乙女のスピードカード2

 蟹江の手で五回目Aグループのトランプが配られ、準備が整う。

 小牧はつかの間の観戦気分を切り換えて、トランプの置かれた席に着いた。

 記憶前の五分間、使い回した得意ルートを頭に浮かべて、四回目の記憶を思い出さないようにして確認のために駆け回った。


「記憶スタート」


 開始の合図がされると、各選手が手にしたトランプを指で滑らせ始める。

 ドア、洋服ダンスの上、窓――ルートの順ごとに、作ったイメージとストーリーを貼り付けしていく。

 最後の四枚を貼り付けた時点で、タイマを止めた。


 39秒76。


 さっきよりも速くなった!

 四回目のタイムを少しだけ上回る好記録に、小牧はやったという言葉が口に出そうになって、慌てて口を押えた。

 それでも口を押えた格好のまま、胸の中で喜びが通う。


 しかし喜んでばかりもいられない。回答時間までは記憶を持続させておく必要があるため、喜びを仕舞って目を瞑りルートを巡り直した。

 記憶時間が終わり、回答時間に移る。

 焦らず慎重にトランプを左手に積み重ねていく。

 回答の五十二枚が束になって左手に収まると、テーブルを叩くようにしてトランプの縁を揃えた。


「審判、答え合わせ」


 合図の後、先程と同じ方法で答え合わせが行われる。

 思い出せないところがなかったから、大丈夫だろうけど緊張するな。

 記憶違いや揃え違いはないはずだと根拠もなく確信を持っていたが、そのためか何度やっても答え合わせはドキドキするものだ、と小牧は改めて思った。

 五十一枚目が捲られ、同様の札が目に入ると力が抜けるようにして安心する。

 またもや五十二枚成功。

 五回やる中で一度もミスが無いのは、上級者でもそうそう達成できる成績ではない。

 Aグループ五回目のチャレンジが終わった。


 二十分の小休止の後、Bグループ五回目の挑戦が始まる。

 弥冨はAグループの挑戦の度に、気に入らない中学生の少女の方に鋭い目を遣っていた。

 小牧の方は記憶に集中しており、毎度見られていることに気付いていないのだが、弥冨の目は完全に敵を見る時の目だ。

 彼女には彼女なりの矜持というものがあり、負けられないのだ。

 少女が蟹江にくっ付いていることもそうだが、何より鬼才ぶりが気に入らない。

 弥冨は不満の感情を抱えたまま、席に着く。

 蟹江の事や小牧の事を考えるのが、雑念であることは承知している。

 けれど今日は不満のおかげで、自己ベストを更新できたようなものだと思っている。

 もっと速く。脳裏にその言葉が過ぎる。


 記憶開始の合図がされると、弥冨はトランプを右手に持って、札の面を睨んだ。

 ほぼ無意識で、トランプの札を繰っていく。一カ所に一枚のイメージを置く。

 彼女が使用しているルートは。中学時代の通学路と校内だ。


 ルートの一カ所目は家の玄関。♡10、『ハート』を抱いている人。


 ルートの二カ所目は曲がり角。♧4、『櫛』で梳いている。


 ルートの三カ所目は横断歩道。♢2、巨大な『ダニ』が横断歩道にいる。


 その後に続く四十九枚のトランプの札も、同様のやり方で順番を記憶していった。

 五十二枚が右手から左手に移動すると、トランプを持ったままタイマの計測を止める。


 33秒78。


 自分でも驚くほどのハイペースの記憶だった。

 目を閉じ、ルートを一から歩き直す。

 ルートの四十カ所目に来て、弥冨はイメージを起こすのに手こずった。

 五秒、十秒と時間をかけて、ようやく朧げなイメージが浮き上がってくる。


 これで合ってるかな?

 弥冨の心に不安が兆す。

 消火器の前で『黒猫』が座るイメージで札は♧6、だったはず。


 次の箇所から慎重な足取りで、貼り付けたイメージを思いしていく。

 四十七カ所目に来て、弥冨は苛立ちを隠せず舌打ちした。

 明瞭なプレイスとぼやけたイメージ。黒板の前を『スクーター』が走り過ぎていくイメージで札は♤9、だったはず。

 思い出せないことに腹が立つ。


 記憶終了の合図までの間に、弥冨の胸の内は穏やかさを失っていった。

 たった二枚。されど二枚。

 成功か、失敗か。


 刈谷の声が記憶終了を告げ、すぐに回答時間に始まる。

 弥冨は苛立ちを押さえつけるように大きく息を吐き出してから、回答用のトランプを手に取った。

 三十九カ所目まで滞りなくトランプを積み上げていくが、記憶の怪しい横断歩道で立ち止まった。


 何もない消火器の前に、靄のようにイメージの影が漂っている。

 彼女は横断歩道を後回しにして、積み上げているのとは別に束を作って四十六カ所目まで歩いた。

 黒板の前に来た。何かがいる。でもその何かが浮かんでこない。

 数秒かけて思い出そうと努めたが、イメージは出てこなかった。黒板の前も素通りして五十二カ所目まで歩き切った。


 テーブルの上には、三十九枚積み上げた束、六枚の束、五枚の束が並んでいる。

 余った二枚は、やはり♧6と♤9だ。

 弥冨は何度も何度も、消火器の前と黒板の前を行き来する。

 それでもイメージが浮かんでこない。


「残り三十秒です」


 残り時間を知らせる刈谷の声が、耳の中でイヤに響く。

 一か八か――。

 弥冨の頭に、運任せの最終手段が浮かぶ。

 運を天に任せて、二枚を回答用トランプの配列の中に組み込んだ。

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