4-3、転生


      *  *  *



 ブレア山の頂上近くにたどり着いた頃には、すっかり日は落ちていた。

 痛む足を庇いながら無理な姿勢で歩き続けてきたためか、すでに体は疲労困憊だ。正直、走ることすら難しい。


 登る途中、何度も全身を黒いローブで覆った人たちとすれ違ってきた。今夜はこのブレア山で魔女たちの夜会サバトが開かれる。彼ら、彼女らはその参加者たちだ。

 おれは黒づくめの参加者たちの間で目立たないよう、似たような黒のローブを羽織っていた。昨日、レンの提案で準備しておいたのだ。おかげで怪しい目を向けられることなくここまで来ることができた。

 祭壇の広場は黒のローブを着た参加者たちで溢れていた。祭壇を中心にいくつもの円を描くように並んでいる。


『むぅ、魔力の渦を感じるぞ。迸る魔力があの祭壇に集まっている』


 おれの周囲を飛ぶ蝿の姿の暴食の悪魔ベルゼビュートが、緊張を滲ませる声で言った。こいつがそう言うならば、かなり切羽詰った状況なのだろう。

 あの祭壇で、新しい悪魔が生まれようとしている。


 だが、おれはむしろ傲慢の悪魔ルキフェルの誕生にある種の期待をかけていた。クローディアが傲慢の悪魔ルキフェルと戦い力を消耗すれば、そこに隙が生まれるかもしれない。つまり、両者が争っている間に利益を得ようと言う考えだ。


 危険な賭けではある。なぜなら、今から目覚めようとしているのは神様に喧嘩を吹っかけるような悪魔なのである。読みが外れておれたちにまで被害が及んでしまう可能性は高い。

 傲慢の悪魔ルキフェルとクローディアの戦いの様子はこの目で見届けたい。だが、一方でイリスの姿を探さなくてはならない。


「くそっ、どこに行っちまったんだ、イリス……!」


 おれは怪しまれない程度に、参加者の間を動き回りながらイリスの姿を探す。だが、灰色の髪のとびっきり可愛い女の子の姿はどこにも見つからない。

 焦りばかりが膨らんでいく中、夜会サバトに動きがあった。集団の中から一人の女性が祭壇の前まで歩いてきた。おれはその女性に見覚えがあった。イリスのことを「我らが黄昏の巫女」と呼んだ女性だ。


「皆様、今宵の夜会サバトへようこそ。今夜は魔力が最も高まる新月の夜です。我らが偉大なる魔女ブレア様もさぞお喜びになっておられることでしょう」


 女性は参加者を見渡しながら静かに声を張った。


「今年は皆様の願いが格別に集まったことから、余興を用意させていただきました。悪魔の復活です。この島の魔力が全て祭壇に集い、悪魔を蘇らせるのです」


 女性が手をかざすと、祭壇の上に巨大な球体が出現した。楕円形のそれは、まるで卵のようだ。ただ、卵と言っても普通の大きさではない。物語で語られている、巨大鳥が巣で守っている卵のようだ。

 宙を舞う光の粒子が集まってきて、卵に吸い込まれていく。卵は内側から輝き出し、妖しげな紫色の光を放つ。


 おれは恐怖を感じ、体の芯から震え上がった。おれの想像を超える超越的な存在が目の前で生まれようとしている。奴の復活を許すと言う選択が果たして吉と出るのか凶と出るのか。それはきっと誰にもわからないことだろう。

 卵に入ったヒビが徐々に大きくなっていく。割れた部分から光が漏れ出していた。


「さぁ、今こそ復活の時です。いざ顕れよ、傲慢を司る悪魔よ——!」


 女性が叫び、両手を広げる。卵が亀裂から弾け、まばゆい光が一気に膨れ上がった。あまりの眩しさに、おれは手を眼前にかざして光を遮る。


 光が落ち着き、おれは恐る恐る目を開けた。

 祭壇では、無月の夜空を背景に一人の人間が立っている。いや、そいつを人間と呼ぶのは間違いだろう。姿形こそ闇を煮詰めたような黒色の長髪を揺らす青年に見えるが、爛々と輝く金色の目は全ての者を見下す傲慢の光に満ちている。


 あれが悪魔。あれが傲慢の悪魔ルキフェル……!

 おれは人ならざる圧倒的な存在を前にした緊張で、唾を飲み込んだ。


「ふむ。久々に現世に姿を現したが、悪くない魔力だ。下等な人間にしてはよく集めたと言っていい。褒めて遣わす」


 傲慢の悪魔ルキフェルが自分の体を確かめるように手足を動かしながら言った。賞賛の言葉を言っているはずなのに全く他人を見ていないのは、傲慢の悪魔たる所以か。

 ただそこに立っているだけのはずなのに、なんと言う威圧感だろう。油断していると頭を下げて膝をついてしまいそうだ。


「女、どうやらお前がこのオレ様を呼び出したようだな」


 傲慢の悪魔ルキフェルが斜め上からの視線で、ローブの女性を見た。


「ええ、そうでございますわ。まずはご降臨、お祝い申し上げます。我々はあなた様が現世に現れてくださるのを心待ちにしておりました」


 ローブの女性が傅き、恭しく挨拶をする。

 だが、不思議と彼女の声からは畏れや尊敬の響きが感じられなかった。緊張をしているからだろうか?


「ふむ、苦しゅうないぞ。だが、オレ様と契約を交わそうと考えているならば、終わりなき叛逆の意思に囚われることとなるぞ。なぜなら、オレ様は何一つとしてオレ様の上に立つ者を許さないからな。たとえ神を敵に回したとしてもだ!」


 傲慢の悪魔ルキフェルが口が裂けているのかのような大きな笑みを浮かべた。

 そうだ、嫉妬の悪魔レヴィアタンは言っていた。どの時代に現れても、傲慢の悪魔ルキフェルは常に支配者たる神に反逆をしてきたと。その傲慢さがゆえに。

 本当に奴を目覚めさせてしまったのは正しいことだったのか? おれは選択を誤ってしまったんじゃないか? 今更になって焦りと後悔が渦巻いてくる。


「ええ、存じておりますとも。ですが、その前に貢物を捧げたいと思います」


 ローブの女性が傅きながら言った。傲慢の悪魔ルキフェルは楽しそうに笑う。


「ほう、それは気が利くな! して、その貢物はどこにある? つまらぬものなら、即刻貴様を葬ってやるぞ」


 傲慢の悪魔ルキフェルの脅しにも似た言葉に、ローブの女性は無表情のまま答えた。


「ええ、問題はありませんわ。


「は……?」


 悪魔が間の抜けた声をあげた次の瞬間、夜空に黒い翼がはためいた。

 黒の翼は宵闇に広がり、星の光を覆っていく。


「キャハハハハハハハッ!!!!」


 甲高い笑い声が夜空に響いた。直後、黒の翼が落下するように真上から祭壇に立つ傲慢の悪魔ルキフェルに襲いかかる。

 悪魔は予想外の事態に反応すらできず組み伏せられた。


「な、なんだ貴様……! このオレ様を誰だと思ってやがるんだ!」


 傲慢の悪魔ルキフェルが苦しみながら、それでも強い言葉を吐く。


「キャハ! あなたが誰か? そんなの知らない。それともあなたは食べたお肉の牛や豚や鳥の名前を知りたいの?」


 黒の翼の持ち主は、笑いながら傲慢の悪魔ルキフェルの体に指を突き立てる。まるで、腕を介して悪魔の養分を吸っているかのようだった。指を伝って光が移動していく。

 突然の出来事に、おれは理解が及ばなかった。何かが空から落ちてきて、傲慢の悪魔ルキフェルを襲った。しかもそれはどうやら仕組まれていたことだった。ローブの女性は驚きもせず、目の前の出来事を見守っている。


「き、貴様……! このオレ様を生贄にしたと言うのか! そのためにオレ様を召喚したと言うのか! 思い上がりもいい加減にしろ! オ、オレ様は全ての生命体の上に立つ存在だ。それを、貴様……!」


 悪魔の言葉を遮り、ローブの女性がはっきりと言い放つ。


「ええ、そうですわ。。それを一番よく知っているのは傲慢の悪魔ルキフェル、あなたではなくて?」


「この……この……この畜生どもがァアアアアアアアアアア!!!!」


 断末魔の悲鳴をあげ、傲慢の悪魔ルキフェルの体が四散した。

 黒の翼の持ち主が、舌なめずりをしながらゆっくりと体を起こす。その顔を見て、おれは声を失った。


 だって、だって、そこにいたのは——


「イリス!」


 おれは自分が潜伏していることも忘れて、彼女の名前を呼んだ。

 黒い翼を生やし、真紅の瞳を光らせているのは間違いなくおれが知る死神少女だった。だが、纏う雰囲気が明らかに違う。あの子に翼は生えていないし、何よりあんな風に大口を開けて笑わない!

 彼女の姿をした、別の何かだ。


『まずい……予想の数倍もまずい状況だ』


 おれの傍を飛んでいた暴食の悪魔ベルゼビュートが震える声で言った。


『あの魔女は理想の器と最高の貢物を手にしたと話していた。理想の器は小娘のことだとわかっていたが、貢物の正体は予想外だった。奴め、悪魔を食らいおった……!』


「悪魔を、食った? どういうことだよ。何が起きたって言うんだ。悪魔の契約とは違うのか……?」


 おれは暴食の悪魔ベルゼビュートに問う。こいつの言い方だと、傲慢の悪魔ルキフェルが復活したことよりもさらに深刻な事態になったようだ。


「キャハハハハハ! ねぇ、悲しいの? あなたたちは耐えられないほど悲しいの? なら、わたしがあなたたちの悲しみを食べてあげる。さぁ、跪き、あなたたちの悲嘆を捧げなさい!」


 イリスの姿をした者が、祭壇の上からよく通る声で叫ぶ。口からは小さな牙が覗いた。円形に並んだ夜会サバトの参加者たちは、その声に従うように一斉に膝をついて手を組む。

 「ブレア様」「ブレア様」「我らの願いを聞いてください」「我らをどうか悲しみの淵より救ってください」「どうか、絶望と悲しみにまみれたこの世界に救いの手を……!」


 あちこちから悲痛な声が吹き上がった。

 なんだ? 一体何が起こっているんだ? なぜ、皆目の前にいる存在に疑問を持とうとしないんだ? なぜ、ただ跪いて手を合わせるだけなんだ?

 それだけ絶対的な存在が現れたと言うのか——?


『悪魔だ』


 暴食の悪魔ベルゼビュートが、祭壇から目を離さず呟いた。


『奴は傲慢の力を取り込み、悪魔として生まれ変わったのだ。存在しないはずの第八の悪魔……悲嘆の悪魔に!』

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