1-2、嘘と銀貨

 

      *  *  *



 かつて、この世界は混沌の神とやらに支配されていたらしい。地上には怪物が溢れ返り、人間は地下に身を潜めて生きながらえていたという。

 長らく混沌の時代が続いた後、密かに力を蓄えてきた秩序の神様が反旗を翻した。人間と協力した秩序の神様は、激闘の末に混沌の神を世界の果てへ追いやる。こうして現在まで続く安寧の時代が訪れたとされている。


 しかし世界の果てで雌伏の時を過ごす混沌の神は、攻勢に出る機会を伺っている。混沌の勢力の尖兵たる怪物が近年増加しているのがその兆候だという。

 人間は平和な時代を守るため、自らの力で怪物を討伐することを秩序の神様に誓った。怪物退治を生業にする者たちはひとところに留まるよりも、旅から旅への生活を続けることが多かったため、いつしか彼らは〈冒険者〉と呼ばれるようになり、その呼び名は今も定着している。


 各地を渡り歩く冒険者が、円滑に怪物退治の依頼クエストを受けられるよう支援するために生まれたのが冒険者組合ギルドという組織だ。

 組合ギルドの支部は各地にあり、国や地域住民と冒険者の仲介業務をこなしている。





「これは確かに変異狼ワーウルフの首ですね。討伐の証として受理いたします」


 森林地帯に広がる街トラーヴァに置かれた組合ギルドの支部に変異狼ワーウルフの首を持っていくと、受付のお姉さんが驚きと共に迎えてくれた。

 おれが変異狼ワーウルフ討伐の依頼クエストを受注した時は、また怪物の腹に収まる犠牲者が増えるといったような暗い表情だった。まさかおれが無事に生還し、しかも変異狼ワーウルフの首を持ち帰ってくるとは想像していなかったのだろう。


 悲しいが、真実はその通りである。

 イリスと名乗った死神少女が「パイのお礼に一つあげます」と言って、怪物の首をくれたのだ。まるで互いの弁当のおかずを交換するかのような気軽さで。自力で討伐した訳ではないので立派な不正であるが、悩んだ末に受け取ることにした。

 悪い気持ちではないのだが、後ろめたさは拭い切れない。


「これもお願い」


 フードを目深に被ったイリスが爪先立ちになり、両手で抱えた変異狼ワーウルフの生首を台の上に置いた。


「素晴らしいですね。なんと今日だけで二匹も恐るべき怪物の数が減るとは。だけど、この変異狼ワーウルフは本当にお嬢さんが倒したの? 誰かの手柄を自分のものみたいに報告はしていない?」


 受付のお姉さんはおれの顔を伺いながら、イリスに尋ねる。

 どうも受付嬢はおれが二匹とも討伐し、片方をイリスの手柄として報告させているのではと疑っているようだ。


 しかし悲しいが、真実は真逆である。

 イリスが虫を払うかのごとくあっさり倒した変異狼ワーウルフを、ただ震えていただけのおれがさも自分の手柄のように報告しているのだ。


「問題ありません。ラッドくんと協力しました」


 イリスの答えに、受付のお姉さんは納得したようだった。どうやら二人で協力して二匹の変異狼ワーウルフを討伐したのだと受け取ったようだ。イリスの態度から嘘をついている訳ではないと判断したのだろう。

 空腹で倒れていたイリスに食事を提供しただけのことを協力と呼べるかは疑問だが、おれもその場にいたことだけは間違いではない。そうやって無理やり自分を納得させて、罪悪感を少しでも拭う。


「それでは、依頼クエストの報酬を差し上げますね。支払いはマグヌ銀貨にいたしますか、パル銀貨にいたしますか」


「あ、おれはパル銀貨でお願いします」


 パル銀貨はマグヌ銀貨よりも二回りほど小さく、銀の含有率も低く設定されている。価値は大体十分の一だ。マグヌ銀貨ならかさばらないのだが、細かい釣り銭がない店では使えないことも多いので報酬はいつもパル銀貨で受け取ることにしている。


「ではパル銀貨で八十枚です。お確かめください」


 受付嬢からずっしり重い袋を渡され、おれは喜びが込み上げてきた。これだけあれば、節約をして一ヶ月は暮らすことができる。一行パーティに所属していれば、基本的に報酬は折半だ。単独ソロならばこれほど実入りが良くなるのかと感動する。


「お嬢さんはどうしますか?」


「わたしも同じ」


 イリスの手にも同じ重さの袋が手渡された。今回受けた依頼クエストの条件は「変異狼ワーウルフ一匹の討伐につきマグヌ銀貨八枚」なので、本来であれば二つ分の袋がイリスの手元に渡るはずだった。

 好意を受けるのは今回だけにしようと心に決める。

 得体の知れない強さを持つ死神と、これ以上関わりたくないという恐怖もあった。


「おーい、ラッド!」


 突如上から響いた聞き慣れた少女の声に、おれは体を震わせた。

 冒険者組合ギルドトラーヴァ支部の建物は吹き抜けの二階建て構造になっている。声の主の少女は、二階の手すりから上半身を乗り出し手を振っていた。


「聞いたよ。変異狼ワーウルフを倒しちまったんだってな。すごいじゃんか!」


 少女は手すりの上を飛び越え階段に着地すると、そのまま早足で降りてくる。あまり会いたくない相手だったので、おれは唇を噛んだ。

 彼女はレン=アルザハル。おれが前に席を置いていた一行パーティで活躍している槍使いだ。

 南方生まれの健康そうな褐色の肌に、微妙に赤が混じった艶やかな黒の髪と翡翠の瞳。すらりと伸びた体つきは猫科の猛獣を思わせるしなやかさを備えている。


「いやぁ、ウチからいなくなった時は心配したけど、うまくやってるみたいだね。あたしも一安心だよ!」


 レンは軽やかな足取りで歩み寄ると、おれの肩を馴れ馴れしく叩いてきた。


「あ、あぁ、そうだな。まぁ、うまくやってるよ……」


 おれはレンから目を逸らす。

 自分を追い出した過去の仲間を見返したいという気持ちはあったが、いざ目の前にすると萎縮してしまう。仲間たちの間で身を縮めていた癖が抜けない。

 レンは十七歳のおれと歳が近いこともあって、一行パーティの中でも仲良く接してくれていた。それでも彼女を前にしてビクビクしてしまうのは、自分に自信を持てないせいだ。


「ところで、この子は誰? 新しい仲間?」


 レンはおれの様子には気付かずに質問を続ける。


「彼女はイリスと言う。変異狼ワーウルフ討伐の依頼クエスト中に会ったんだ」


「おぉ、そうか。あたしはレンだよ。よろしくねっ」


 レンが持ち前の明るい笑顔でイリスに挨拶をする。しかしイリスはそれに返答することなく、やや不機嫌そうな表情でおれを見た。


「お腹がすいた。早く行こう、ラッドくん。ご飯を作る約束です」


 こいつはさっきパイを食べたばかりなのに、もう空腹になっているのか。一体どれだけ消化の早い胃袋をしているのだろうか。

 レンはそんなイリスの態度を気にすることなく、笑い声をあげる。


「あははっ。イリスちゃんもラッドの料理に胃袋を掴まれちゃったんだね。思い出したらあたしも食べたくなっちゃったな。ねぇ、ラッド。あたしも一緒に行ってもいいかな?」


 レンがくりくりした目でおれの顔を覗き込んでくる。おれが答えに窮していると、新しく聞こえてくる野太い声があった。


「おい、レン! ウチの一行パーティを逃げ出したドブ鼠ブラウラットなんかと話してると、腰抜けが移っちまうぜ」


 振り向いた先には予想通りの男が立っていた。

 背中に大斧を担ぎ、歴戦の証のように全身に荒々しい傷が刻まれた巨漢。おれが元いた一行パーティの戦士ゴートン=スレッジだ。

 そしておれが今最も会いたくない人物でもあった。

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