双流激突 4

 ティーネが来てくれた、という安心。その次に、素直に喜べないばつの悪さを感じた。

 彼女は自分に怒っているのだろうか。


「いいところに来たな。金と乗り物の都合は上手くいったらしい」


 ラペルが宙から降り立ったティーネへ無防備に手を広げて呼びかけた。

 彼女の手には乗用のサメを操る手綱が握られている。背に、あの大きなライフルはない。


「ハンターズギルドに理由をつけて申請すれば、長距離移動用のサメは借りられます。もちろんあなたたちのことは言わずに」

「便利なもんだねぇ。街のハンター様は、俺たち下賤げせんの身とは随分と待遇が違うらしい」


 ハンターの本来の活動基点であるハンターズギルド。ティーネなら、そこで様々な手当てを受けられる。


「……お金は私の懐から出せるだけで、勘弁してください」


 言ってサメに取りつけた荷台からはち切れんばかりの袋を取り出した。中に詰まった濃い色の宝石は、ジュエル貨幣と呼ばれる金のうちで二番目に価値が高い。


「ふん、まあいいだろう。本来なら移動手段の工面だけが金と手間がかかって面倒だったからな。じゃあそれを荷台に仕舞って、サメをこっちへ向かわせろ。そうしたら姉ちゃんは隅に移動して道を開けるんだ。分かったか?」


 ティーネは静かに頷いて荷台に袋を収納するとサメの背を軽く押す。それが習性なのか調教の賜物なのか、サメは押された慣性に従ってラペルの居る方へと真っすぐ泳いでいく。

 そしてティーネは壁際まで下がり、丁寧に手を頭の後ろに下げることまでした。


「従順だねぇ。いい光景だ」


 ラペルは彼女を眺めつつ、やってきたサメを迎え入れるように手で触れる。

 このままでいいのか。歯噛みしながらその様子を見ている藍凪だが、背後の柱に体を手を縛りつけられているために手を出せない。いや、それ以前に状況を打破する実力もなければ、資格もない。また足を引っ張るに決まっているのだから。

 力があったなら。せめてティーネと肩を並べられるくらいの力が。


「一つ、聞いてもいいですか?」


 荷台を開けて金の入った袋を確認しようとしているラペルに、自分たちの荷物を積みこもうとしているモウタに、ティーネは言った。


「なんだ?」

「密漁によって不当にお金を手に入れる。そこまでしてお金を集めるのは、一体何のため?」

「なぜそんなことを聞く?」

「私が納得したいから。一応の確認です」


 素朴な質問に、ラペルはさて困ったという風に考え込んだ。やがてその目に哀切の色が浮かび始める。


「俺の母親は女手一つで俺を育ててくれた。だがある日、原因不明の病気にかかっちまって、治療のために大金が必要になった」


 やけに簡素に告げられる話だ。ティーネはよく見える眼をラペルの口へと向けている。

 そのよく回る舌の裏側へ。


「――という涙必至の感動ドラマでも用意してあればよかったんだがな。困ったことに、俺が金を集めるのに理由なんかないのさ」


 最初から嘘を押し通すつもりはなかったのか、彼は簡単に手の内をひけらかした。本当に、この男は軽薄だ。


「強いて言うなら、集めることだけが目的なのかもな」

「貯金することに喜びを感じると?」

「いいや、金を使うまでが一通りさ。むしろその瞬間のためだけに生きていると言っても過言じゃないね。金を集め、旨いものを喰い、集め、新しい服でも買い、集め、金のねえ女に金をやって体を頂き、また集める。他の目的なんぞ要らねえし、手元に残す必要なんてない。金と代えられる程度の適当な価値ってやつを、適当に貪ってやることだけが人生なのさ」


 ラペルの目の色は鈍く、多くのものを諦めきっているように見えた。

 世界に対する諦観の末に、かけがえのないものなど必要ないと、多くのものに代替可能な金だけでいいと、ため息交じりにぼやいている、くたびれた姿。

 胸に湧いたのはこれまでとは違う形の嫌悪。汚らしいとか、無辜の人々を陥れる悪党だとか、藍凪の思想と相容れない部分からくる嫌悪ではなく、むしろ逆。

 それは自己嫌悪に似たものだった。

 彼の目が、自殺した時の藍凪の目に似ている気がするから。


「そっちのモウタはまた別だがな。友達が欲しいつって道端で転がってたのを俺が、金をくれてやれば友達でもなんでもできるぜ、って教えてやったらついてきた。そんで友達作りのために金稼ぎ中」


 モウタの方はラペルに上手い具合に使われているような感が拭えないが、だからと言って同情をする筋合いでもない。

 ティーネは「そうですか」と相槌を打つ。その時に背中のフードが小さく揺れた。


「まったくもって同情の余地も無くて申し訳ないが、まあ世の中はそんなもんだ。金が欲しいことに理由なんぞないさ」

「いいえ、むしろそちらの方が清々しい。もしも同情なんかしてしまったなら、私はそんな自分を許せなくなる。……ですが、よかった。あなたが取るに足らない悪党で」

「さて、納得だとか許せないだとか、俺には分からんな。――そろそろ行かせてもらうぜ」

「そうですか。でも心配ですね。こちらとしても、後で難癖をつけられるのは困りますよ」

「……どういう意味だ?」


 ラペルの目が鋭くティーネを射貫く。


「悪党にしては、金銭の目利きが甘いなと思いまして。いえ、せっかく渡した大金ですから、満足して受け取ってほしいんですよ。もしも・・・の時、目も当てられませんから」

「チッ、心にもないことを……隙を狙おうったって無駄だぜ」


 ラペルは荷台の金袋を開けた。用心深く、ティーネを窺いながら。

 中身をすくって、貨幣が本物だと確認してしばらく満足げに眺めていた。だが、一瞬だけ表情が笑顔のままで固まった。


「なんだこ……」


 彼は、疑問を口にするという愚を犯してしまった。それがティーネにとって絶好の合図だということに気づきもせず。

 クスッ、と口もとに笑みを浮かべる、妖艶な少女。


「本当に、目も当てられない・・・・・・・・でしょう?」


 彼女が頭の後ろに回した手を前に突き出す。そこに握られていたのは、フードに隠されていた、小さな二丁の拳銃だった。

 ただ一発を、狙いを澄まして撃ち放つ。


「テメ――――」


 ラペルが声を発したのは、発砲音の後。遅すぎたということを、彼は推して知るべしだった。

 何故ならティーネの狙いは必中。武器が変わろうとも、彼女自身の本質に濁りはない。深紅の瞳は狙うべき場所を見抜き、その視線を弾丸は正確に辿る。視線と弾道、二つが交わった時、流星の如き赤い線が瞬くのだ。


 故に一発の銃弾は当然に袋を貫き、かくして幕は開けられた。


 袋の繊維が解かれ、はじき出されたのは、透明な生物の外皮で覆われた玉。ウミホタル由来の発光物質ルシフェリン酵素ルシフェラーゼがいっぱいに詰められたそれは、外からの刺激によって激しく反応し、青白い閃光を放つ。

 薄暗い洞窟に慣れた藍凪の視界に光が突き刺さる。ラペルとモウタも同様だった。深海に棲む者はただでさえ光に弱いのだ。三人ともに光から逃れんと瞼でシャットアウトを試みたが、既に入り込んでしまった光が視界を一時ふさいだ。

 青白い世界の中で、また発砲音が鳴り、すぐ近くに着弾した。続いて硬い何かが地面へと落とされた音。対策していたティーネだけが光の中で自由に行動している。


「やっぱタダで手に入る金より怖いもんはねえな! いいぜぇ、そんなに欲しいなら、きっちり代金受け取っていけや!」


 しかし所詮は一時のこと。さらにラペルは回復が早かったようだ。威勢のいい叫び声と共に地を蹴り離れていった。


「モウタぁ! そっちの妹で遊んでていいぜ。好きなように、加減なしでなぁ。こっちの姉ちゃんは俺が頂く!」


 視界に洞窟の暗さが戻り始め、周囲のぼんやりとした多重の輪郭が一つの形となった。その場には藍凪とモウタの二人。ティーネとラペルは砲撃と斬撃の応酬を始めていた。


「遊んで、いいの……?」


 叫ばれた言葉の意味を咀嚼そしゃくしたモウタが、やがてこちらに首を回す。


「じゃ、そうしよっかぁ。痛いかもしれないけど、あんまり早く壊れちゃだめだよぉ」


 ずしん、ずしん、とゆっくり近づいてくる男はホラーじみていて、切迫感を煽ってくる。早すぎる動悸と気持ちの悪い汗が止まってくれない。

 一度でもあの手に掴まれば、藍凪の意思など塵芥と同じ。全てを潰されてしまうだろうことが容易に想像できる。

 そうはいかないと、全力の気迫で相手を睨みつける。

 体を縛りつけていた縄は銃弾によって断ち切られている。そしてすぐそばに落ちているのはナイフだ。立ち向かうための準備はティーネが整えてくれた。


「自分の身は自分で守ること……」


 彼女はそう言った。そしてまた繰り返すように、自分で呟く。

 あの背中の、隣に立つため。


 肉団子の手が伸びてくる。藍凪の控えめな膨らみへと目がけて。息荒くして。


「はぁ、はぁ、はぁ、お、おおおおぉ」


 藍凪はナイフを拾い上げた。それを振り上げるようにすると、手に届く範囲に来た肉の塊は中指と薬指の間を鮮やかに開かれ、そこから重油のような血がどぼりと溢れた。


「お?」


 離れたい気持ちを十分に耐えた反動で飛び退る。そんな藍凪と自分の手を、モウタは見比べるようにしていた。何が起こったのか。何をされたのか。遊ぼうとしただけなのに、どうして流血しているのか。


「おおおおおおぉまああああぁええええええぇぇぇー!」


 彼は完全に逆上した。

 まさか抵抗されるとは微塵も思っていなかったのだろう。怒りの度合いは分かりやすく、顔に血を集めて茹る。彼の様子があまりに滑稽だったので、藍凪の心は逆にフラットになる。

 真っ赤なタコのような顔面を前に、藍凪は冷めた目つき。


 だから、視えた。自分が辿るべき道筋が。終わりへ向かう流れが。


 以前と同じ現象だ。自身から伸びて相手へ向かう流れ。しかし今は細く見えづらい糸ではない。相手の場所を把握するだけだった以前とは、意味合いが違う。

 十分な幅を持った運命の奔流として、藍凪が辿ることが可能な『道』がそこにあった。藍凪自身から出でて、絶えずうねり動いては模様を変える。

 なだらかな曲流は敵を縫うように避け、そこから滝登りの如く駆け上がりながら斬撃、または支流に乗って回避行動。流れの中には結果の影が映し出されていて、沿って流れることで同様の結果へと収束する。

 流れに映った何人もの藍凪が、果敢に立ち向かっていた。

 幾多の可能性が目の前に広がっている。


 モウタがその巨体で突進してくる。愚直な走りは遅いものの、荷を積んだダンプカーと同じ破壊力を備えている。

 痺れるような圧力を顔に感じながら、しかし藍凪は退かず、流れの一つへ漕ぎつけるかのように、前進する。


「おーまーえーお前お前お前お前ぇ! そうだこっちに来いぃ! いっぱいいっぱいいっぱいいっぱい遊ぶんだよおおぉ!」


 とぼけた表情を微塵もなくしたモウタが怒気をまき散らしている。


 大丈夫だ。怖くない。このまま真っすぐ行くんだ。


 自分を奮い立たせながら、藍凪は向かい合うように直進。頭が流れからはみ出さないように屈めると、低まった視界にトンネルを見つけた。道はそこに続いている。

 そうしてモウタの股下へ滑り込んだ。藍凪の体は肉の塊に一瞬たりとも触れず、傷もない。代わりにモウタの足は、すれ違いざまの斬撃の犠牲となった。


「ひぃ……まただぁ。オイラにひどいことするなよぉ!」

「そんなのは! こっちのセリフなんだけど!」


 反転してまた別の流れに乗る。幾多にも伸びる必勝パターン。

 右側から弧を描きながら左へ流れ、近くの岩へ飛び移る。

 モウタは背の石槌を抜いた。その先端が藍凪を追うように振り回され、藍凪が飛び乗った岩に衝突した。

 驚くべき威力で無残にも破壊された岩の上に、藍凪の姿はない。


「はああああああぁぁぁぁぁ――!」


 最大級の気合いと勇気で前に跳んで避けた。そこまではいい。

 流れはそのままモウタの首筋に向かい、頸動脈を断てと示している。その一撃を以って最後を飾れと。

 しかし、その流れは藍凪に辿れるものではなかった。

 距離が遠すぎる。モウタに致命の一撃をくれてやるには、跳躍力が足りなかった。


「――ぁぁぁぁ……あれ?」


 気勢虚しく、あえなく落下。

 そうして辿り着いた、行き止まり。


「もう逃げられないぞぉ」


 足元に転がった藍凪を巨体が四つん這いになって覆う。ひどく動物的な行為だが、その体の圧は藍凪という小動物の動きを止めるには十分だ。

 いや、動きを止めるに収まるかどうか。下手をすると圧死、窒息死もあり得る。


「うそ……こんな終わり方なんて……」


 数秒後、藍凪はぶよぶよの肉に押しつぶされることになる。それがそのまま死に繋がるかは分からないが、捕まった時点で惨めな最期は避け得ないだろう。

 幾筋も伸びていたルートながれを決定的に選び間違えたのだ。

 手に持つナイフでは抵抗も不可能。打開策は引き出しになく、もはやこれまで。


「――何か」


 いやまだ。他に何かなかったか。記憶の中に、まだ開いていない引き出しが。その存在は微かに感じつつも、今まで触れてこなかった部分が。


「あったはず。何か、憶えてる」


 それは切り離された縁だ。彼女と寄り添った本来の居場所だ。

 未だ思考は続き、終わりを認めない。心の底から呼びかける声がどこかに伝わり、彼女の元に失っていた色を届けた。


 吹き抜ける、海辺の『源の碧しおかぜ』。


 彼女と嗅いだその香りを、確かに憶えている。


「お?」


 電気クラゲナイフに仕込まれた潮流器官に藍凪自身のマナが通された。だが術式は発動せず、異物を取り込んだ潮流器官はいともたやすく壊れてしまう。

 代わりに行き場を失ったマナが強力な奔流となり、一気に解放された。

 それは一陣の風となり、モウタの巨大な体を持ち上げ、壁の方まで吹き飛ばした。


「お……がぁ……」


 壁に亀裂が入るまで叩きつけられたモウタは白目をむいて気絶した。

 何をしたか、自分でも信じられない藍凪。

 しばらく放心した後、


「……ありがとう」


 今はもう風の気配を全くなくしたナイフを胸に抱き、誰にともなく礼を言った。

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