第3話 逃走

 どこをどう逃げたか覚えていないけど、気がついたとき、あたしは地下鉄のホームにいた。携帯は圏外だ。家に連絡もできない。学校の友達はひとりもいないようだった。

 地下鉄のホームは、逃げてきた人々でいっぱいになっていた。どうやら、ここまではサメは入って来られないらしい。

 医者のような白い服を着た人たちが、水とパンを配っていた。みんなは並んで、それを受けとっている。あたしも並んだ。

 初老の男性が、いつになったら家に帰れるんだと、水を配っている人に食ってかかっていた。その人は、自分に聞かれてもわかりません、と困った顔で答えていた。あたしはぼんやりとその様子を見ていた。誰もこれからどうなるかなんてわからないんだ。

 やがてホームの真ん中に、大きなテレビが設置された。そこではずっとニュースが流れていた。あたしたちは、テレビの前に膝を抱えて座り込んだ。

 サメは、世界中で突然あらわれたらしい。どこも似たような状況のようだ。テレビでは、世界各地の様子が映像で紹介されていた。たくさんのサメが高層ビルを取り囲み、窓から侵入して人を襲っている様子は、できの悪いSF映画のようだった。

 ショッキングだったのは、木造の二階建ての家が、やすやすとサメに壊されている映像だった。木造の家なんかでは、全然歯が立たないんだ。あたしの家は、木造だった。ママは大丈夫なんだろうか。

 飛んでいるサメはホホジロザメらしい。らしいというのは、これまで飛んでいるサメなんかいなかったせいだ。とゆーか、空を飛ぶ時点で、すでにサメじゃない。あたしたちの知らない未知の生物だ。体長は平均して四メートル以上、十メートル以上のものも見つかっているらしい。体重は六百キロ以上、重いものは一トンを超えるという。こんなヤツに体当たりされたら、とても木造じゃ耐え切れないだろう。

 テレビを観ているうちに、いくつか、わかったことがあった。

 サメは地上二メートル以下には降りてこない。ただ、この地上の定義がはっきりしておらず、サメの感じる地上というのが、どういう範囲なのかわからない。山の中や斜面だと地面から二メートルらしいが、埋立地は地面まで降りてくるようなのだ。だから、東京の埋立地からはほとんどの住民が避難していた。

 あたしは、試しに地下鉄を出て外の様子を見てみることにした。地上に続く階段を昇ってゆくと、工事現場のような激しい音が聞こえてきた。こんな時に工事をしているのだろうか。

 街は生臭い血の匂いでいっぱいだった。胸がむかむかする。吐きそうだ。サメたちが食い散らかした肉の破片があちこちに落ちている。自衛隊か、警察かわからないが、装甲車のようなものが数台止まっていて、間断なくサメを撃ち落していた。工事の音の正体は射撃の音だった。サメたちは撃たれると、地面に落ちてどすんと鈍い音をたてた。あんなものの下敷きになって死にたくない。

 いくら撃ち落としても、きりがないようだった。空には無数のサメが悠然と泳いでいた。地面に目を落とすと、サメの黒い影が絶え間なく行き来していて、それはまるで、地上に描かれた黒い模様がざわざわと蠢いているみたいだった。

 携帯電話を出してみたが、やはり圏外だった。きっと、もう携帯電話は使えないんだ。家まで歩いて帰ろうかと思ったが、特急電車で二十分くらいかかるところだ。歩いて無事に帰れるんだろうか? でも、帰らなければ、パパやママとは二度と会えないかもしれない。涙が出そうになった。でも、こんなとこで泣いてもしょうがない。泣くな、と自分に言い聞かせた。

 あたしが立ったまま、考えていると、自衛隊の制服を着た人が駆け寄ってきた。

「地下に降りるんだ。ここは危険だ」

 言葉少なにそう言うと、あたしの腕を取って地下鉄のホームに続く階段に連れて行こうとする。

「家に、家に帰らないと家族に会えないんです」

 あたしは、緊張でつっかえながらそう言った。なんて子供っぽいしゃべり方だ。まるで、迷子になった小学生みたいじゃないか。

「家はどこだ?」

「調布です」

 すると、その人は首を横に振った。

「ここから歩いて帰るのは無理だ。完全に遮断されている道路も少なくないんだ。火事や事故も多発している。事態が落ち着くまで、ここにいるんだ。いいね?」

 一気にまくしたてられた。確かに、その通りかもしれない。あたしは、力なくうなずくと再び地下のホームに降りた。

 することもなく、ホームにしゃがみこんでいると、大木くんの顔や亜美のすすり泣きが頭によみがえってきた。うしろめたい気持ちでいっぱいになった。自己嫌悪。言い訳は、いくらでもできる。だって、こんな状況で人のことまで助けられる人なんて、いる方がおかしい。でも、いくら言い訳しても、苦しくなるだけだった。あたしは声を殺して泣いた。

 あたしは悪夢を見ているような気分のまま、たくさんの人達と一緒に、暗い地下鉄のホームで生活した。朝起きて、しばらくすると食料の配給がはじまる。みんな並んで食べ物を受け取る。食べ物の内容は、だいたいパンと袋入りのおかずのようなものだった。

 そして、夜になって横になると、必ず大木くんと亜美のことを思い出した。こんなに、いやな思いをするくらいなら、あの時、なにかしておけばよかったと思った。でも、きっと、なにかしても助けられなかったに違いない。助けられなければ、やっぱりいやな気分になっただろう。

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