4



 ドゥエセは小さな町だ。それでもニギロの倍の面積があり、王都ブリアンテスと物資の交流が盛んであるため、この町だけでもそれなりの物を集めることが出来る。

 ドゥエセに着いたエイネとソラは、この町にある市場へと足を運んでいた。必要な物がすべてここに集められているため、この場所は毎日人で賑わっている。

 今日もその例に漏れず、人々の活気で賑わっていた。至る所で店の者が人に掛ける声であったり、人が買い物をする声が響き渡っている。


「ソラ、はぐれないようにしてよ? 王都ほどじゃないとはいえ、見失ったら探すの大変なんだから」

「うん、大丈夫。それにしてもすごい人だね」

「そっか、ここに来るの初めてだっけ。いつも私ひとりで来ているから」


 初めて見る景色に、ソラは目を輝かせて周囲を見渡していた。これだけの人が行き交う場所に来たことのなかった彼は、ついつい景色に心と目を奪われているのだ。

 人だけで無く、これだけの物が並んでいるのも見たことが無い。彼の顔は忙しなく動いている。

 それが少し危なっかしく見えて、エイネは一層強くソラの手を握った。絶対にはぐれないようにするために。

 二人が最初に向かったのは、肉を専門に取り扱っている店だ。この店で売られている肉は、ヘルディロ唯一の肉の生産地から首都を通じて入ってきた物。そのためこの肉を買うだけでもそれなりの値段がする。


「んー、一番安いものは――」


 エイネは並んでいる物を眺める。この中でも一番安いものを選ばなければ、残った資金がすぐに底を突いてしまうからだ。日々節約、といったところだろう。


「すいません、これください」


 そう言って選んだのは、牛肉の塊だった。値段はほかのものより高くも見えるが、量的に考えてなかなかに手頃な値段をしている。

 エイネは選んだと同時にひとつの袋を渡した。


「はいよ。580ヘルツェね」


 エイネいわれた金額を渡し、店主は袋の中に入れて彼女に肉を渡した。

 先ほどエイネが渡したこの袋は、肉や魚といった鮮度が大事な物を保存するために作られた魔法道具のひとつである。この中にいれているだけで鮮度が一、二週間は保たれるという優れものだ。

 袋の縛り口付近に魔石の粉が入っており、これにより長期間の保存が可能になるのである。

 同様にして二人は野菜、果物、魚の順で市場の中を見て回った。そのときソラの目が常にキラキラと輝いていたのはいうまでもない。なんせ初めての買い物なのだから。


「うん。これで大体揃ったかな。あとは――ん?」


 買い物が終わりに近づいた時である。なにやら市場のなかを子供たちが駆けていくのが見えた。


「なんかあっちで笛の演奏会やるんだって! 行ってみようぜ!」


 そんな声も聞こえ、子供たちが走って行った方向を見るエイネ。だが市場を出たところらしく、詳しい場所は見えなかった。

 ふと、ソラが子供たちの行った方向を呆然と見ていることに気がついた。


「もしかして行きたい?」


 問われ、ソラは顔を上げた。その瞳には期待が込められている。

 エイネはもう一度子供が向かった先を見る。やはりどこでやるのかは定かではないが、子供たちが集まり、外で笛の演奏もしているとなれば見つけるのは容易なことだろう。

 微笑むとエイネは握った手を離した。


「仕方ないなぁ。いってきていいよ」

「いいの? ありがとう!」


 満面に笑顔を浮かべて感謝すると、ソラはすぐさま駆けだしていった。


「買い物終わったら迎えに行くから、そこで大人しくしてるのよー!」

「はあーい!」


 手を振って走り去っていくソラを見送ると、エイネは買い物を再開する。


「大丈夫……だよね?」


 だがこの時、エイネは一抹の不安を拭いきれずにいたのだった。


 エイネから離れたソラは子供たちに混じって、笛の演奏が始まるのを待った。場所はこういった演奏のために用意された小屋らしきところだ。座るための席が用意されており、席の前方には演奏者が立つための壇が設けられている。至ってシンプルな設備だが、小さな演奏会をするにはもってこいの場所と言えるだろう。

 不意にソラは周囲を見渡す。ほかの同い年くらいの子供を見たのもまたはじめてだからである。それがなんだか嬉しくてソラは笑った。


(今日ははじめてが一杯の日になりそう)


 待っている間に誰かと話しがしたい。そんな衝動に駆られて、ソラは隣にいた栗色の髪をした少女に話しかけた。


「ねえ君。笛の演奏ってよくやってるの?」


 問われた少女は首を横に振った。


「ううん。普段は笛なんて吹かない人なんだけど……」


 少女の返答に少し首を傾げるソラ。そんな彼を少女は物珍しそうにまじまじと見ている。


「ねぇ、あなたこの町で見たことないけど……」

「え? あ、うん。ボクは森の向こうにあるニギロっていう村から来たんだ」

「ニギロ? 聞いたことない名前……」


 どうやら少女はソラに少し興味を引かれている様子でいる。


「きれいな髪……」


 特に釘付けになっているのがソラの髪の毛だ。あの天に広がる蒼穹のような空色の髪は、少女に今までにない美しさを感じさせている。


「ねえ、君名前は? ボクはソラ」

「わたしは……トゥネリ……」

「そっか、トゥネリ。いい名前だね」


 そしてなにより、ソラの笑顔は人を魅了するのに十分なものだ。トゥネリはしばし、ソラに見惚れていた。


「えへへ、なんか楽しみ」


 一方のソラは、今から始まろうとしている笛の演奏に心をときめかせている。なんとなく、本で読んだ笛の記述を思い出したりもしていた。

 待っていると、一人の男が子供たちの前に立った。その片手には笛が握られている。どうやらこの男が演奏者のようだ。

 男の風貌は一際変わっていた。どこの国の物かはわからない不思議な形をした帽子を被っている。口元は布で覆い、全身をマントのような物を羽織って隠し、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。


「やあ子供たち。これからお兄さんの素敵な演奏会のはじまりだよ」


 見た目とは裏腹に、笑う男の口から出たのは優しげな声だった。


「これより始まりますこの演奏会。君たちのために組んだ特別な曲たちを披露させていただきます。みんな、楽しんでいってね」


 男は覆っていた口を出すと、笛を当てた。


「さあ、まずは楽しいこの一曲だ」


 笛の音が響き始める。流れるメロディはとても賑やかしく弾んでおり、人を楽しくさせることを目的とした一曲のようだ。現に子供たちはこの曲に合わせて体を揺らしたり、隣にいる子供と肩を組んで楽しんでいる。

 トゥネリもまた、聴いたことのない曲に心を弾ませていた。が、すぐにあることに気づいた。隣にいるソラが首を傾げている。


「どうしたの? ソラ」

「え? あ、うん。確かに明るい曲だけど、なんか好きになれないというか」


 ソラ自身もなぜこのような感覚に陥っているのかわからなかった。現にほかの子供たちが楽しんでいるのだから、この曲は楽しいものなのは理解しているのだが。


「そうかな。わたしは楽しいけど」


 トゥネリもこのように言っている。


(ボクの感覚がズレてるのかなぁ)


 ソラは苦笑した。

 曲が終わり、子供たちは一斉に拍手した。それだけ彼らがこの曲に聴き惚れていたということだ。

 ソラも演奏に敬意を込めて拍手する。自分好みとは言えなかったものの、演奏自体は確かに素晴らしいと感じたからだ。

 男もそれに満足し、笑っている。


「みんなありがとう。それじゃあ次の曲を聴いてもらおうか」


 男は再び笛を当てて、音を鳴らした。

 次に流れた曲は、少し切なげな曲だった。笛の音色とメロディが綺麗なハーモニーを生み出している。

 ソラはこの曲にも違和感があった。綺麗な音色は思わず聴き惚れてしまいそうなほどのものだが、やはりどうも好きになれない。

 曲が悪いと感じているわけでも、笛の音が悪いわけと思っているわけでもないのにである。


「ねえトゥネリ?」


 隣の少女に話しかける。しかし彼女もこの曲に聴き入っているのか返事がない。

 ソラは思わず周囲を見る。みな目を閉じて、聴き入っている。それがソラにはなにか異様な光景のように思えた。

 不安が募り始める。だがこれはただの笛の演奏だ。考えすぎなのだろうと、ひとまず終わるのを待ってみることにした。


 曲が終わると子供たちは目を開け、口を揃えて「いい曲だったねー」と言い笑っている。


(やっぱり思い違いかな?)


 ソラは苦笑して、話しかけようとトゥネリの方を見た。直後、ソラの目が大きく見開かれた。


「トゥネリ?」


 トゥネリの様子がおかしかった。彼女の目から生気を感じないのだ。

 ハッとして、周りを見渡してみる。ほかの子供たちも同様で、目に生気がなくまるで魂を抜かれたかのような状態になっているのだ。


「どうやら喜んでくれたようだね」


 声に、思わずソラは男の方を見た。


「それじゃあ最後にとっておきの一曲を聴いてもらおうか」


 男は笑っていた。これまでの優しげな笑顔とは打って変わり、服装以上に怪しげな顔で。

 ソラはもしやと、ある本を思い出した。それは音楽と魔法に関することが書かれた本だ。その中にある記述が書かれていた。

 音とは、人間の頭と密接に関係している。音が聞こえれば、その音を頭の中にある脳が認識し、処理する。この時もし音に魔力を込めると、人間の脳は魔力に感化され、場合によっては人間を操ることができるのだという。これを行うのに最も適したのが音楽なのだと。


(もしかしてあの笛の音は!?)


 違和感の正体に至った瞬間だった。

 奇怪な音色が、小屋の中だけでなく外にまで響き渡っていた。今までの曲とは明らかに違う、強い魔力の込められた音だとはっきり感じ取ることができる。


(そっか、だからなにかがおかしいって思ったんだ)


 ソラはそれなりに魔法に精通している。知識もあれば、魔力の感じ方も自分なりに覚えてきたのだ。だからほかの子供たちとは違い、男の鳴らす笛の音色に違和感を感じていたのである。


(なんとかして止めないと!)


 考えるよりも先に、ソラは行動に出ていた。


「やめて! みんなをどうする気なの!?」


 ソラの叫びに、男が演奏の手を止めた。


「君、どうかしたのかい?」


 男が首を傾げる。男の顔が笑っていない。


「お兄さんの曲、ボク嫌い。みんなを操って、どうするつもりなの?」


 ソラは震える声で言う。


「お兄さんが鳴らす笛の音から、魔力を感じたんだ。本で読んだことあるの。これ、人を操る魔法……だよね?」


 すると男は舌打ちをして、ソラを睨み付けた。


「おいガキ。てめぇ、なんで俺の魔法が効かねぇ」


 鋭い目に、ソラは一瞬で呑まれそうになる。無理もない。彼はまだ子供なのだ。それでも勇気を出して、男の方をにらみ返した。

 男が壇上から下りる。そしてソラの方へと近づいてきた。

 ゴクリと生唾を飲み込むソラ。心臓が恐怖で張り裂けんばかりに動いている。手足が震え、歯もガチガチと音を立てている。それでもソラはここにいる子供たちのために、男を見るのをやめなかった。


「俺の魔法は完璧なはずだ。実際これまでこの魔法に掛からなかったやつはいねぇ。お前、一体なんだ?」

「お兄さんは、何を目的にこんなことを――」


 何をしているのか。そう問おうとした時、男がソラの腹に蹴りを入れた。


「ぐっ……ぇ……!?」


 痛みに立っていられず、その場に座り込んで嘔吐くソラ。


「質問してるのは俺だぞガキが」


 男は気にも留めず、ソラの髪の毛を掴み持ち上げた。


「あぐっ……痛っ……離して……っ!」

「ああ? 大人には敬語を使えって教わらなかったのかぁ?」


 男は笑うと、腹部を何度も殴打し始めた。

 その度にソラは短い悲鳴を上げ、咳き込む。目からは涙を流し、それでもほかの子供たちのためにどうするべきかを考える。


「なんで俺の魔法が効かねぇかわからねぇが、このまま大人しく気絶してもらうぞ」


 ソラは痛みに耐えながら、この状況の打開策を模索する。だが今取れる行動は一つしかなかった。


「たす……けて……」

「あ?」


 掠れた声で、精一杯声を張り上げる。


「たす……がっ……!?」


 何をしようとしているか理解した男は、より激しくソラを殴った。腹だけで無く、顔面にも拳を入れる。このままでは声を出すことさえままならない。


(ごめん、エイネ。ボク……)


 ソラはすでに限界に来ていた。もう意識を保っていることさえできなかった。


「エイ……ネ……」


 最後に振り絞った言葉も空しく、ソラは意識を手放した。


「ガキのくせにしぶといやつだ」


 男は吐き捨てるとソラの体を地面に落とす。

 この騒動の中でも、子供たちは動揺する素振りさえ無かった。男の術に掛かり、意識を完全に支配されているのだろう。


「おいガキども、そいつを運んで俺についてこい」


 男の命令のままに動く子供たち。まるで操られた人形のように彼らの動きはぎこちなく、またそこに彼らの意思は存在しない。男の魔法は完璧であった。

 男はその動きに満足して、場所を移すため立ち去ろうとする。

 その時だった。

 突然轟音とともに、小屋の扉が破壊された。


「なんだ……?」


 男が何事かと小屋の入り口に目をやる。


「お前……私の大事な子をどこに連れて行くつもりだ……」


 視線の先には、怒りの形相で立つエイネの姿があった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る