2-6、闇の中では手を繋いで

 

 地下水道へ続く階段の鉄格子の扉は開け放たれていた。

 探索組が開けてそのままにしていたのか、もしくは怪物が出入りをしたのか。わからないが、中に入ってみる価値はあるだろう。


「イリス、中に入ってみよう。おれが灯りを持っているから、後に続いてくれ」


 イリスは黙ったまま頷いた。

 ノヴァルニエは引き続きブランの治療にあたっているので二人きりだ。正直逃げ出したくなるほど恐いが、イリスの手前強がっているしかない。

 細い階段をゆっくりと下っていく。一歩踏み出すごとに、緊張で心臓が暴れ出す。


 地下水道は、昼に訪れた時とは雰囲気が様変わりしていた。薄暗いながらもどうにか視認することができた昼とは違って、夜に見えるのは手元の角灯ランタンが照らす範囲だけだ。道の先は深い闇に包まれている。闇の向こうから今にも怪物が姿を現してきそうだ。


 角灯ランタンのかすかな灯りを頼りに、地下水道を進んでいく。

 暗闇の中響くのは、水が流れる音とおれたちの足音だけだ。自分の息遣いがやけにうるさく感じる。

 イリスが付いて来ているか後ろを向くと、そこに彼女の姿はなかった。慌てて名前を叫びかけたところで、フードを被った少女の顔がにゅっと現れる。驚きのあまり、心臓が口から飛び出すかと思った。


「どうしたの?」


「い、いや、なんでもない」


 どうやらおれが早足で歩いたせいで、離れてしまっていたらしい。気をつけなければ。この場でイリスと離れ離れになるのは、おれにとって死を意味する。


「そうだ。はぐれないように手を繋ごうか」


 思いついたおれは、角灯ランタンを持っていない方の左手をイリスに差し出す。イリスは手を伸ばし、しかしためらうようにその手を止めた。


「……ラッドくんは、わたしが恐くないんですか?」


 イリスが恐る恐る言った。

 彼女の目は自分の手を見つめている。まるで汚れたものを見ているかのような、冷たい目だ。


「何を今更言ってるんだか。おれにとっちゃ、周りの暗闇の方が恐ろしいよ。お前もおれとはぐれて一人地下水道をさ迷うのは嫌だろう」


「う、うん」


 イリスは頷くと、小さな手をおれの手のひらの上にそっと乗せた。そのままぎゅっと握ってやると、イリスも握り返してくる。


「えへへ……」


 イリスが小さく笑ったような気がした。表情はフードに隠れてよく見えない。

 とにかく、これで離れ離れになることはなくなったわけだ。安心して探索を続けよう。

 おれたちは手を繋ぎながら、狭い通路を横に並んで歩いていった。少しだけ、周りの暗闇の色が薄くなったような気がした。


 昼に回った順路ルートの通りに歩くが、一向に怪物とは遭遇しない。いや、鉢合わせるのはごめんなのだが、冒険者としての仕事は全うしなければならない。


 一度引き返そうかと考えた時、曲がり角で小さな明かりが揺れたの見えた。

 おれはイリスと繋いでいた手を離し、短剣ダガーに手を伸ばす。


「手、離れちゃった」


 心なしか寂しそうに呟くイリスに、おれは声を潜めて指示を出す。


「いいから、武器を構えるんだ。間違いなくそこに何かがいる!」


 明かりが大きくなっていく。何かが近づいているからだ。心臓が早鐘を打つ。

 果たして曲がり角を曲がって姿を現したのは——同じ依頼クエストを受けて、地下探索に向かった冒険者たちだった。


「な、なんだ! 君は確か地上を巡回しているはずではなかったのか? 驚いたぞ」


 角灯ランタンを持って先頭を歩いていた冒険者の男が、息を吐きながら言った。


「それが、事情があってな。怪物がこっちに現れてブランがやられたんだ。やつの逃走経路を辿って行ったら、地下水道に行き当たった。あんたらは怪物らしき何かと遭遇していないか?」


 おれが尋ねると、地下探索班は顔を見合わせ困惑の表情を浮かべる。


「俺たちはずっと地下水道を回っていたが、怪物には遭わなかった。鳴き声や足跡すらも感知していないよ。怪物は本当にここに逃げ込んできたのかい?」


 男性冒険者の答えに、おれは黙るしかなかった。

 確かに別の道に逃げた可能性は捨てきれない。あるいは地下水道への入り口を素通りしていったのかもしれない。

 しかし、街中にも地下水道にも冒険者や加工場の職員たちが散らばっているというのに、これほどまでに巧妙に姿を消すことができるのはどういった理屈だろうか。

 耳の奥で、「見えない怪物」という言葉が何度も響いてくるのだった。





 結局、なんの成果も挙げられないまま、月が頂点に達した頃に探索を打ち切った。宿で睡眠を取ってから、翌朝にシギの小屋に集まる。その場にブランの姿はなく、なんとなく暗い雰囲気が漂っていた。


「ブランはどこに運んだんだ?」


 おれは眠そうな目をしているモーリーに尋ねる。


「親方の知り合いが経営している病院です。一命は取り留めましたが、まだ意識は回復していないみたいです」


 モーリーが残念そうにうつむきながら言った。

 ブランの命が助かったのは、ノヴァルニエの術によるところが大きいだろう。イリスは相変わらず彼女を警戒しているが、信用していいとおれは思っている。


「しかし、例の怪物に襲われて命を拾ったなんて奴は初めてだな。そこはさすが冒険者だってところなのかもしれねえな」


 シギが大きなため息をつきながら呟いた。


「犠牲者は五人いて、その内三人が加工場の職員なんでしたね」


 おれが言うと、シギが再び大きなため息をつく。


「ああ、そうさ。夜遅くまで飲み歩いている奴が多いってのが理由なんだろうが、受け入れられねえ話さ。三人とも、加工場の中じゃ特に屈強な奴らだったってのに」


 鍛え上げた肉体を持つ男たちでも、怪物の手にかかればあっさり命を落とす。それも今回は特別恐ろしい怪物なのだ、生きているブランは運が良かったとしか言いようがない。


「それで、今日の夜はどうするんだい? 全員一緒に固まって行動するかい?」


 ノヴァルニエが全員に投げかけた。

 誰もすぐには答えない。現実に被害が出てしまったのだ。次は我が身だと言う恐怖は拭い切れない。


「……多分だけど、怪物は一人になったところを襲っているんじゃないかな。昨日もブランはノヴァルニエからはぐれたところを襲撃されたんだ。あんまり固まっていても怪物は姿を現さないと思う」


 おれが手を挙げ、発言する。


「逆に言えば、三、四人いれば向こうから襲ってくることはないわけだ。その上で怪物を探し出すには、やっぱり地上と地下とで分かれて根気強く歩き回るしかないんじゃないかな」


 おれの意見に反論は出なかった。誰も何も言ってくれないのは寂しいが、異論がないと言うことは受け入れられたと言うことだ。最初の取り決め通り、この日の夜は地上巡回と地下水道探索を班を交代して行うことになった。


「ノヴァルニエ」


 解散して小屋を出て行く冒険者の中から、おれはノヴァルニエを呼び止める。


「どうしたの、新しい頭目リーダーさん?」


「いや、おれは頭目リーダーなんて柄じゃないが……ともかくブランのいる病院に行ってみたいんだ。案内してくれないか」


 モーリーはこの後に加工場の仕事があるので、彼女にお願いしたのだ。ノヴァルニエは二つ返事で了解してくれた。





 イリスは先に宿へと戻って行ったので、病院にはおれとノヴァルニエの二人で来た。イリスはノヴァルニエと一緒にいるのが嫌なのだろう。

 広い病室にはベッドがいくつも置かれている。その内の一つに身体中に包帯を巻いたブランが目を閉じて横たわっていた。


 近づいて様子を伺ってみると、今にも途切れそうなほどか細くはあったが、しっかり呼吸をしている。容体は安定したらしい。いけ好かない男ではあるが、自分と関わった人が亡くなるのは目覚めが悪い。おれはほっと胸をなでおろした。


治癒キュアの術でできるところまでは傷を塞いだけど、やっぱり血を流しすぎていたみたいでね。あとは彼の回復力に賭けるしかないね」


 ノヴァルニエがブランの顔を見ながら言った。

 おれたちは木の椅子を持ってきて少しの間ブランのそばにいた。だが、やはり目を覚ます様子は見られない。

 また出直そうと思い立ち上がった時、ブランの唇がわずかに動いた。


「あ……ま……」


 おれは慌ててブランに近づき顔に手を当てる。今、ブランはなんと言ったのだろうか。。彼が再び話し出すのを待ったが、静かな寝息が聞こえてくるばかりだった。


「ブランは何て言おうとしたんだろうね? 甘い? 余り?」


 ノヴァルニエが腕を組んで首を捻る。

 おれも聞き取ることはできなかった。聞こえてきたのは言葉の断片だけだ。

 もしもその言葉が「甘い」だったのなら、お菓子を食べている夢でも見ているのだろうか。まさか、イリスじゃあるまいし。


 いや、待てよ。


 ……?


 その瞬間、おれはある一つの言葉が頭の中に浮かび上がった。


 もしも、である。

 もしもブランが伝えようとした言葉がおれの想像通りなら、あらゆる可能性が浮上してくる。だが、そうだと仮定したならば、一体犯行を可能としているのだろうか。


 頭の中で、ぐるんぐるんと思考が回り続ける。いくつかの可能性を考えている間に脳裏に蘇ったのは、よりによって加工場を訪れた時の記憶だった。

 燻したニシンはその強烈な臭いのため、何かの例え話に使われたと聞いたことがある。

 それが何の例え話だったのか。思い出した瞬間、おれの中で全ての出来事が繋がった。


「わかったぞ。『燻製ニシンの偽証』だ……!」


 おれはノヴァルニエにも聞こえないような小さな声で呟いた。

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