聖女の由縁

 ――冬葵ちゃんとあきら君が恋人になれば、何も問題ないんじゃない?



 ほとんど不意打ちのように放たれた姫川の言葉に、俺は凍りついた。

 今度こそ言葉が、出ない。

 ……こいつは一体、何を考えているんだ。

 

 隣では、冬葵がぽかーんと口を開けている。

 数瞬の硬直の後。

 ようやく姫川の言葉の意味を理解したのか、

 冬葵の目は泳ぎ、あわあわとおたつき、耳たぶまで真っ赤になって。


「わたしと沢野さんは……そういうのじゃっ……ありません」


 さくらんぼ色の唇をきゅっときつく引き結び、黙り込んでしまう。

 だけど姫川は反撃の手を緩めず、畳みかけるように言う。


「ふーん、そうなんだ。じゃあ、ウチがあきら君取っても、問題ないってことだよね?」

「……――っ!」


 冬葵は苦しげな息を漏らした。

 痛みに耐えるように、目を伏せて、顔をうつむかせてしまう。

 何も言えないとでもいうふうに。


 姫川は何を考えている? なんでこんなことをする?

 冬葵もどうしてそんな表情をするんだ?


 ……俺は一体、何を見せられているのだろうか。


 このどうしようもなくいたたまれない空気をぶち破るように――


「ごめんごめん。冗談だって、冗談」


 ぱんっと両手を合わせて、姫川は軽く頭を下げる。

 冬葵がきょとんとした顔になる。


「ほら、恋愛小説とかであるじゃん。仲良くなってきたふたりを引き裂くように現れる魅力的な異性! ……みたいな? いかにもそれっぽかったでしょー」

「あー、なるほど。そういうことでしたか」


 冬葵がほっと息を吐きながら、ゆっくりと胸を撫で下ろす。


「……けど、今回はいくらなんでも悪ふざけが過ぎますよ。姫ちゃん」


 ぷっくりと頬を膨らませる冬葵に。

 姫川は悪びれることもなく、たははと笑う。


「へへん、ふたりとも騙されてやんのー」


 どうやらこれも小説のネタのつもりだったらしい。

 あまりにも姫川の顔と声が迫真の演技だったせいか、危うく俺も呑み込まれてしまうところだった。


 これを友達思い……という言葉で片づけるには度が過ぎてる気がするし、少し腑に落ちないところがあるけれど。

 なによりも自分のことを臆面もなく魅力的な異性と言いきるところが、実に姫川らしい。


「そうだぞ、姫川。次からこういうのは無しで頼む」

「そんなにすごかったの? ウチ、演劇の才能あるのかなー」

「やるとしても事前に相談してほしい。その……いきなりですごくビビったからさ」

「えー、やだー。だって二人の驚く顔、すごい面白かったもん」

「とにかく。やめてくれ姫川」

「名前で呼んでって言ったでしょ」

「……やめてくれ、秋葉」

「うん、わかった。考えたげる」


 それが最大限の譲歩だというふうに。

 小悪魔のような笑みを浮かべ、八重歯を覗かせた。



「…………まだ早すぎたか。ほんとにふたりとも、強情なんだから」



 ぼそり、と姫川の口元がかすかにうごめいた気がした。


「ん? 姫川、いま何か言ったか?」

「いーやー、何でもないよ」


 にっこりと笑う。

 姫川が小声で何事かをぼやいてた気がするが……追及はやめておこう。

 これ以上、こいつに振り回されるのはたまらない。




 ◆




 教室から場所を変えて。

 俺たちは屋上に続く階段の踊り場にいた。

 さっきは色々とかき回されることになったけれど、ここなら人も来ないし密談をするにはうってつけだ。


 俺のような存在にとっては、人の目が無いというだけで安心できる。

 こんな美少女2人と一緒に仲良く会話しているところを見られようものなら、あらぬ誤解を受けそうだ。

 とはいえ、さっきあんなに悪目立ちして、後ろ指をさされるようなことをしでかしてしまったから後の祭りなのだけれど。

 というかほとんど姫川のせいなのだ。

 下手をすれば、もうすでに学校中で噂になっているだろう。


 あの姫川に彼氏が出来たとか。

 冬葵と姫川が男を取り合っていたとか。

 聖女と姫がキャットファイトをしていたとか。

 多分、そんな感じで。


 ……今さらどの面を下げて教室に戻ればいいのか、わからない。


「どうしたの、あきら君。すごい疲れ切った顔だよ」

「……誰のせいだと思ってるんだ」

「あはは。まあ、それはさておき」


 さておくな。


「それでは、冬葵ちゃんの小説会議を始めようと思いまーす!」


 正直こいつには色々言ってやりたいことがあるが。

 今は冬葵の夢を叶える方が大事だ。

 さっきのやり取りで昼休みの半分以上を使ってしまったし、なるべく有意義に時間を使っていきたい。


「すいません。おふたりの貴重な休み時間を、わたしのために浪費させてしまって」


 冬葵は申し訳なさそうに、整った眉の端を下げる。


「気にしないでくれ、――じゃなかった。春咲・・さん。これは俺たちがやりたくてやってることだし」

「うんうん、良いこと言うじゃない。冬葵ちゃんがウチらを頼ってくれるのは嬉しいからさ」

「ありがとうございます。おふたりとも」


 嬉しそうに――でもなぜか少しだけ複雑そうな顔を浮かべながら、冬葵は頷いた。


 さて、小説会議を始めたはいいが、特に俺から言うことはない。

 連日のように冬葵と学園あるあるや、学園モノのテンプレ展開についてそれなりに議論を重ねてはいるが……俺たちにはもうネタが思い浮かばない。

 冬葵が来るまで、バイト三昧だった俺には学園で楽しく過ごした経験が圧倒的に不足している。

 それゆえに、ラノベや漫画やアニメといった創作物でしか……学園生活の楽しさを語ることが出来ない。


 多分その点に関しては、冬葵も同じだろう。

 今まで恋をしたことがないと言っていたし。

 だからそろそろ別の方向からアプローチをかけることで、新鮮なネタを取り入れていきたいところだ。


 そういう意味では、姫川は俺たちとは違う。

 多分、この三人の中だと一番学園生活が充実している。

 誰とでも仲良くなれる才能があるし、誰とでもぐいぐいと距離を詰めることが出来る彼女だからこそ、俺たちにはない視野を持っているはずだ。


 さっきの姫川の”恋仲の二人の前に現れる魅力的な異性”を演じてくれたのは実に刺激的だった。

 引き換えにいろんなものを失ったので、俺個人としては……あまり褒めたくはないけれど。


 とにかく、期待を込めて姫川を見やる。


「はいはーい」

「なんだ、姫か――秋葉」

「実はこの中に、ふたり処女がいます。さあ、誰と誰でしょう!」

「……真面目にやれ」


 というかそれ問題になってなくない?


「じゃあそれならアレとかどうよ?」

「アレ?」

「ほら、冬葵ちゃんの机とか下駄箱に、大量に来てんじゃん」

「ああ、それってラブレターのことか……?」


 冬葵の下駄箱の中や、机の中に、まるで郵便ポストみたいにラブレターがぎっしりと詰め込まれているのを見たことがある。

 それがほぼ毎日のように繰り返されていても、冬葵は顔色ひとつ変えることなく、差出人の名前を確認し、ひとりひとり丁寧に断りを入れているのだとか。


「んー、そうだけどそうじゃないかな」


 だが姫川の返事はどうにも歯切れが悪い。


「どういうことだ?」

「ラブレターの中に混ざってるんだって。罪の告白だとか」

「……罪の、告白?」


 意味をはかりかねて冬葵を見やると、彼女は静かに頷いた。


「駄菓子屋でお菓子を万引きしてしまいましたとか、お母さんとケンカしちゃいましたとか、学校の窓ガラスを割って逃げ出しちゃいましたとか……そのようなものをお見かけするときがあります」

「へぇ……」


 本当に罪の告白だった。

 教会の懺悔室かよ。


「しかも冬葵ちゃんは嫌がるそぶりを見せることなく、律儀に全部聞いてあげてるんだよねー」

「そうなの、春咲さん?」

「はい。わたしにはお話しを聞いてあげることしか出来ませんが……なぜかそれだけでも、皆様は満足そうなお顔をして帰っていきますので……」


 本当はわたしが何かしてあげられたらよいのですが……と冬葵は少し申し訳なさそうな顔で言う。


 お人好しが過ぎるというか。

 愛の告白だけでなく、罪の告白まで引き受けていたとは、いよいよ本物の聖女だ。


「あとあとー、その中でも、ものすごいお願いとかも来ちゃうらしいよ」

「ものすごいお願いって?」

「はい。迷子になった飼い猫を見つけて欲しいなど、ご友人とケンカして気まずいから仲裁してほしいなど、部活の大会で優勝したいから応援してほしいなど、おばあさまのお身体の具合が悪いから代わりにお店を手伝って欲しいなど……ですね」


 な、なにそれ?

 冬葵を何でも屋と勘違いしてないか。

 というか彼女の机や下駄箱を郵便ポストに例えていたけれど……ほんとに郵便ポストじゃん。


「春咲さんはそれ、どうしてんの?」

「全部、解決してあげました」


 迷いなく。

 きっぱりと。

 そうも言い切るだなんて。


 

 恩返しだといって、俺に三食振る舞ってくれたり、家賃を肩代わりすると申し出てくれたり、俺が求めたとき身体を差し出そうとしたり……。

 見ず知らずの他人のために、自分の身を犠牲にしているような気がしてならない。

 何が彼女を、そこまで駆り立てるのだろうか。


 とにかく。

 そんなふうに、手紙に書かれた人助けを繰り返している内に――


 電車で妊婦を見つければ席を譲り、重い荷物を持った老人がいれば肩代わりしてあげたり、病に臥せる重症患者のために迷わず自分の臓器を差し出したとか。


 そんな本当のような噂話が過剰に盛られ、一人歩きした結果。

 輝かしい伝説が語り継がれるようになって。

 いつしか”聖女”と呼ばれ、崇め奉られてしまうようになったらしい。


 俺と霧谷が教室で馬鹿話をしている裏で、冬葵がそんなことをしていただなんて。

 ……とんでもない話だ。

 でもたしかにこれは美味しい。

 冬葵の小説づくりのネタとしてこの上なく美味しそうだ。


「で、冬葵ちゃん。また最近、何か面白いお願い来てる?」


 ああ、とうとう姫川のやつ面白いとか言っちゃったよ。

 ……その気持ちはわからないでもないけどさ。


「その件なのですが」


 俺と姫川の期待するような眼差しを受けて――


「実は今朝、こんなものが届いておりました」


 冬葵は鞄から、一通の封筒を取り出した。





 ――そのたった一枚の紙切れが、俺と冬葵の距離を近づけることになるとは。

 このときの俺たちには思いもよらなかった。

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