一つ後ろに居たい
「話があるんだけど、いい?」
バイトを切り上げて更衣室を出た蟹江は、神妙な顔をした弥冨にそう呼び止められて、断る理由もなく帰り道を連れ添うことにした。
ファミレスを後にしてしばらくすると、弥冨が疑問めいた視線を投げる。
「ねえ陽太、なんでバイトなんかしようと思ったの?」
「単純な話だよ、お金が必要になったんだ」
さも当然という顔で蟹江は答えた。
それは知ってる、と弥冨は継いで質問を重ねる。
「私が気になってるのはどうしてお金が入用になったのか、よ。大きな買い物をしたわけでもなさそうなのに、どうして?」
「パソコンを買うんだよ」
「パソコン? あんた一台持ってるでしょ?」
「俺のじゃないよ」
含んみを持たせるように微笑んだ蟹江の返答で、弥冨の脳裏に鼻持ちならない女子中学生の姿が浮かび上がる。
途端に弥冨は訝るように目を細めた。
「まさか、生意気なあんたの弟子のため?」
「あいつ、パソコン持ってないらしくて。中学生だからバイトも出来ず買うお金がないだろうから、俺が買ってあげようと思ってな」
優しい口調で言う蟹江に、弥冨が不服そうに口を出す。
「私、あんたからお返し意外にプレゼント貰った事ないんだけど?」
「プレゼントって訳じゃないよ。小牧がMGCに出たいけど持参のパソコンがないと出られないから、師匠として希望を叶えてやろうと思ってるだけだ」
「師匠としてねぇ。その気持ちに、こう、なんというか、恋愛的なものは入ってないのね?」
自分で訊いておいて恥ずかしくなって弥富は視線を外した。
「ないな」
迷いのない声で蟹江は即答した。
ほんとに異性として意識してないんだ。
蟹江の返事に、弥冨は内心で安堵する。
「あの子に蟹江がほだされたかと思ったわ。恋愛の気がないなら、それでいいんだけど」
「前も言ったが、師匠と弟子だぞ。恋愛感情が混ざったら良好な関係が崩れちゃうだろ」
「そうね、崩れるわね」
蟹江の変わらない意思が聞けて、ちょっとした嬉しさを隠して同意した。
色恋事情を避けて、弥冨は話題をMGCに移すことにした。
「それでMGCのことだけど、陽太は今年出場するの?」
「当然だ。国内予選一位は頂くぞ?」
自信たっぷりに言う。
承知している顔で弥冨は続ける。
「国内予選はあんたが一位なのは間違いないだろうけど、その下二名よ。ちなみに私も出場するつもりだけど、誰が通過すると思う?」
蟹江はなんでそんな決まりきった質問をするんだ、という面持ちになる。
「そりゃ、弥冨と小牧に決まってんだろ」
冗談はやめてと言いたげに、弥冨が苦笑する。
「別に決まってないわよ。現に三嶋さんがいるし……」
「三嶋さんか。あの人も結構強いが、二人の敵じゃない。実力を見てればわかる」
「そんな、やる前から……」
「それだけお前と小牧のレベルが高いってことだ。二位、三位はお前と小牧だ」
未来予知者のように蟹江は断言する。
揺るぎない蟹江の口調に、弥富は毒気を抜かれた。
だけど、ほんとに知りたいのは。
「そこまで言うならあんたを信じてみるけど……それなら」
訊くべきか訊かないべきか迷って、言葉を切った。
「それなら、なんだ?」
蟹江は言葉の続きを促す。
「正直に答えてくれる?」
確かめるように尋ねると、蟹江は頷いた。
弥冨は真剣な眼差しで問う。
「私とあんたの弟子なら、どっちが勝つと思う?」
「お前だな」
「弟子を応援しなくていいの?」
「俺はお前に勝って欲しい」
弥冨は蟹江の真意を測りかねた。
どうして、と問う目に、蟹江は信頼した笑みを浮かべる。
「今まで国内の大会で一位を取った時には、必ず二位の席にはお前がいただろ。だから二位がお前じゃないと、なんか落ち着かないからな」
「ふふっ、そんな風に思ってたのね」
意外そうな口ぶりで弥冨は笑みを漏らす。
世界一位に手が届きそうな蟹江が、子どもっぽい我が儘を言っているみたいで、面白かった。
「何で笑うんだ?」
蟹江は自分が何か笑われるようなことを言ったのか、と疑う。
別に、と弥冨は返して笑みを引っ込める。
「あんたの為って訳じゃないけど、私はあの子を二位にはさせない」
SCCの時のように失敗したくない。そして蟹江の隣である、あの子に二位の座は明け渡さない。弥富の対抗心は燃え盛っている。
陽が沈んだ空の下、次の交差点で二人は別れた。
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