レディー・ホー 貴族令嬢のお嬢様が船長となって、七つの海を駆け巡る! 

井戸口治重

第1話 プロローグ 祖父の逝去

 


 霧のような雨が静々と降り続く初夏のある日。




 静寂を破るノックの音に、ボールドウィン家当主であるエドワードは執務を中断した。




「入れ」


 短い、叱責にも似た命令に応ずるかのようにマホガニーの扉が開くと、白髪交じりで痩身な家宰のアーロンが「失礼します」と一礼し入室した。




「執務中にまことにご無礼とは存じますが……」


 背中から漂うオーラに一瞬躊躇したアーロンに、振り返ることなく「良い」と一言。


「執務中にお前が入室を求めるということは、相応の理由があるのだろう?」


 承認ではあるが、確認でもあった。


 館でエドワードが執務中は、集中力を維持するために、誰も部屋に入ってはならぬという不文律がある。それは、例え家族であろうとも一切の例外はない。


 その禁を破ってまでアーロンは来たのである。彼が館を取り仕切る家宰だという立場を考えれば、エドワードの推理は当然の帰結だろう。


「恐縮です」


 当主の洞察力にアーロンは頭を下げる。


「で、私の仕事を中断させてまでの用件とは何だ?」


 エドワードが落としていた視線を持ち上げると、アーロンが居住まいを正して「申し上げます」と本題を口にした。


「先代ご当主ウイリアム様が、先ほど逝去されたとのことです」


 アーロンが読み上げる報告に短く「そうか」とだけ返事をすると、エドワードは再び書類仕事に没頭する。


 実の父親の死去である。叶うなら今すぐにでも執務室を飛び出して、父の許に駆けつけたい。だが、それよりも先にエドワードには、ボールドウィン家当主としての責務がある。


 貴族として国のため、伯爵として家臣のため、経営するボールドウィン商会の代表ととして従業員を守らなければならない。


 高貴な身に生まれた宿命ともいえよう。


「最期は苦しんでいなかったか?」


 一瞬だけ仕事の手を止め、ほんの少しの私情を挟む。


 当主として許されるギリギリの線だろう。


「眠るように安らかに、身罷れたとのことです」


「そうか」


 アーロンの報に、少しだけ安堵する。




 ボールドウィン家は、セントラシア大陸の東端に位置するスリックランド王国で、伯爵位を賜る古参の貴族である。


 先祖を遡ると、元は海賊にたどり着くといい、実際二百年くらい前までは海賊船に乗り沿海を荒らし回っていたという。


 それがひょんなことから現王権の建国争いに臣下として加わり、その時の功績から伯爵位を賜ったのである。




 以来。元が土着ではなかったこともあってか、伯爵位を賜りながらも領地持ちとはならず、海賊時代に培った航海技術を生かして事業として交易を営むようになり今日に至る。


 もともと先見の目があったのだろう。沿海貿易を繰り返して富を膨らまし、時を待たずして遠洋貿易へと打って出て成功を収めると、僅か一代でボールドウィン家を王国有数の資産家へと成長させた。




 ところが多分の例に漏れず、海賊の気概が薄れて身代が大きくなって保守的に走り出した二代目以降、次第に業績が頭打ちとなり次第に同業他社の中に埋没していくこととなる。




 そんな中に就任し、獅子の如くと謳われたのが先代当主ウイリアムである。




 まるで初代当主が再来かのように、若き日の冒険譚は枚挙にいとまず、それでいて商才にも長けており、ウイリアムの扱う交易品は常に高値で売買された。


 赤字こそ出していなかったが長きに渡り低迷していたボールドウィン商会を、草創期のように活気づかせた中興の偉人である。


 エドワードの結婚を機に家督を息子に譲り、社交界と経営の表舞台から退きこそしたが、晩年まで船に乗り第一線で活躍していた。


 最晩年は体も弱り病気がちだったが、英雄に見苦しい最後はとって欲しくなかった。




「それで葬儀の日程と弔問状の送り先ですが」




 間を置かず、然るべき行事の段取りを問う。家族としてはもう少し故人の御霊を偲びたいが、身分ある公人ととして許されない。


「その件はアーロンに一任する。滞りないように進めてくれ」


「承知いたしました」


 仔細訊くことなく一礼する。


 秘書としても一級品のアーロンである、丸投げしたところで何ら問題はない。というか、そのほうが万事うまく回る。




 それよりも問題なのは……




「やはり、例のアレですか?」


 聡明な家宰は主人が切り出す前に答えを口に出す。


「ああ」


 忌々しげに唸り、冷えた紅茶を啜る。




「まったく。王国も厄介な縛りを作ってくれたものだ」


「ですが、国としての秩序を鑑みますと、決して理不尽な法でもないかと?」


 模範的な回答をよこすアーロンに「正論としてはその通りだが」と言いつつも、やはり面白くないのか微妙に頬が引きつっている。


「その、とばっちりを受ける身としては納得はできないな」


 が、優秀な家宰は主の嫌味程度では動じない。表情一つ変えることなく、新しい紅茶を注ぎながら「恐れながら」とエドワードの真意を伺う。




「お館様は、その件について、既に対応を考えておられるのないですか?」




 体裁は尋ねる形だが、口調は確認に近い。


 聡いアーロンに苦笑を浮かべつつ「あるにはあるんだが……」と気乗りしない。


「手短に言うとだな」と概要を口にすると、アーロンは「良い策でございます」と評価する。


「法に何ら触れることなく、見事に問題が解決できています」


「しかしなあ……」


 手放しで評価するアーロンとは対照的に、エドワードの歯切れは悪い。


「正直、褒められた策ではない。他に何か良い方法があればいいのだが」


「心中はお察ししますが、なにぶん非常時。ご決断は迅速なほうが宜しいかと」


「止むを得ないか?」


「はい」


 エドワードは決断を迫られた。

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