第四章その4


 翌日の土曜日、五月一〇日。


 翔は銃器メーカーのロゴキャップを被り、黒のジーンズに灰色の長袖上着にスニーカーを履き、できる限り地味過ぎず雑踏に溶け込むような服装で家を出る。部活とかで学校に行くクラスメイトとすれ違ったりしないよう早めに家を出て、いつもとは別ルートで新水前寺駅に向かった。

「おはよう太一」

「おはよう翔、今日はドキドキだね」

 太一は青いチューリップハットで頭を隠し、黒縁眼鏡をかけて印象を変えてる。服装は灰色のジーンズに緑のフリースと、この前とは色違いだった。

「ドキドキって……太一って眼鏡かけるほど視力悪かったのか?」

「ああ、普段はコンタクトを使ってる。眼鏡をかけるのは好きじゃないんだ」

 太一はいつも通り余裕の笑みで肯くと、舞が不愛想な表情でやってきた。

「おはよう二人さん……随分と気合いの入った格好ね」

 褒めてるのか皮肉で言ってるのかわからないが多分後者だろう。舞の服装は黒の山高帽を被り、赤のギンガムチェックにその上に紺色のGジャンを着て紺色のプリーツスカートを履いていて、本人もかなり気合が入ってる。

 太一はポーカーフェイスで微笑みながらストレートに褒める。

「皮肉かい中沢、君の方こそとても可愛いよ」

「柴谷君に言われても全然嬉しくないわ」

 舞は適当に受け流すと新水前寺駅に熊本方面行きの電車が入ってくる、翔は二人と目を合わせて警戒態勢に入る。

 もしかするとクラスメイトか同級生に密告される可能性もあり、できる限り目立たないように帽子で顔を隠したり、壁に向かって携帯電話を弄るふりをしてやり過ごした。

「そろそろいいと思うわ」

 舞が携帯電話のカメラの自撮りモードで確認すると、警戒態勢を解除。すぐに彩を探すがどこだろうと思った時だった。

「みんなおはよう」

 彩はショルダーバッグをかけ、長い黒髪を左ワンサイドにし、水色のブラウスに白のカーディガンを着て薄ピンクのハイウエストボリュームフレアスカートと、学校で見るよりかなり綺麗になってる気がする。

 舞は驚きを抑えるような表情で彩に歩み寄った。

「おはよう彩、お化粧したの?」

「うん……練習はしてたけど化粧して外に出るのは初めてなの」

 化粧した同級生の女の子、それは同時に一歩ずつ大人へと歩み始めてるのだと翔は実感する。それを知ってか知らずか、舞は無邪気に瞳を輝かせる。

「綺麗よ彩、なんだか大人の女性って感じがするわ」

 舞の言う通り綺麗に化粧した彩は大人の女性という感じだが、思春期の少女特有のあどけなさは隠しきれず、お出かけする上機嫌な新妻のように彩は微笑んだ。



 新水前寺駅前停留所から市電に乗り、太一と翔は通町筋で降りて舞と彩は辛島町で降りる、合流場所は銀座通りの交差点だ。

 窓の外から見たところ制服で歩いてるのは少数派で細高の生徒も数える程度だ。携帯電話の時計を見ると合流予定時刻は約三時間後だ。

「ねぇ舞ちゃん、せっかくだから交通センターの方にも寄って行かない?」

「ええ、行きましょう」

 舞は肯いて辛島町で降りると周囲を警戒しながら交通センター方面へ歩き、県民百貨店に入って書店のある六階までエレベーターで上がると、意外な場所でクラスメイトと鉢合わせした。

「あっ、萌葱ちゃん!」

「あれ? 彩ちゃん? それに舞ちゃん?」

 確かに長谷川萌葱だが、三つ編みお下げの髪をほどいてシンプルな黒髪ロングで前髪は切り揃え、眼鏡も外してもともと整った日本人形のように整った顔立ちが目を引く。私服姿もゆったりした感じで新鮮だった。

 するとどこからともなく現れた男の子に萌葱は「あっ――」と口を大きく開けた。

「知り合いかい長谷川」

「ああ……うん」

 萌葱はまるで自分の秘密がバレてしまったかのようで顔を赤くして肯くと、彩も微かに目を見開き口元を手にやって静かに驚く。

「萌葱ちゃん……もしかして」

「悪いが俺たちはそういう深い関係じゃない、今日は久しぶりに会っただけだ」

 男の子は察したのか、すぐに首を横に振って否定すると萌葱が紹介する。

「えっと……紹介するわ、中学時代の友達の江藤弘樹えとうひろき君よ」

 短い天然パーマに毒蛇のような三白眼を持つ少年で、背丈は翔と同じくらいだが彼よりは若干細い感じで、近寄りがたい雰囲気を放っている。

「初めまして江藤だ、長谷川がいつも世話になってる」

「こちらこそ、神代彩です」

「な……中沢舞です」

 舞はちゃんと挨拶しないと彩に注意されそうだったので、ぎこちない口調で初対面の挨拶をすると彩はぽわぽわっとした笑顔で萌葱に訊く。

「萌葱ちゃん、もしかして今日はデート?」

 ちょっと何訊いてるのよ彩! いくらデリカシーがない私でもここは触れないわよ! 舞は冷汗が噴き出すと萌葱が慌てて説明する。

「はわっ! はわわわわわ……あああのね! 江藤君は八代第一商業高校で寮生活をしてて! メールで面白い本を教え合って、週末だから帰省してて今日久しぶりに会ったのよ! それで今日は――」

「長谷川、俺が話す……あんたの言う通り、今日はデートだ」

 弘樹が言うと舞も思わず両手を口元でクロスさせ、彩は両手を頬に興奮する。

「あらあらまぁまぁ……萌葱ちゃんったらやるわねぇ」

「細高のことは聞いている。うちの学校とは正反対だ……だから今日のことは内密にして欲しい」

 弘樹は率直に言うと舞は勿論だと肯く。

「ええ、そのつもりよ」

「勿論秘密にするわ。でもいいわねぇ他校の男の子とこっそり逢引だなんて、恋愛小説みたいなことができて羨ましいわ」

 読書家の彩は頭の中に妄想を巡らせていてそれを知ってか知らずか、萌葱は苦笑していた。


「――という一幕があってあんまり情報収集にはならなかったわ。一応萌葱に聞いたけど制服の時は何度も先生に声をかけられたって、私服でイメチェンした時はそばを通っても呼び止められることはなかったって」

 舞は萌葱のお友達のことは伏せて話す。少し遅い昼食のホットサンドを食べる。銀座通りにある紅茶専門の喫茶店は彩が教えてくれたお店で、とても美味しくて隠れ家的なお店だった。

 彩はまるで自分のことのように惚気た笑みを見せる。

「萌葱ちゃん凄く可愛くていい顔してたわ……もう乙女の顔よ」

「長谷川さん、何かいいことあったのかい? 他校の彼氏とデート?」

 太一は相変わらず気持ち悪い笑顔で探るように訊くと、彩は人差し指を立てて悪戯っぽく言う。

「秘密です。ふふふふ……」

 ウィンクする彩に横目で見ていた舞は心の奥底で何かが芽生え、そして変な声で叫びたいという衝動に駆られるが抑えないといけない。でも叫びたい、何だろう? この気持ち、私にもして欲しい! もし自分にされたら生殖器が熱くなって卵細胞がゆで卵になっちゃう! 必死で隠そうとしても太一は誤魔化せなかった。

「どうしたの中沢、神代さんのこと見惚れてそんなに可愛かった?」

「……ええ、そうね。それで? そっちの方はどうだった?」

 舞は平静を装いながら話の話題を変えようと訊くと、翔は深刻な表情で言う。

「ああ、制服着てる時とは違って全然呼び止められなかった……あまりにも平穏過ぎると感じるくらいだ……気に入らない、嫌な予感がする」

「何か気になるのこと?」

「少し違うんだ中沢さん。実は太一が鶴屋でトイレに行ってる間、僕の中学時代の生徒会副会長で、今は細高でサッカー部をしてる坂本さかもと先輩に偶然会ったんだ……そこで……嫌な噂を聞いた」

 翔の「嫌な噂」というセリフにみんなが注目すると、翔は周囲に聞こえないよう小声で話す。

「これはあくまで噂レベルだが……放課後や休日に校則を破ってる生徒を見つけて、それを後日先生に報せると内申点を上げるという噂だ。しかも証拠が確実であれば確実であるほどポイントが高いということだ……坂本先輩が聞いた話では先生は盗聴や盗撮を黙認してるらしい、本当かどうかはわからないが」

「それじゃあ私たちが彩の家に遊びに行ったのも誰かが密告した?」

「うん、その先輩……僕たちが神代さんの家に出入りしてる三日間、サッカー部は土曜日の午前を除いてずっと練習だったんだけど……一年の一人が来る前に、お祖母ちゃんが病気で倒れたと言って帰り、連休中来なかった奴がいるらしい」

「サッカー部の一年で僕たちを知っているのは……少なめに見積もって四人だな」

 太一の眼光が鋭くなる、その四人は舞たちのクラスにいるサッカー部員だが彩は後ろめたく思ってるのか、躊躇った口調になる。

「でも……証拠もないのに疑うのは良くないわ」

「確かに……他の誰かという可能性も捨てきれないわ……情報収集と並行して、私たちのことをコソコソ覗き見してる輩をおびき出す方法も考えなきゃね」

 舞は彩にリスクを背負わせず、確実におびき出す方法を考える。一体誰が私たちを見ているのかしら? 下手に目立たず尚且つ確実な方法はないのだろうか?



 土曜日の情報収集が無事に終わったのは午後四時、翔はヘトヘトになって明日は部屋に籠ってゲームしようと家に帰り着く、ふと翔は思い立って音声記録も残そうと思い、中学時代に生徒会の仕事で使ってたICレコーダーを取り出す。

 そして今日の出来事を思い出しながら書き、夕食とお風呂を終えてようやく書き上げると録音を開始した。

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