ピクニックのための支度を早々に済ませると、エイネとソラはベル婦人の住む家に足を運んでいた。彼女の家は村の中央にあり、その外見はまるで貴族の住む屋敷のように大きい。というのもここは村の住人が何か大事な会議をする際にも使われているからなのだが、それにしたって一人で住むには少し大きすぎるようにも思える。

 屋敷の前に佇む門を開き、庭の中に入っていく。庭では多くの花が植えられており、とても華やかである。


「そう言えばソラが見つけた花畑ってこんな感じなの?」


 婦人の持つ花畑を眺めながら、エイネはぽつりと聞いた。


「ううん。もっとすごいの! 野原一面にいろんな色の花が沢山あってね! もうすっごく綺麗なの!」


 満面に花を咲かせたような輝いた瞳でソラは手を大きく広げてその凄さを表現する。

 ここにある景色だけでも十分綺麗で凄いのだが、それを越えるとなると一体どんな光景なのだろうか。エイネはこれから向かう場所に少し胸を躍らせた。


「ごめんくださーい!」


 エイネは屋敷の大きな扉を少し開け、空いた隙間から顔を覗かせると大声で呼んだ。


「あれ?」


 いつもならすぐに返事があるのだが、今回は珍しく声が聞こえて来ない。まだ戻ってきていないのだろうか。

 エイネはもう一度大きな声で「ごめんくださーい!」と叫んだ。


「はいはーい!」


 次は返事が聞こえてきた。

 安心すると、エイネは扉を開いて屋敷の中に入った。ソラもあとに続き、屋敷内に入っていく。

 屋敷内は豪華な壺や綺麗な絵画が飾られていた。その雰囲気は素晴らしいが、貧しい村の中にあるにはあまりに相応しくないもので、浮いている。

 だがそれに反し、ここは村の住人が少しの休憩の場としてよく訪れていた。皆、ベル婦人の人柄に心底惚れていた。客人が毎日のように訪れているのもそのためだ。エイネもソラも、そのうちの一人であった。


「ごめんなさいね、帰ったら村長さんが来ていて」


 苦笑しながら、玄関から入ってすぐのところにある階段から婦人が下りてきた。

 その後ろにはニギロ村の長であるヘンリー=ニギル=ベケッツがいる。丸くなった背中と、白く長いひげが特徴的な老人で、村人からは厚い信頼を得ている。

 彼の名前にあるニギルは、代々ニギロ村の村長を引き継いでる証でもある。

 そんな彼はエイネの姿を見るなり笑って挨拶した。


「おやエイネちゃん。おはよう」

「おはようございます、ヘンリーさん」


 軽く会釈すると、エイネも笑う。


「さて、わしは話すことも話したから、お暇するかの」


 一体何を話していたのか。エイネは少し興味があったが、どうせ二人の談笑だろうということで何も聞かなかいことにした。


「そうじゃエイネちゃん。道中気を付けるのじゃぞ? まあ森の中はソラちゃんの友達だらけじゃから問題はないと思うが」

「はい、ありがとうございます」


 エイネはもう一度帰っていく村長に会釈すると、婦人の方に向き直った。


「そうそう、リンゴのジュースね。待ってて、今持ってくるから」


 慌てたように言うと婦人はキッチンへと駆けて行った。

 残された二人はそれとなく顔を見合わせる。特に理由はなく、お互いたまたま顔を伺っただけだった。


「どうかした?」

「えっ? ううん、なんでもないよ」


 少し頬を赤くしてソラが顔を反らす。その際エイネの手を取り、そっと握った。

 エイネもそれに微笑むと、握り返した。


「お待たせ―! あら? あらあらあら?」


 帰ってきた婦人が突然、目を丸くした。

 一体どうしたと言うのだろうか。エイネは首を傾げる。


「あの、どうかしましたか?」


 いつまでも凝視しているのに耐えかねて、エイネは聞いてみた。すると婦人は満面の笑顔で、くすくすと笑い始めた。エイネはますます以て、わけがわからなくなる。


「んー? そうしてるとなんだか恋人同士みたいねって」

「はい?」


 恋人? 親子ではなく? そんなことを思ったエイネは目を丸くしてソラの方を見る。


(ソラが私の恋人? いやいや、でもこの子に対してそんな気は……)


 とは考えてみたものの、実際の親子ではないことを鑑みれば恋人の方が正しいのだろうか。そう意識した途端、エイネは少し恥ずかしくなった。


「いやいや、私たちはそういう関係じゃ」


 というか、何故今そんなことを言うのだろうか。手を繋ぐなど今に始まったことではないだろうに。エイネは疑問に思いながらそう返す。


「あらそう? でもソラくんはどう思ってるのかしらね」


 言われてエイネはソラの方を見る。すると俯くソラの顔が、耳まで真っ赤になっているのに気がついた。


(ええと? これはどういう反応かしら?)


「もしかしてベルさん、私が寝ている間にソラに変なこと言いました?」

「さあ? どうかしらねぇ?」


 図星だ。瞬時に理解すると、エイネは少し頭を抱えたくなった。一体ソラは何を言われたというのだろうか、甚だ疑問である。


「エイネはその……ボクのすごく大切な人、だよ?」


 意表を突く言葉に、エイネは赤面してソラを見つめた。当人はまだ顔を赤くしたまま俯いている。繋いだ手の力が、少し強まった。


(やだ、ちょっとその仕草すごく可愛いんだけど!)


 エイネは思わず抱きしめたい衝動に駆られてしまう。今は婦人の目もあるためしないが、もしこの場が二人だけの空間だったならば、迷わず行動に出ていたことだろう。それだけの衝撃が、ソラのひとつひとつの動作にあった。


「あら、良かったわねぇ? エイネちゃん」

「か、からかわないで下さい」

「からかってないわよ? 実際見た所嬉しそうだし。っと、そろそろ出ないと、日が暮れちゃうわ」


 話をはぐらかされムッとするエイネであったが、指摘自体は何も間違っていない。嬉しそうという点も、そろそろ出なければという点も、どちらも的を射ている。


「はいこれ。仲良く口移ししてねぇ?」

「ベルさん、やっぱり酔ってます?」

「ええ、酔ってます。二人の可愛さに酔っぱらってますぅ」

「ああ、もういいです。行こう? ソラ」


 エイネは呆れ返り、飲み物の入った瓶を受け取ってソラの手を引いた。その背中を婦人は手を振って見送る。その表情は満開の花そのものだ。


「またね、ソラちゃん。ちゃんとエイネちゃんのことエスコートするのよ?」

「気にしなくていいからね、ソラ」

「ううん、エスコート……する」

「えっ? あ、うん、そう?」


 なんだろう、少し居心地の悪い雰囲気になった。そう心底から嘆くエイネであった。

 婦人の視界から二人が次第に遠ざかっていく。その背中は本当の親子のようで、婦人は微笑ましく感じている。

 その時彼女の脳裏に浮かんだのは、ソラが生まれる前に見た光景だった。ソラの実の母親と、まだ一緒に過ごして間もないエイネが、偽りのない母と娘のように暮らしていたのを。エイネとソラの背中は、まさにそれと重なった。


「あれからもう、六年が経つのね」


 ソラの母親がこの村を出て行ってから、もうそれだけの年月が流れていた。そのことに感慨深さを感じ、婦人はホッと息を吐く。

 そんな婦人の隣には、自宅へ戻ったはずの村長が立っていた。彼もまた、まだまだ幼い二人の背中を眺めている。


「大きくなったものでしょ?」


 一体誰に物を言っているのか、婦人は微笑んだ。

 婦人はソラの母親・ヴェルティナと親友のように仲が良かった。魔法を学び、知る者として二人は切磋琢磨した。

 だが二人の力量や技量の差は歴然としていた。ヴェルティナは文字通りの天才だったのだ。魔力の強さも然ることながら、新たな魔法を覚えるのも早く、また彼女オリジナルの魔法まで作ってしまうほどだった。

 それでも婦人は、妬むことなくヴェルティナに接した。婦人にとって彼女は目標であり、憧れの存在だった。


「それで、いつまでその姿でいるつもりなのかしら? ヴェルティナ」


 ベル婦人はくすりと笑うと、隣に立つ村長を見据えた。

 当人は何事かと恍けるように首を傾げるが、婦人の笑顔に観念したのか溜息を漏らした。

 直後、村長の体が淡い光に包まれた。丸くなっていた背中がすっと伸び、長い髭は無くなり、短かった白髪は長く見事なまでに鮮やかな銀髪に変貌していく。そして光が収まり現れたのは、一人の美しい女性だった。


「ふふふ、やっぱりその姿が一番よ。ヴェルティナ」


 婦人の言葉に女性は呆れたように項垂れる。

 ヴェルティナ=ゲフォルクス=ヴィルレ。ソラの生みの親たる女性だ。整った目鼻、潤った唇、艶やかで梳くような銀髪、まるで人形技師にでも作らせたような洗練された体。彼女の全てが、まさに最高の〝美〟その物のようである。その美しさ、百の男性が目にすれば、例え愛する者がいようとも虜になってしまうことだろう。


「ベル……どうしてあなたはいつもいつも」

「だっていつ見てもすごく綺麗なんだもの。それなのに老人の姿、しかも男の姿だなんて勿体ないわ」

「だからってねぇ」

「そんなこと言うなら、魔法解かなければ良かったじゃない」


 この期に及んでそれを言うかと、ヴェルティナは頭を抱えた。というのも、もし魔法を解かなければこの婦人、村人に言いふらし兼ねない目をしていたからである。今の彼女は身を潜めているのだから、なんとしても避けるべき事態であった。


「ふふふ、で、どう? 成長したあの子の姿は」

「……まだ小さいわね」

「それでも流石はあなたの子よ。あの年じゃ読むことさえおぼつかない子供も多いのに、あの子はもう大人が読むような物でさえ手に取ってるもの。しかもそれを理解までしてる。普通の子よりも成長が早いわ」

「……そう」

「あまり嬉しくないって顔ね」


 ヴェルティナは奥歯を噛み締め、地面を睨んだ。強く握られた手のひらからは、爪が食い込み血が滲んでいる。


「あなたの気持ちは分かるわ。でも仕方ないのよ。あなたの子供として生まれた以上は」

「分かってる……分かってるわよ……」

「それに、あなたが今日ここに来たってことは――」

「ええ、動こうとしているわ。運命が」


 ヴェルティナは前の道を見据える。先ほどまであった小さな背中は、もう見えなくなっている。その時の彼女の表情は、悔しさと悲しさに歪んでいた。

 それを眺めていたベル婦人も、同様に沈んだ表情を浮かべる。


「一体あの子は、どんな答えを出すのかしらね」


 婦人の問いかけに、ヴェルティナは答えない。代わりに婦人に、背を向けて一歩進んだ。


「本当に、どうしてあなたが選ばれたのかしらね。何千、何万といる人の中から」

「ベル……あの子のことお願いね。一応言っておくけど、私のことは黙っておいて」

「あなたは一体、いつまで逃げているつもりなのかしら?」

「いつまでもよ。いずれ来る日に、あの子が私の前に現れるまで……ずっと……」


 それだけ言い残すと、ヴェルティナは霧のように姿を消した。辺りにはもう彼女の姿はない。気配すら、無い。

 婦人は消えたヴェルティナに向けて、ただ一言だけ呟いた。


「ホント、馬鹿ね」


 その一言は誰かに届くわけでもなく、青い空に消えた。



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