前兆・予兆・プレリュード 2

「はい。止め、止め、止めー!」


 イーストン夫人が手を叩いてダンスの中断を命じる。

 振りはばらつきがあるのに、止めるときは一斉なのが妙にムカつく。しかもそこかしこからホッとした声すら漏れるありさま。


「やる気がありますの?」


 嫌々やっているのは明白だが敢て訊いてみる。

 もちろん誰も応えないが、逸らした視線が明確に訴えている。


「動きにキレがないというより、動作に横着というか少々ダレが出ていますね」


 同じ所作の反復練習に、動作の手抜きや横着が散見すると指摘するが、原因は正にその反復練習。


「もう勘弁してくれや」


 肉体的よりも精神的に、心底疲れたという風情でランドールが愚痴をこぼす。 


「もう3日も同じことばかりやらされているんだ。そりゃ飽きるって」


 さすがにお腹いっぱい食傷気味だと訴えるが、イーストン夫人に言わせれば「だって、仕方ないでしょう」に尽きる。


「その割にはみなさん、ちゃんとしたステップを覚えてくれないのですが……」


 天賦の感性を持つセラフィーナは別として、なかなか覚えの悪い連中である。繰り返し内容が多くなるのは自明の理。

 それでもステップは揃わない、振りは勝手に改変すると、ダンスとは程遠い代物。最低限度のレベルにすら達していない。


「それでも、3日連続はあんまりだ」


 それでなくても訓練の趣旨が体力向上なので、勢いレッスンの内容はステップの反復練習が中心となり、なおさら単調になりやすいという悪循環。

 いくら理由があるとはいえ、これでは飽きもくるのも当然というもの。


「わたしも飽きた」


 さらにはセラフィーナまでも不満を口にする。

 元々器用で1・2度見ただけでカンペキに覚えることができるのだ。

 反復練習は如何な体力アップの大義名分があろうとも、3日連続など拷問にも等しい。


「せめて違うステップにしてよ」


 雇用主の半ば懇願に近い要求。


「ここまで集中力を欠くと、さすがに問題がありますね」


 セラフィーナの不満に畳みかけるようにマージェリーの指摘が重なったことで、さすがにイーストン夫人も拙いと感じたのだろう。


「ちょっと気分転換してみますか?」


 同じメニューの繰り返しによる中弛みの解消に「これをやってみて」と、別メニューを提案したのだが、これが騒動の元となった。


「……これを、俺たちに「やれ」ってか?」


 手本を見た途端、今の今まで強気だったランドールの表情は引きつる。


「難しい? それほど複雑なステップじゃないですよ」


 確かにステップ自体はさほど複雑ではない、むしろ初心者向けともいえるほど容易なもの。

 如何なランドールたち、踊りに不器用な水夫でも簡単にマスターできるだろう。

 だがランドールが躊躇ったのはそこじゃない。


「そうじゃなくて。これを男同士でやれっていうのか!」


 何せカップルが密着する、今でいうところのチークダンスに相当する踊りだったのだから。


「だって、舞踏会で踊るダンスでしょう? 即席でできてステップが簡単なのったら、必然的に密着度アップなのになりますよ」


 アンタたちがムチャ言うから仕方ないでしょうと言わんばかりに開き直る。

 しかし、やらされる側にしてみれば、道理を説かれても納得できるものではない。


「男側は良いにしても、女側は俺たちが腰をくねらすんだぜ。考えただけでも吐き気がする」


 ランドールの指摘を受けて、ごつい男同士が手を取り合って組み敷く姿を想像してみたのだろう。

 うん、地獄だ。

 一瞬渋い顔をして「そうね、それは問題ね」と思案する。


「マージェリーさん。あなた、相手してあげて」


 そうにかすべきと暫し熟慮した末、マージェリーに白羽の矢を当てた。


「わたくしがですか!」


 寝耳に水とマージェリーは驚くが、その辺りは心得たもの。


「まさかセラフィーナお嬢様を、相手に引っ張り出したりはできませんものね」


 他に手頃な相手がいないと、さり気なく退路を断つ。


「それとも、男同士の踊りがご所望?」


 マージェリーも男同士が踊る不気味な絵面を想像したのだろう。ブルブルと首を振り「仕方ありませんね」と達観した。

 驚いたのは指名されたランドール。

 男同士は勘弁だが、ハイミスのマージェリーも違う意味でゴメンこうむりたい。


「勘弁してくれ」


 腰を引きながら辞退を懇願するが「あなたが男同士が嫌だと仰ったからお願いしたののに」と責任を擦り付ける。


「それに、同じメニューで飽きたと仰ったのはあなたですよ」


 それを言われると辛い。


「仕事だと割り切って諦めなさい。嫌なのはお互い様です」


 同じ犠牲者? であるマージェリーからもそう言われると、もはや逃げ道はない。


「分かりたくないけど、分かった」


「では、ランドールさんと踊ってください」


 すったもんだの末、レッスンが再開をした。




 ……のだが……


「ちょっと。あまり近づき過ぎないでくれる」


「誰が、オマエなんかと一緒になりたいか」


 犬猿の間とまではいかなくても、相性のよろしくないランドールとマージェリーが組むのである。

 2人でダンスをするなど、違う意味で難易度が高過ぎる。

 手を取り合い相手の腰に腕を回すはずのチークダンスでありながら、手が触れるのは人差し指の爪の先だけ、腰に回す腕は1センチ手前で寸止めという、何ソレ? どこの初等学校のフォークダンス? というよな事態。

 違う意味で踊るのに高等テクニックを要す、奇妙奇天烈なダンスへと相成っていた。

 当然動きはぎくしゃくしまくり、本来のチークダンスとは程遠い有様。それが逆に滑稽で面白く、見学する水夫たちには大ウケ。

 しかも間が悪いことに、今日に限ってイーストン夫人が呼んだ楽師が乗り込んでおり、伴奏にヴァイオリンが弾かれていたのでなおさら悪目立する。


「掌帆長。カッコイイっスよ~」


「もっとくっついて腰を回さないと」


 口笛とヤジが飛び交い、踊る2人は完全に晒しもの。


「うぅ、恥ずかしい」


「あなたよりもわたくしのほうが、末代までの恥ですわ」


 2人ともいい歳をして子供のような振る舞いなので、なおさら冷やかしの種となった。


「こいつ等、人をおもちゃ扱いしやがって」


 姦しい外野に苦虫を潰しながら、ランドールが小さく悪態をつく。

 ここで終わりのはずもなく、終業後のパブ辺りで酒の肴に供されるのは半ば決定みたいなもの。

 今夜のことを考えるとさらに頭が痛くなる。

 だが、ランドールにとって不幸なことに、身内の姦しいヤジだけでは終わらなかった。

 トリートーンの隣に停泊しているのが、王国海軍の軍艦ビスマルクだったからである。

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