意外にずる賢い日本一

 場所を移して、近くのファミレスの一卓。


「へえ、世界一位の妹さんですか」


 蟹江からエミリー・ウィンターの本当の素性を聞かされた小牧は、向かいに座る当のエミリーを見て感心した声で言った。

 フフン、とエミリーは誇るように鼻を鳴らす。


「いわば世界一に一番近い女なのヨッ」

「物理的な近さだけどな」


 蟹江が淡々と突っ込む。


「それで結局、エミリーさんと蟹江さんはどんな関係ですか?」


 小牧は最も気になる疑問を二人どちらともなく投げ掛けた

 蟹江が口を開くよりも先に、エミリーは陶然として顔を赤く染めて答える。


「新婚夫婦ヨ」

「そんな事実は銀河規模で存在しない。ほんとに普通の知り合いだ」


 あっさりと蟹江が訂正した。

 エミリーは、途端に蟹江に向いてはにかむ。


「照れなくてもイイノヨ?」

「照れるも何もほんとう普通の知り合いだからな」


 先程の反復のように言った。

 そんなことよりも、と蟹江は話頭を転じる。


「エミリー、なんでお前そもそも日本にいるんだ?」

「理由なんて他にないから、間違いようがないワ」

「なんだよ?」

「カニエと結婚して同棲しに来たノヨ」

「間違いしかないな」


 訊いたのが誤りだった言わんばかりに、蟹江は深いため息を吐く

 蟹江とエミリーの会話が一区切りしたところで、小牧が質問する。


「二人はいつからの知り合いなんですか?」

「イイナズケ……」

「エミリーは少し黙っててくれ、いちいち訂正するのが面倒だ」


 煩わしさが口調に滲み出てきた蟹江に黙っててくれと言われて、エミリーもさすがに口を噤んだ。

 エミリーが静かになると、蟹江は小牧にエミリーと初めて会った一年半前の記憶力世界大会の時のことを話した。


「カニエ?」


 蟹江が小牧に話し終えると、エミリーが物問いたげな目を向ける。


「なんだ?」

「ワタシの紹介ばっかりだワ。ワタシにその子のこと紹介してほしいワ」

「まあ、それがマナーってもんか」


 紹介してくれと請うエミリーに、蟹江は小牧を弟子だと説明した。

 弟子という言葉に、エミリーはいささか驚く。


「弟子ってことは、カニエがその子にいろいろ教えてるってことヨネ?」

「そうだな」

「面白いワ」


 蟹江が頷くとエミリーは俄然興味津々の目になり、その目を小牧に向けた。


「コマキちゃん、今から質問に答えてもらってイイ?」

「答えられる範囲なら」


 急に興味を向けられ、小牧は何を訊かれるのかと気を張った。

 エミリーは質問を口にする。


「カニエから何を教えてもらっタ?」

「トランプ記憶とか、心構えとか」

「トランプの変換はカニエの受け売り?」

「オリジナルです」

「ルートは?」

「オリジナルです」

「一プレイスにいくつ?」

「四つです」

「スピードカードの最高記録は?」

「35秒44です」

「速いワ」

「ありがとうございます」

「いつからメモリースポーツをやり始めたノ?」

「初めてカード記憶に挑戦したのが、昨年の一月です」

「それじゃ、半年もしないで一分切ってるノ、すごいワ」

「ありがとうございます」

「大会ハ?」

「この前、SCCに出ました」

「どうだった、緊張シタ?」

「はい、緊張しました」

「他の大会は出たことナイ?」

「ありません」

「ないノネ。それじゃ、どうしてカニエの弟子になったノ?」

「えっ……」


 小牧は言葉に詰まった。

 蟹江に心を奪われたというのが本音だが、蟹江本人がいるところで打ち明けるのは恥ずかしい。


「どうしテ、どうしテ?」


 口をまごつかせる小牧に、エミリーはさらに興味を強く顔を近づけて答えを迫る。


「えっと、その」

「早く答えて、気になるワ」


 小牧は必死に言い訳を探す。

 そこで一つ、もっともらしい言い訳を思い付く。


「師匠が日本一だからです」

「そう……アンシンしたワ」


 心の底からほっとしたような声音を出して、エミリーは小牧から顔を遠ざけた。

 蟹江に顔を戻して、純粋な喜びで微笑む。


「心置きなくカニエと結婚できるワ」

「結婚なんて冗談言うな」


 エミリーの発言を真面目に取ることなく、蟹江は辟易する。

 エミリーは唇を尖らせた。


「冗談なんかじゃないワ。蟹江が十八歳を超えたから、正式に結婚を申し込んでるノヨ」

「十八歳になったら結婚しないといけないという義務はない」


 くだらない冗談はやめてくれ、という意思を籠めた口調で言い切る。


「そこまで言うなら、わかったワ」


エミリーは不服そうな顔をしつつも、蟹江の言葉を受け入れる。


「今日は諦めるワ」


 エミリーがそう言うと、蟹江はタイミングを見つけたように席を立つ。


「ちょっと、トイレ行ってくる」


 二人に告げて、蟹江はテーブルを離れて店の隅にあるトイレットに向かった。

蟹江がトイレットに消えると、エミリーが強い関心で再び小牧に目を移す。


「コマキちゃん、突然だけどMGやってル?」

「MGってなんですか?」


 水を向けられた小牧は、MGが何なのか本当に知らなくて首を傾ける。


「蟹江の弟子なのに、知らないノネ」


 エミリーは小牧が知らないことに少々驚いている。


「そのMGって、大事なことだったりしますか?」


 エミリーの物言いから知らなくてはいけない事なのかと、小牧は急に不安になって尋ね返した。


「大事っていうわけじゃないけど、カニエの弟子なら加入するべきヨ」

「加入ってことは団体とか協会みたいなものですか?」

「違うワ。『MEMORY・GAME』っていうサイトのことヨ」


 エミリーは初耳の小牧に詳しく説明した。



『MEMORY・GAME』は日本メモリースポーツの祖刈谷健と世界記録保持者であるドイツのアドルフ・ミュンタ―が、協同して開発したメモリースポーツのオンラインサイトだ。

 一対一の対戦形式で、52枚のトランプの配列を覚えるCards、ランダムに羅列された数字を覚えるNumbers、三十枚のランダムな画像の順番を覚えるImages、ランダムな単語を時間内で出来る限り多く覚えるWords、人の顔と名前を覚えるnamesの全五種目があり、全ての競技で記憶時間一分、回答時間が四分となっている。

 

 と言うような内容をエミリーの口調で説明を受け、小牧は強い好奇心を抱く。


「その『MEMORY・GAME』って、パソコンでやるんですか?」

「そうヨ。マイパソコンは持ってる?」


 エミリーの問いに、小牧は顔を曇らせた。

 小牧の表情から察して、エミリーは気の毒そうに眉を下げる。


「持ってないノネ。プレイするならパソコンがないといけないノヨ」

「そうですか」


 小牧はがっかりした。学業に精を出せるように、とインターネットの利用が親から厳しく制限されている。

 それは残念だワ、とエミリーは同情的に言う。


「パソコンが手に入るまでは対戦できないノネ。小牧ちゃんと対戦してみたかったワ」

「すみません」

「謝らなくていいワ。コマキちゃんが悪いわけじゃないカラ」


 気を落とす小牧を慰めるように、エミリーは微笑んだ。

 ひとくさり話が終わったところで、蟹江がテーブルに戻ってくる。


「二人で何を話してたんだ?」


 蟹江が訊くと、エミリーが蟹江に笑顔を向ける。


「小牧ちゃんに『MEMORY・GAME』のこと教えてあげたワ」

「『MEMORY・GAME』か。小牧がやりたいって言ったのか?」

「そうじゃないワ。小牧ちゃん、パソコンを持ってないらしいノヨ」

「そうなんです、師匠。なのですぐにはプレイできないんです」

「なるほど。それで小牧は『MEMORY・GAME』がやりたいのか?」


 蟹江は確認するように、小牧に問う。

 小牧が頷くと、蟹江はいかにも良案が閃いたという笑顔になる。


「プレイするだけなら、俺がなんとかしてやる」

「えっ、でもあたしパソコンを買えるお金もありませんよ?」


 新しいパソコンを購入すればいいなどと解決になっていない提案するのではないか、小牧は不安そうに蟹江を見つめた。


「何をする気ナノ、カニエ?」


 エミリーも得たり顔の蟹江が、どんな手を使うつもりか見当もつかない。


「俺のパソコンでプレイすればいい」


 簡単な話だろ、と言わんばかりに口角を上げる。

 小牧は理解しがたく首を傾げ、エミリーは愕然と目を見開いた。


「それ、本気で言ってるのカニエ?」

「ああ、本気だ。ダメか?」


 あっけらかんとして蟹江はエミリーに尋ね返す。

 エミリーはダメとは言えなかった。実際、特定のアカウントで他の人がプレイすることを規約で禁止されていないのだ。

 規約の抜け穴を通るような行為を平然とやろうとしている蟹江を、偽物でも見ているような信じられない思いで見つめる。


「カニエ、すごいこと考えるワネ」

「そうか? 他に方法がなかったから、この考えに行きついただけだぞ」


 詐称行為に等しい案をなんとも思っていない口ぶりで、蟹江は言葉を返した。

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