況ならばこちらに利がある。だが目が見える状態では体格差で負けてしまう。

 ソラはすぐさま構えた。もう一度、目を開いた瞬間に光を放つ。そうすればまた目が使えなくなるはずだ。


「お前はこう思っているよな? 目をまた開けた時に同じ事をすればいいって」


 男が笑う。そして腰のポーチに入れていた笛を取り出した。


「なにするつもり? 笛の音はボク以外に聞こえないし、ボクは催眠魔法に掛からないよ?」


 ソラは不安を拭うため、男を挑発する。一体なにを企んでいるのか、探るためにも。

 男は目を閉じたまま笛を口につけると、言った。


「知ってるか? 音ってのはな、空気を振動して鳴ってるんだ」

「知ってるよ。ボクの魔法も、そこに干渉する魔法……だから……」


 ソラの脳裏に男の目的が浮かびそうになる。だがまだ答えには行き着かない。


「お前の勇気に免じて教えてやるよ。この笛はな、魔装具のひとつだ」

「魔装具?」


 その言葉に聞き覚えがあった。ソラは自分の頭の中から該当するものを探す。

 答えを探すソラの代わりに、男は笑って言った。


「魔装具ってのはな、いわゆる魔法をさらに強大にする力がある物のことを指す言葉だ」


 ソラは思い出す。

 魔装具。特殊な加工をすることで、物に魔法を強める力を付与した禁忌の代物。それにより放たれた魔法は並大抵の威力ではないという。そしてその特殊な加工というのが――。


(まさか、この人が子供の体を求めてたのって!?)


 人の血肉、特に心臓部――魔力を生み出す機関を大量に集め、それを材料とすることだった。


「確かにお前の考えた通り、お前は俺以上の魔力を持っているだろうよ。なんせこの笛を介して放たれた魔法に掛からなかったんだからな。だがなぁ……経験が足りなかったなぁ?」


 男が笛を吹く。途端、地面を砕くほどの暴風が吹き荒れた。


「ぐぁ……がっ……!?」


 ソラの体はいとも容易く吹き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられる。地面の破片が体の節々を裂く。咄嗟に魔力を身に纏い衝撃を和らげた。だが完全に押し殺すまでには至らず、口から血が飛び出した。


「ごほっ、ごほっ……!」


 そのまま壁伝いにずり落ちる。体に力が入らない。意識も朦朧としている。呼吸するたびに、苦しそうに血を吐き出している。

 ソラは男の方を見た。笑っている。


(ダメだ……このままじゃ、またみんなが……!)


 なんとか身を起こそうとする。だが痛みに力が入らず、立ち上がることができない。

 ぴちゃりと、水が落ちる音がした。

 ソラは音に釣られ、横を見る。ソラたちがいた部屋から最奥の部屋だ。


(なにか、いる……?)


 かすむ視界の中になにかを捉えた。だがなにかまでははっきりと認識することができない。


「残念だったなあ。お前の負けだ。まあガキにしちゃあよくやったんじゃねぇか? 褒めてんだ、喜べよ」


 再び男の方に目をやる。男は笛に口を当てていた。このままでは、再び子供たちが操られ、振り出しに戻る。いや、今回の失敗で男は警戒心を強め、もう二度と抜け出すことができなくなってしまう。

 ソラは必死に身を起こそうと力を振り絞った。痛みが全身に走る。それでも、立ち上がらなければならないと身を捩らせた。


 一方少し前、トゥネリと子供たちは地下室を抜けていた。

 抜けた先は一階のリビング兼ダイニングルーム。そこから出口はすぐそこだった。

 トゥネリは急いで玄関の施錠を外し、扉を開ける。開いた途端、ほかの子供たちがなだれ込むようにして外に駆けだした。


(よかった。あとはソラが……)


 直後、地響きが足下から響いてきた。


「――っ!? ソラ?」


 外に出ようとしたトゥネリが足を止めて振り向く。

 今の音、ソラになにかあったのではないか。そんな考えがトゥネリの脳裏を過る。


「ど、どうしよう。ソラが……!」


 引き返そうと、足を伸ばしたときだった。


「今……のは?」


 一迅の風が――彼女の横を走り抜けた。


「残念だったなぁ。お前の負けだ。まあガキにしちゃよくやったんじゃねえか? 褒めてんだ、喜べよ」


 男は高らかに笑う。勝利を確信し、もうこれ以上の邪魔は入らないと。

 笛を口に当てて、子供たちを戻すために吹こうとする――が、男は吹くことが出来なかった。


「ぐぼぁあッ!?」


 何者かに顔面を殴られ、開いた牢屋の中に飛ばされてしまったのだ。

 もしこの時、男が通路が交差する場所に立っていなければ、多少は結果が違っていたかもしれない。

 そう、男は失念していた。


 男を最も邪魔していた存在を――。


 蒼穹の髪を持つ少年を最も愛する存在を――。


「悪いけど、私の大切な人を返してもらうわよ」


 エイネ=ヴェゲグ=ヌングという使い魔の少女を――。


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