3-4、混ぜ合わせたもの

 

 宿に戻ってきたが、夕刻近くになってもイリスとレンの二人は戻って来なかった。日が暮れてしまっては、ブレア山に戻るのは難しいだろう。夜の探索は明日に持ち越しになりそうだ。

 宿の居間で暇を持て余していると、かぐわしい香りが鼻腔をくすぐった。匂いを辿ってみると、宿の厨房で主人が料理をしているところだった。


「あぁ、ラッドさん。帰ってきたのかい。うちで食べるなら心を込めて腕を振るうけど、どうする?」


 今しがた一品を作り終えたらしい主人が振り返って尋ねてきた。


「いいね。何か手伝えることはないか? というより、色んな料理を学びたいんだ」


「そうか! 君も料理をするんだね。なら手伝ってもらおうかな。これからメインの料理に取り掛かるところだ」


 おれは主人から手渡されたエプロンと頭巾を巻くと、料理場に立った。狭い調理場では二人立っただけですっかり満員だ。


「じゃあまずはこのタマネギとリーキをみじん切りにしてもらおうかな。私はその間に別の下ごしらえをしているから」


 丸いネギのタマネギと、細長いネギのリーキ。おれは手にした包丁でそれらを切り刻んでいく。刃がまな板に当たる小気味良い音がリズムよく響いた。


「なかなかいい腕をしているね」


 主人に褒められ、おれは思わずにやけてしまう。賞賛されることなど滅多にないからだ。

 ニンジンやセロリも加え、刻んだ野菜を鍋に入れて炒め始める。たちまち野菜の香ばしい匂いが広がっていった。


 火が通ったところで水を入れ、続いてタラの切り身を投入していく。煮込んでいる間に、主人は金属製のボウルの中に羊の乳と卵黄を入れてかき混ぜていく。

 ある程度煮立ったところで、先に魚だけ引き上げて皿に盛り付けていく。代わりに、鍋の中には乳と卵黄を混ぜたものを入れた。


「たっだいまー!」


 その時に、宿の出入り口から元気な聞こえてきた。主人に促されて厨房を出ると、居間にはレンとイリスが立っていた。


「あ、ラッド! エプロン姿かっこいいよ。料理してくれているんだね、ありがとう。あたしたちもうお腹がペコペコだよ。ねー、イリスちゃん」


 レンの言葉にイリスが何度も頷く。そのやり取りを見ただけでも、大分打ち解けたのだと分かった。二人からはなんとなく姉妹のような印象を受ける。もちろん、レンが姉でイリスが妹だ。


「もうすぐできるから席について待っていてくれ。宿のご主人に料理を教わってるんだ」


「何か、手伝うことはありますか」


 イリスがそわそわした様子で尋ねてきた。


「大丈夫。もうすぐできるから。とびっきりおいしい料理が食べられるぞ」


 そう告げると、イリスはその場でぴょんぴょん跳び始めた。表情はあまり変わらないが、かなり喜んでいるらしいことは伝わってくる。


 厨房に戻ると、ちょうど最後の仕上げをするところだった。

 人数分の皿に盛った白身魚に、濃厚なスープを上からかけていく。湯気が立ち、クリーミーな匂いが漂ってきた。

 作っている最中はシチューだと思っていたのだが、出来上がったのは白身魚のソース掛けとの中間のような料理だ。最後に刻んだパセリを上からかけて完成した。


「この料理には名前があるのか?」


 おれが質問すると、主人は胸を張って答えた。


混ぜ合わせたものエートルラージュさ。昔は残り物を混ぜて作っていたことからそう呼ばれている。この島や周辺の街での庶民的な料理なんだ」


 なるほど、勉強になる。魚を鶏肉にしてもおいしいかもしれない。

 おれはレシピと手順をしっかり頭の中に刻み込んだ。今度は自分一人で作れるように。


「さー、できたぞー」


 おれは湯気を立てるエートルラージュの皿を両手に持って、居間に入る。テーブルではイリスとレンが待ちきれないといった様子で椅子に座っていた。


「わー、おいしそう!」


 レンが目を輝かせて皿を見た。イリスも猟犬のように熱心に匂いを嗅いでいる。

 主人がおれの分の皿を持ってきて、テーブルの中心にパンを盛り合わせたバスケットを置いた。


「私はこれから少し用事があって外に出ていくから、ゆっくり食べるといい。もしも来客があったら、外出している件を伝えておいてほしい」


 そう言うと、主人は薄手のコートを羽織って夜の闇の中に消えていった。できれば食卓を一緒に囲んで料理について伝授してもらいたかったが、用事があるなら仕方ない。


「では食べようか」


 おれたちは手を合わせると、料理に手をつけ始めた。

 まずはスプーンでスープを掬って口に運ぶ。口当たりはあっさりしているが、奥に渦巻くコクの味に驚かされる。魚の旨味と野菜の甘みが凝縮され、羊乳のまろやかさに包まれていた。


 続いてはタラの身をスプーンで崩して、スープと一緒に食べる。冬のタラに比べると身の締まりは少ないが、大きな身を口いっぱいに含むと豊かな味が広がる。


「う〜ん、最高。優しい味がする」


 レンが幸せそうな表情で言った。

 イリスも一心不乱にスプーンと口を動かしている。よほど「お腹がすいて」いたのだろう。


「イリス、パンを浸して食べてもおいしいぞ」


 そう言うと、イリスはテーブル中央のバスケットからパンを一切れ手に取った。スープにつけて、その上にタラの身を少し乗せてパクッと食べる。


「ん、おいし」


 イリスが表情を崩して呟いた。その顔を見ていると、おれも幸せになる。

 彼女は多くを語らないし、大きな反応をすることもない。だけど、ちょっとした仕草や少しの表情の変化でどれだけ幸せを味わっているかわかるようになった。


「二人とも、今日はどこに行ってきたんだ?」


 おれは食事の手を止めて二人に尋ねる。


「色々行ってきたよ。お花屋さんとか、お菓子屋さんとか。広場でやっていた劇も見たね」


 レンが今日の出来事を思い出すように目を閉じて答えた。祭りの最中なので、あちこちで演し物が披露されているのだろう。


「イリスも楽しかったか?」


 イリスはすぐに答えず、口の中のものを全部飲み込んでから大きく頷いた。


「初めての体験ばかりで、とても驚きでした。お菓子もどれもおいしかったです」


 そう言うなら、楽しめたのだろう。イリスは嘘をつかない。時々、何かを隠しているように感じる時もあるが、彼女の口から偽りの言葉を聞いたことは全くない。

 微笑むレンに視線を移した時、彼女の首に水晶のような飾りがつけられていることに気がついた。


「あれっ? レン、お前その綺麗な首飾りは前からつけていたっけ。買ったのか」


 おれが質問すると、レンは首飾りを手にしておれに見せた。


「あぁ、これはあたしが一行パーティを抜ける時にクローディアさんからもらったんだよ。恥ずかしくて服の裏側に隠してたけど、今日はせっかく街を歩くからおしゃれのつもりでつけてみたんだ」


「へー、クローディアさんからか」


 レンは惜しまれながら円満に一行パーティを抜けてきたのだろう。半分追放されたようなおれと違って。


「恥ずかしがる必要なんてないと思うけどな。レンは綺麗だから、簡素シンプルな装飾品が似合ってる」


 純粋に感じたことを話すと、レンは照れたように頬を掻く。


「へへへー、そうかな。ありがとう。ラッドに褒められると、すごく嬉しい!」


 そんなやり取りをしていると、レンの隣に座るイリスの頬が心なしか膨らんでいるように見えた。料理でも頬張っているのだろうか?

 こうして、マグリア島での初めての夕食の時間は穏やかに過ぎていった。


 全員食べ終わって後片付けをしていると、部屋の隅でレンとイリスの二人がこそこそと何かを話し合っている。本当に今日初めて会ったのか信じられないほど、仲が良さげだ。

 レンが「頑張って」と小さな声でイリスの背中を叩くと、イリスは頷いておれの方へ真っ直ぐ歩いてきた。


「あ、あ、あの、ラッドくん。少し、いいですか」


 イリスが恥ずかしそうに視線を逸らして、話しかけてきた。こんなにもじもじした様子のイリスは初めて見る。


「あぁ、大丈夫だけど……どうしたんだ」


 おれは、これから洗う予定の食器を手に持ったまま応じた。


「この後、少しだけ、一緒に、外の、さ、散歩を、しませんか……?」


 最後はかすれたような声になっていたが、何を言いたいのかは伝わった。どうやらイリスは夜の散歩をしたいらしい。


「もちろんいいけど、少し待っててくれ。後片付けをしちゃうからな」


 そう答えるとイリスはコクコク頷き、走ってレンのもとへ戻っていった。レンは「よくやったね」と笑いながら、イリスの頭を撫でている。頑張った妹を褒める姉のようだ。


 一体、何を企んでいるんだ……?

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