再戦の前に

 昼休憩を挟んでトーナメントの対戦表が公開されると、小牧は待ち望んでいた巡り合わせに、ぱちくりと目を瞬かせた。

 トーナメント四回戦に小牧の名前があり、対戦相手の欄にはのたうつヘビのようなアラビア文字の名前があった。


「はぁぁぁぁぁぁぁ」


 大きく口を開けて後、小牧は意味の不明な溜息を吐く。

 蟹江は隣の少女から発された遠慮のない溜息を耳にして、どうしたんだという目で小牧を見下ろした。

 蟹江の視線にも構わず、小牧は対戦表をぽかんと眺めている。


「そんなに驚くことか?」


 自分から話しかけるしかあるまいと判断した蟹江は、小牧の顔を覗き込むようにして尋ねる。

 目の前に蟹江の不思議そうな顔が現れて、ようやく小牧は対戦表から意識を戻して、蟹江の顔に焦点を合わせた。


「なんでしょうか、師匠?」

「ぼおっとしてたから話しかけたんだが、そんなに対戦相手がアブラヒムなのがショックなのか?」


 蟹江の質問に、小牧は遅れ気味に苦笑いを返す。


「違いますよ、師匠。驚いたなんてもんじゃありません」

「じゃあなんだ? 前にアブラヒムと会った日のことを思い出してたのか?」


 小牧がアブラヒムにスピードカードで敗北を喫した日のことを暗に示して、普通ならそうなる、という考えで蟹江は訊く。

 その問いにも、小牧は苦笑いを持続させる。


「よくわからないんですけど、心の底から沸々と熱いものが湧いて溢れてくる感覚があるんです」


 蟹江には小牧が感じている心情の正体が、すぐに思い当たった。

 闘争心である。

 それは恐れも緊張も自棄もあらゆる心の変動を包み込んで、眼前の戦いにのみ意識が集中される特殊な興奮である。


「この感情は、一体なんなんでしょうか?」

「さあ、俺にもわからん」


 冷ますべきでない小牧の感情に、蟹江は関与しないように知らないふりをして話を打ち切った。

 小牧は新たな話題を求めて、対戦表に目を戻す。


「師匠の対戦相手は……この人ですね」


 蟹江の対戦相手はCグループ二位通過のドイツチャンピオンだ。


「師匠、勝てそうですか?」

「勝てそうも何も、決勝まで行かないとトニーとはやれないからな。勝利以外の選択肢はない」


 蟹江は表情を引き締めて答える。

 大会でも後ろ向きな緊張を感じさせない師匠の姿勢に、小牧の方がほっとした気持ちになる。


「あたしよりも先に師匠が負けちゃったら、あたしも戦いづらくなりますから、心配いらないようで安心しました」

「小牧、お前は俺よりも自分の心配をしろよ」


 懸案するような眼差しで蟹江は小牧を見つめる。


「はい。もちろん、自分の心配もしてます。どうやってアブラヒムさんに勝とうか、検討してます」

「アブラヒムに勝つことも大事だけど、情けない姿だけは見せるなよ」

「どういうことですか?」


 蟹江の注意する意味が分からず、小牧は頭に疑問符を浮かべているような表情になる。


「小牧の卓は、配信卓だぞ」

「ハイシンタク? なんですかそれ?」


 ほんとうに無知な様子で訊き返す。

 小牧がまさか配信卓を知らないとは思わず、蟹江は小牧の緊張を助長しないよう、直截的な説明を避ける。


「えーとだな。配信卓っていうのは、カメラで撮影してその映像をみんなに観てもらう、そんな感じかな」


 頬を緩めて小牧は問う。


「みんなって、どういう人たちですか。メモリークラブの人達ですか?」


 会場内の大型モニタで試合が生中継、なんて言われたら、小牧は仰天して飛び上がるに違いない、と蟹江は密かに思った。

 蟹江はことさら本当の事を言い出しにくくなった。


「クラブのみんなに観られるんですか。ちょっと恥ずかしいです」


 そう言って小牧ははにかむ。

 勝手に信じ込む小牧に、蟹江は訂正する気も無くなり、このまま小牧の勘違いで押し通すことにした。


「そうだな。お前は初めてだし、確かに恥ずかしいかもな」


 小牧に微笑みを向けて、肯定する素振りをしてせみる。

トーナメント一回戦の各卓の選手、準備お願いします、と大会スタッフのアナウンスが聞こえると、蟹江は身を翻した。


「俺はこっちだから。それじゃ健闘を祈るぞ小牧」


 そう言う蟹江に、小牧は覚悟の固まった顔で頷く。

 師弟はそれぞれの対戦卓に向い、歩を運んだ。

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