匂い

「主将!?」

「てめえ、よくもやりやがったな!」

「生きて帰れると思うなよ!」


 空手部主将がやられたことによるショックから立ち直り、怒声を上げながら我先にと部員たちが突っ込んでくる。


 だけど岸園は物怖じしない。

 掴みかかろうとしてきた男の顔面に、肘打ちを決めた。

 痛みでうずくまろうとする男を蹴り飛ばし、独楽こまのようにくるくると吹き飛びながら後続の男たちを巻き込んでいった。

 その隙を逃さず、倒れた男たちの首元を蹴り上げて、意識を刈り取っていく。


 俺は呆然と立ち尽くしていた。

 目の前で繰り広げられる、一方的な光景を前に、声が出ない。

 ふいに、脳裏に上級生の声が蘇った。



 ――岸園さんって、親が警察官のお偉いさんだから護身術を教え込まれているとかで、めっちゃ強いんだよねー!



 なぜか俺は……子供の頃に見たアクション映画を思い出していた。

 強大な敵を前に、たったひとりで立ち向かう主人公。

 多勢に無勢。絶望的な状況にも関わらず。

 だけどそれ以上の、圧倒的な強さで返り討ちにしていく。


 まさに暴力の化身とでもいうべき存在が、とても恰好よかったことを覚えている。


 岸園の、この現実離れした強さは何なんだろう。

 仮にも相手は空手部の部員だ。そんじょそこらのチンピラとは違う。

 にも関わらず、屈強な男たちをたったひとりで蹂躙するだなんて……護身術とかそういうレベルを遥かに超えている気がする。


 はっきりいって異常だ。

 寒気を覚えるほどに、恐ろしい。

 もし暴力の矛先が自分に向いたら、どうなってしまうのだろう。

 考えるだけでも……震えが止まらない。


「や、やだ……やめてくださいよ。い、委員長……あ、あたいは……そいつに手は出してないし」


 怯える柳川に、じりじりと岸園が迫った。

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、可哀想なくらいに震えている。

 空手部たちは倒れ伏していて、彼女を守れる者は誰一人としていない。


「だ、だから……み、見逃してくれませんか……?」

「……無様だな。見るに堪えん」


 岸園はため息を吐いた。

 今にも噴火寸前の火山みたいに、その表情は耐え難い憤怒に満ちていた。


「物語を盛り上げる為には、貴様みたいな何をするかも予測のつかない汚れ役も必要不可欠だと、そう思って泳がせていた。だが、まさか主演に傷をつけるとはな。そんな変化は、私の望むところではない!」

「ひぅっ……な、なにっ、なんなんですか?」


 柳川は、恐怖に顔を歪める。


「貴様の出番は終わりだ。とっとと舞台から降りろ、この大根役者が!」

「ぎゃあぁぁぁ……っ!?」


 岸園が柳川の腹に、蹴りを叩きこんだ。

 竹槍のように鋭利な一撃に、柳川は吐しゃ物をまき散らしながら、倒れ伏した。


「さて、と。ようやく静かになったか」


 岸園が俺の方へと振り返る。

 ちょっとやり過ぎなような気がするけれど……この人が危ないところを助けてくれたのは事実だ。


「その、委員長。助けて頂いて……ありがとうございます」


 頭を下げてみたけれど、どうでもよさそうに岸園はふっと鼻を鳴らした。


「最近、私のことを嗅ぎまわっているのは貴様か」

「え?」


 たしかに岸園のことを調べるために上級生たちに聞き込みをした。

 それは、想い人である綾藤透のためであって。


「――いいから答えろ」


 有無を言わせぬ重圧に、息が詰まる。

 もし答えを拒否するなら、拳が飛んできそうな勢いだ。


 どうする。……正直に話すか?

 けどそんなの綾藤に申し訳が立たない。

 あいつは自分の口から打ち明けたいだろうから、それを俺がバラしてしまうのは気が引ける。

 しかしそういった事情を知らない委員長にとって俺は、勝手に探りを入れてくる不審者に見えるのだろう。


 でも話さなければ。

 そこで倒れている柳川たちみたいに酷い目に遭わされる。

 俺は一体……どうすればいい?

 ぱくぱくと酸素を求める金魚みたいに口を開けていると――


「その反応……もしかして本当に貴様ではないのか?」

「は?」

「すまない、人違いだったようだ。今のは忘れてくれ」


 かと思うと、意味不明なことを言われた。

 しかも勝手にひとりで納得したように何度も頷いている。

 さっきまでの重圧が嘘みたいに霧散していた。


「たいした怪我はしてないようだが、一応保健室で診てもらうといい。主演がキズモノになっては大事だからな」

「は、はあ」

「それでは帰らせてもらおう。とうに二限目が始まっている故な」


 そう言って、委員長は背を向けて、この場を去ろうとする。


 なんだったんだ。

 まるで意味が分からないぞ。


 そう……意味が分からないといえば、先日の持ち物検査。

 あのときも岸園はよく分からないことを言ってきたっけ。


「委員長。ひとつ聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「数日前、持ち物検査したじゃないですか。そのとき、俺に”臭うな”って言いましたよね? あれ、どういう意味ですか?」


 委員長はぴたりと足を止めた。


 振り返らない。

 けれどその背中に、わずかだけど焦りのようなものを感じ取れた……気がする。


「……元気なら早く授業に戻りたまえ。勉学に励むのが学生の本分だ」

「はぐらかさないで、俺の質問に答えてください」

「答える必要があるのか?」

「おかしいな。俺、そんなに難しいこと言いましたっけ?」

「……」

「もう一度言います。なぜ俺の質問に、答えてくれないんですか?」

「……」

「それとも。答えられない、やましい何かがあるんですか?」


 ようやく委員長が振り返る。

 てっきり怒っているかと思ったけれど、意外なことに冷静そのものだ。

 やはり警察の娘なだけあって、肝が据わっている。

 感情を表に出さない訓練を受けているのだろうか。


「そういえば……この前の荷物検査のことで、伝え忘れていたことがあった」

「なんです?」

「生徒手帳は学生鞄の中ではなく、学ランの胸ポケットに常に携帯しておくこと。細かいようだが、それは我が校の学則で定められた決まり事だ」

「はあ? それと俺の質問に、何の関係があるんです?」

「私に何か物申したいならば、まずは校則を守りたまえ。話はそれからだ」


 それだけを言うと、委員長はきびすを返した。

 今度こそ振り返ろうとせずに、立ち去って行った。


 後には倒れたまま動かない空手部員と、俺だけが取り残されている。

 俺は痛みを訴える身体で、なんとか立ち上がろうとしたとき。


「あ、あきら君! 大丈夫! 無事?」


 委員長と入れ違いで、姫川が慌てて駆け込んでくる。

 

「ああ、なんとかね。秋葉が委員長を呼んでくれたのか?」

「う、うん。あの後”たまたま”通りかかったから……って、そんなことよりもひどい怪我してるじゃん! 早く保健室いこうよ!」

「……たまたま、ね」


 もしかしたら最初からすべてを見ていた可能性がある。


「え? どうかしたの?」

「いや、なんでもない。それと保健室はなしだ。俺が怪我してるのを知れば、春咲さんに心配をかける」

「で、でも」

「それよりも、この一連の事件を仕組んだ犯人が分かったかもしれない」

「え、それって例のストーカー? どこの誰なの、そいつは?」

「知らない方がいい」

「なによそれ。ウチは仲間外れってこと?」

「違う……そいつはすごく危険な奴なんだ。知れば、危ない目に遭うかも」

「それなら尚更だよ。あきら君ひとりじゃ――」

「そんなことより」


 俺は姫川の言葉を遮るように大声を上げながら、立ち上がった。

 岸園が去っていった方を睨みつける。


「秋葉は、春咲さんを頼む。お願いしてもいいかな?」

「う、うん。わかったよ……」


 あのときの風紀委員長の背中からは。

 ――何かやましさを隠そうとする、秘密のにおいがした。




 ◆




 昼休み。


 気まずい雰囲気の漂う教室を抜け出して、校庭をぶらぶらと歩いていた。

 最初は早退する冬葵を、姫川と一緒に見送るつもりだったけれど、殴られて腫れた顔を見せる訳にはいかなかった。

 心優しいあの子に、余計な心配をかけたくない。


 一応、岸園が後をつけてないか確認してみたけれど、彼女はずっと二年の教室にいた。学校を離れる気配はなさそうだ。

 冬葵がいますぐ何かされることはないだろう。


 とにかく問題は岸園だ。

 彼女をどうにかする作戦を練るため、静かに考え事が出来る場所を探して歩きまわっていた。

 適当な雑木林の陰で、腰を落ち着けようとしたとき。

 そこにはすでに、先約がいた。


「綾藤……?」

「あ、沢野さん。き、奇遇、ですね」


 丸眼鏡の真面目君こと、綾藤透が木の陰で身を隠すように座っていた。


「その……ひどい顔、どうしたんですか?」

「ああ。ちょっとイジメに遭ってな」

「そう、ですか。嫌、ですよね。そういうのって」


 綾藤が悲しそうに顔を伏せる。


「実はその、僕もイジメにあってまして……」

「そうなのか?」

「はい。柳川さんって人と、その彼氏の方に……なぜか今日は、珍しく何もありませんでしたけど」


 あいつらは岸園に痛めつけられて、再起不能だろうしな。

 そのあと奴らがどうなったかは分からない。

 教室にも戻っていないようだし、やられてしまった手前戻りにくいのだろう。

 あのときは委員長に引いてしまったけれど、いま思い返せばいい気味だ。


 綾藤に岸園のことを伝えたら喜ぶだろうか?

 お前の想い人が、その元凶をボコボコにしたのだと。

 でも、どうにも素直にそれを切り出せる気がしなかった。

 その岸園が、俺と冬葵に嫌がらせをしている張本人かもしれないのだから。


「なんでイジメって起こるんだろうな?」

「さあ。き、きっと彼らにとっての幸せがそれなんでしょうね」

「幸せって……」


 他人を攻撃して、辱めて。

 それで掴み取ったものが本当に幸せと言えるのだろうか。

 俺はそうは思わない。


「その上、僕は反撃しないし、サンドバックに丁度良かったんでしょう」

「綾藤は、悔しくないのか?」

「いいです、別に。このくらい、なんてことありません。どうせ高校を卒業するまでの辛抱ですからね」

「そうかな?」

「はい。あんな奴らに構わず、僕は幸せになってみせるんです」


 綾藤は力強くうなずいた。

 それはただの強がりではなかった。

 俺たちに委員長に告白したいと言ったときに見せた、本気の表情だ。


「そのためには勉強を頑張りたいと思います。いい大学を出て、良い企業で働いて、大金持ちになって、素敵な人と結婚して、そしてざまあみろって見返してやるんです」


 ちょっとクサかったですかね、と綾藤は照れくさそうに頬をかいている。


「いや、そんなことはない。すごいな……綾藤は」


 俺にはとてもそこまでの意思は持てそうにない。

 さっきだって空手部の奴らに囲まれたとき、心が折れそうだった。

 冬葵のことがなければ……今すぐにでも逃げ出したいくらい怖かった。


 その点、綾藤は強い。

 俺が思ってるよりも、ずっと。


 気が弱くて、口調こそおどおどしているから勘違いしてしまうけれど。

 内に秘めた真っすぐな思いは、誰にも引けを取らないたくましさがある。

 そのためならどんな辛いことも、辛抱強く耐えられるのだろう。


「そんなこと、ないですよ。僕が本当に強かったら、彼らにやり返すか、手出し出来ないように対策していたでしょうし。……腕っぷしに自信のない僕に出来る事は、勉強しかなかった。それだけ、なんです」


 だから、と綾藤はぎゅっと拳を握りしめる。


「まず幸せを手に入れる第一歩として、僕は――僕が最高だと思う彼女を手に入れたい。そう思うんです」


 成る程。

 だから綾藤は惚れた相手に、岸園に告白しようと思い立ったのだろう。

 綾藤のためにも、なんとしてでも恋路を叶えてやりたい。

 改めて、強くそう思った。


 だけどその一方で。

 岸園のことを思うと……心にどんよりと暗雲が立ち込める。

 綾藤の想い人は、とんでもない過ちを犯しているかもしれないのだから。


「ねえ。沢野くん。君に、好きな人はいますか?」

「な、なんだよ急に……」


 あまりにも唐突な問いかけに、しどろもどろになる。


 ぱっと頭に思い浮かんだのは……


 腰まで垂れさがるプラチナブロンド。

 整った綺麗な眉。

 すっきりとした鼻梁。

 赤ちゃんのように小さくて柔らかな唇。


 ――春咲冬葵だ。


 彼女のことを思うと、胸が高鳴る。

 その笑顔をいつまでも守りたいと思う。

 でも――


「そんな人は、いない」


 浮かび上がったイメージを打ち消すように、俺は首を横に振った。

 だけど綾藤は苦い顔をした。


「嘘だ。君には好きな人がいる」


 なぜか感情の入った、力強い声だった。

 しかも妙に鋭くて、苦笑してしまう。


「やけに食いつくな。なぜそう思う?」

「別に。なんとなくそう思っただけ、です」

「たしかに好きなのかもしれない。でも俺は……彼女にひどいことをしかけた。だから、好きになる資格なんてないんだ」


 ふぅん、と綾藤は頷いた。


「まあ、引き際を見定めるのも大事なことかもしれませんね」


 食いついてきたかと思えば、なぜかあっさりと引き下がった。

 何だったんだ、今のは。

 とりあえずお返しにこちらも訪ねてみるとしよう。


「綾藤は委員長のどこが好きなんだ?」

「はは、わからないです。好きな人のことを考えると、心がふわふわして考えがまとまらないんですよ」

「ああ。それは分かる気がするな」


 相手の事を思っている時間。

 その胸のときめきは辛くて痛くて。

 でも、何物にも代えがたい幸せだったりする。


 さて、前置きはこの辺りにしておこう。

 綾藤にはとても酷なことで気が引けるのだが……前に進むためにも、大事なことを聞いておかねばならない。


「なあ、綾藤」

「何でしょうか」

「これはさ。もしもの話なんだけど」

「はい?」

「自分の好きな人がさ、取り返しのつかない過ちを犯していても、好きになれる?」

「はい。問題ありません」


 答えにくいかと思われたその質問を。

 意外なことに綾藤は、一瞬の迷いも見せることなく頷いて見せた。


「むしろその間違いを、僕が正してあげたい。解らせてあげたい。やっぱり何でも本音を言い合える信頼関係を築いてこそ、理想の恋人の在り方だと思うんです」

「まだ恋人じゃないけどな」

「そ、そうっ、でした。ま、まだまだこれからでした」

「そうだな。まあ……その答えを聞けて、満足したよ」


 ゆっくりと、俺は立ち上がる。

 最初はこの依頼に乗り気じゃなかったけど、決めた。


 相手は強大で。

 俺では太刀打ちできないような危険な存在だけれど。

 やはり俺は、綾藤の願いを叶えてあげたい。


 そのためにも、岸園を何としてでも止めなければ。

 間違っているものを、正すために。

 冬葵を泣かせた犯人を許してはおけない。


 ……決着のときは、もうすぐそこだ。








 ―――――――――――――――――――――


 ※次回更新についてのお知らせ

 https://kakuyomu.jp/users/bell_snow/news/1177354054922593715

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